この3日間、PTA尽くしでした。
金曜日の昼に、宇部市PTA連合会の貸切バスは、岡山県笠岡市で翌日行われる日本PTA中国ブロック研究大会に参加するために、宇部市を出発しました。研究大会の参加者の一人でした。
宿泊したのは、広島県福山市の鞆の浦の欧風亭というホテルでした。夕方着いて、朝早く出発したので、鞆の浦は一瞬でしたが、もう一度行ってみたいと思える場所でした。鞆の浦は、「崖の上のポニョ」のモデルになった地域です。映画を観た方は、その通りの場所だと納得します。最近、海を埋め立てて道路を整備する計画が進行していますが、「崖の上のポニョ」ファンの私としては、大反対です。
雨模様でしたが、崖の上にはポニョの家がありそうです。
土曜日は、前述した研究会に参加しました。研究会は中々有意義でした。一つ、早寝・早起き・朝ごはんの輪をつくるシンポジウムに参加しました。この3つと読書・手伝い・外遊びが大切だと言うことでした。実践していく上では、PTAの役割が重要だと話されました。わがPTAでもしっかり生かしていきたと思います。
それと、デューク更家さんの講演を聞きました。一つだけ紹介します。肩に手を当てて下さい。 まず、後ろから前に肩を回して下さい。そして、隣の人と強く握手してみて下さい。次に、前から後ろにお肩を回して下さい。そして、再び隣の人と強く握手をしてみて下さい。後の方が、力が強くなったと感じた人は正解です。エネルギーは上から下に流れているので、肩を前から後ろに回す運動は、それを促進するそうです。少しでも心身を整えて日々を暮らしていきたいと思います。
私も空手や太極拳をやっていますが、その動きと通じるところもあるし、一つ一つ納得するものでした。それに、トークという点でも「さすが」と思わせるものでした。あっという間の2時間で、また聞きたいと思わせるものでした。デューク更家さんの今後もチェックしていきたいと思います。
デュークさんの講座は、納得しつつ、楽しいものでした。
そして、今日は、子どもたちが通う西宇部小学校の文化祭「西小まつり」に参加しました。朝、実家に、野菜を取りに行くところから始まり、12時間、行事に関わりました。子どもたちの出し物もそれぞれ凝っていて、とても楽しいものでした。会長あいさつでは、先ほど紹介したデュークさんの体操をみんなに紹介し、実践してみました。実家周辺の野菜も完売して充実した一日でした。
PTAは親育ちの場とも言われますが、親として鍛えに鍛えられた3日間でした。
5年生の合唱の練習の様子(長男も参加しました)
私の議員としての歴史は、宇部湾岸道路とともにあると言っても過言ではありません。宇部湾岸道路の事業開始が1994年です。私が市議会議員に初当選したのが、1991年ですから、市議1期目に宇部湾岸道路の事業が始まりました。私の地元厚南を通る道路でもあり、これまでも様々な発言を行ってきましたが、これからも大いに発言していきたと思っています。
宇部湾岸道路は、昨年度末までで、おおむね80%の進捗率となっていますが、様々な問題が指摘されています。一つは、宇部興産道路を買収して計画されている国道190号線に至るロングランプの建設です。測量など全ての準備は終わっていますが、騒音などの不安を抱える地元住民の理解が得られておらず、事業が大きく遅れています。二つ目は、ヒヌマイトトンボの減少ですた。このことは先日の朝日新聞でも大きく報道されていました。宇部湾岸道路が建設された場所に、絶滅危惧種であるヒヌマイトトンボの生息が確認されました。この間、県は、「厚南地区ヒヌマイトトンボ等対策検討委員会」を設置し検討を進め、代替地を整備してきました。この間、代替地で順調に個体が増え、03年には、2972匹まで確認されましが、今年の調査では、466匹にまで減少しています。ヒヌマイトトンボは、代替地以外でも減少しており、対策の強化が求められています。私は、近く日本蜻蛉学会の方から実情をお聞きすることにしてます。三つ目は、供用開始された高架下の道路の対策です。私は、地域住民の方々から様々な要望をお聞きして、県などに対策を求めてきました。一つは、市道との交差点への信号機の設置ですが、この夏に完了しました。また、梅田川東岸の高架下道路と民家とが一番近い地域の方々から道路と民有地の間に、目隠しのためのフェンスを設置してほしいという要望についても、先日設置が完了しました。高さ1.8メートルのフェンスが、116メートルに渡って設置されました。
今後とも、宇部湾岸道路に関するご意見やご要望は藤本までお寄せ下さい。
高架下道路と民家の間に目隠しのフェンスが設置
日本シリーズ第5戦が今、終了しました。7対3で、巨人が勝ちました。巨人は、対戦成績を3勝とし、大手をかけました。
我が家では、今、巨人を応援しています。それは、ラミレスがいるからです。実は、次男のあだ名が「ラミレス」だからです。
学童保育で、フットベースボールをする時、次男が大きな当たりを打つそうです。その姿を見てジャイアンツファンの友人が、次男に「ラミレス」のあだ名を付けました。
我が家は、長男は、長身で痩身ですが、次男は、長身で筋肉質です。「ラミレス」のあだ名に次男も気を良くしています。
今日も、7回に勝ち越しに繋がるツーベースをラミレスが打ちました。次男も大喜びです。何故か三男もラミレス贔屓になりました。当分、我が家は、ラミレスのいる巨人を応援することにしましょう。
時は、オバマ旋風が吹かれています。アメリカ史上で最初の黒人大統領の誕生に湧いています。ラミレスも押さえのクルーンも黒人選手です。アメリカのも巨人も新しい活力が活躍しています。世界の民主主義にとって有意義なことだと思います。
本日、日本中国友好協会山口県連合会の理事会に参加しました。総選挙の日程の関係で延期した中国旅行について、来年5月中旬に開催することなどを話し合いました。
中国旅行の行先は、大連・瀋陽です。瀋陽では、「9・18歴史博物館」に行くことを計画しています。9.18とは満州事変が起こった日です。1931年9月18日午後10時すぎ、奉天に向かう満鉄の急行列車がここを通過する直前、線路に仕掛けられた爆薬が爆発しました。これをきっかけに関東軍と中国軍の戦闘がはじまりました。日本では、敗戦まで中国側が仕掛けた事件と信じられていましたが、今では、関東軍の板垣高級参謀と石原作戦参謀のコンビによる謀略であることが明らかになっています。
せっかく瀋陽に行くのなら、「平頂山殉難同胞遺骨館」にも行こうと話し合いました。満州国が建国されて間もない1931年9月15日、未明、抗日ゲリラ「抗日民衆自衛軍」が撫順炭鉱を襲撃し、関東軍の撫順独立守備軍と戦闘になり、日本側に死者が出ました。撫順独立守備隊は「住民が通報しなかったのは、自衛軍と内通していたためだ。」とし、平頂山の住民3000人が関東軍の手によって虐殺されました。
(以上参照・観光コースでない「満州」)
日中友好新聞10月5日号には、平頂山事件の生存者の一人である王質梅さんのインタビューが掲載されています。「やがて静かになって起きだしたら、あたりは血の海、火の海だった。日本軍は行ってしまったと思い、父・母の名前を読んで探したが見つからない」。
1996年に3人の生存者が原告となり日本政府を訴えた「平頂山事件訴訟」で、裁判所は事実を認めましたが、政府の責任は問いませんでした。王さんは、今も、日本政府に「虐殺の事実を認め、謝罪してほしい」と訴えています。
私は、自分の目で、3000人の遺体が眠る「遺骨館」に行き、その事実を確かめてきたいと思います。
さて、田母神自衛隊航空幕僚長が、「我が国が侵略国家だったというのは濡衣」などと、かつての日本の侵略戦争を美化する論文を執筆し、更迭されました。田母神氏は、論文で、旧日本軍の中国侵略を「駐留条約に基づたもの」と正当化し、張作霖事件は「コミンテルンの仕業という説がきわめて有力」とし、「満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。」などと書いていると報道されています。
田母神氏は、王さんの主張をどのように言い逃れるのでしょうか。平頂山事件も「コミンテルン」の仕業とするのでしょか。そして、平頂山事件などを受けても、日本軍が、満州を開放したと言い続けるのでしょうか。
田母神氏が罷免されたことは、当然ですが、このような人物を要職に置いて放置してきた政府、首相、防衛相の責任は問われなければなりません。
日本中国友好協会山口県連合会主催の瀋陽・大連行きの旅行の日程と内容が決まりましたら、本ブログにも掲載します。多くの参加者をお待ちしています。
収集癖が子どものころからあります。最初に集めたのが、切手。その次にペナント。昔観光地にあった三角のやつです。
そして今、いつのまにか溜まってしまったのが映画のパンフレットです。最初のものが、1984年小栗康平監督の「伽;子のために」です。24年前ですから、私が20歳ころですので、大学生の時のものです。20代は映画に行ってもパンフレットを買う習慣はなかったのですが、30代ころから、必ず、映画に行ったらパンフレットを買うことにしています。昔のパンフレットは、B5版かA4版と決まっていたのですが、最近は、A4より大きい変則版が多くなりました。A4のファイルでははみ出してきたので、この程、B4のクリアブックに収め直すことにしました。そして、パンフレットを入れなおして数えてみると、89冊ありました。(一部舞台のパンフレットを含む)主には90年代以降のものが多く、最近は、子ども向けのパンフレットも増えてきました。
このパンフレットをゆっくり見れるような余裕が出来るのは当分先でしょうが、私の映画鑑賞の副次的産物として、今後とも収集を続けていこうと思います。当面は、映画の感想をブログに書くときには大いに活躍しています。
パンフレットのある作品で、私の今時点でのベスト5を選んでみましょう。
第5位 ウティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」(94年)知らねばならない歴史の事実が描かれていました。
第4位 フォ・ジェンチイ監督の「山の郵便配達」(99年)叙事詩的な作品で、今も心の奥深くに温かいものを残しています。
第3位 降旗康男監督の「ホタル」(01年)高倉健主演映画の中でも私は、No1を与えたいと思います。泣きました。
第2位 宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」(08年)となりのトトロと双壁ともいえる作品だと思います。
第1位 篠原哲雄監督の「山桜」(08年)藤沢作品の映像化の中でもNo1だと思います。
パンフレットを今見ていますと、この他にも、山田洋次監督作品はどれも秀作で甲乙つけ難いと思いました。今年見た「おくりびと」など邦画でこのほかにもいい作品がたくさんあります。また、意外と洋画も見ていることも気づきました。邦画と決めず、洋画も気軽に観たいと思いました。
皆さんは、どんな映画に感動されましたか、ご返事をお待ちしています。
本日、4時から下関駅シーモール前で、志位委員長を迎えて街頭演説会が行われました。約1300人の聴衆が志位さんの演説に耳を傾けました。
私も後援会の皆さんとバスで一緒に演説会に参加しました。志位さんの理路整然として、なおかつ迫力ある話に感銘を受けました。
志位委員長は、「自民党は、解散を先延ばししても展望は開けない。いつ解散になってもおかしくない緊迫した状況だ。日本共産党躍進にお力を」と冒頭訴えました。志位さんは、まず、金融危機をどう打開するかを語りました。「国民にカジノ資本主義のつけを転嫁してはいけない」として、二つの問題を重要と指摘しました。ひとつは、大失業の危険を回避すること。二つ目は、企業倒産を回避することだと語りました。日本の3大メガバンクは、この間、2兆円を超えるお金を中小企業から貸しはがし、アメリカの投資銀行の支援に9000億円回した。このことを志位委員長は「銀行本来の仕事を見失ったもの」と批判しました。
志位委員長は、「今日本の政治で求められているのは次の3つの政策だ」と訴え、第一は、安定した雇用であり、第二は、安心できる社会保障制度の確立、第三は第一次産業を守ることだと語りました。
その上で、志位委員長は、先日麻生首相が発表した緊急経済対策には、この3つの対策がないとし、「国民には年間13兆円の負担増を強いておいて、1回の給付金2兆円で勘弁してくれと言うが、とても勘弁できるものではない。」と訴えました。
国民本位の政治を実現するために財源はあると志位さんは語ります。第一に無駄を削ること、特に年間5兆円の軍事費を見直すことが重要だとしました。
最後に、志位委員長は、「今度の選挙で日本共産党を躍進させていただいて、民主的政権の第一歩を切り開きたい」と聴衆に訴えました。
志位委員長のほかには、中林よし子・吉田貞好中国ブロック比例代表、木佐木小選挙区4区候補が訴えました。
私のカメラの方を向いて語る志位委員長。
通行人の方を含め沢山の聴衆が耳を傾けました。