議員日誌

田植えの準備

 今年も田植えのシーズンがやってきました。

 今年は、5月31日に田植えを行いたいと思います。

 そのために、26日に本代かき(田植え前最後の代かき)を行う予定です。 

 その前の荒代かき(田に水を入れて最初の代かき)を22日に行いました。

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 夏日の中、作業を順調に行うことができました。

 22日は、宇部市は25度を超える夏日だったと思います。

 半日、トラクターを運転して一気に日焼けをしました。

 水を入れた田はカエルの大合唱。のどかな風景です。

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 今年生まれたかえるたちが大合唱しています。

 この風景がいつまで維持できるか不安もあります。

 私の近所で耕作をしている人の中で一番若いのが私です。

 70代が農業の主力です。

 我が家でも私の子どもたち誰かが農業を続けてくれればいいのですが。

 水田ですので、水が不可欠ですが、農業用水を供給するためのポンプや水路の維持が年々困難になっています。

 日本が今後とも瑞穂の国であり続けるために、農家政治家の一人として、実体験したことを発言していこうと思います。

 このような現状のもとで、海外からの農産物の輸入を増やすTPP交渉からはやはり撤退すべきだと痛感します。

 とにもかくにも、父なる山=荒滝山、母なる川=厚東川に守られて今年も農業を続けていけることを喜びたいと思います。

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父なる山=荒滝山に抱かれて今年も田植えです。

 農家の皆さん、皆さんのお宅の田植えはいつですか。準備は順調ですか。

亀戸事件-隠された権力犯罪-

 関東大震災の時に起きた、朝鮮人虐殺事件を追った映画「隠された爪跡」の事を昨日書きました。

 この映画を観ながら、自宅の本棚にある加藤文三著「亀戸事件-隠された権力犯罪-」の事を想起していました。

 今日は、この本を引用しながら「亀戸事件」の概要を追っていきたいと思います。

 この本の冒頭、「亀戸事件」について、角川書店の「日本史辞典」が引用されています。

 「1923年(大正12)年9月、関東大震災の混乱の中で、当時の革命的労働運動の拠点南葛労働組合の川合義虎ら8人とサンジカリスム系の平沢計七ら2人の計10人が亀戸警察署に不法検束され、自警団員4人とともに軍隊に刺殺された事件。関東大震災の戒厳令下で、朝鮮人・社会主義者が騒乱を企てているとの流言がなされ、多くの虐殺・不法弾圧がなされたが、その代表的事件の一つであった。」

 川合義虎は、日本共産党員であり、日本共産青年同盟の委員長でした。

 関東大震災直後に戒厳令が布告され、関東戒厳司令部がおかれました。

 「亀戸事件-隠された権力犯罪-」にはこう書かれています。

 「関東戒厳司令官と山本内閣が」「朝鮮人の背後に社会主義者があるとの流言を流すことによって、朝鮮人虐殺を正当化しようとしたのである。」

 警視庁は、9月5日、「社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ」という正力官房主事と馬場警務部長の通牒を発しました。

 さらに11日いは、正力官房主事が、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」という命令を発しました。

 この正力とは、戦後、読売新聞社の幹部を務めた正力松太郎だと歴史家の飛田勘弐氏は、書いています。

 この本の作者である加藤文三さんは、当時の資料を元に、川合義虎らが殺害されたのは、9月4日用夜から5日未明にかけてと確定します。

 更に、亀戸事件の犠牲者は、10人とされているのは、南葛労働界の関係者の犠牲者であり、この時期、亀戸署で、砂町の自警団員4名などの日本人や、多数の中国人と朝鮮人が、軍隊と警察の手によって虐殺されたと加藤文三さんはこの本で述べています。

 関東大震災直後いは、大杉栄夫婦らが殺害された甘粕事件なども起こりました。

 関東大震災直後に、国家権力が朝鮮人とともに多くの社会主義者らを殺害した事件を私たちは忘れてはならないと思います。

 そして、この歴史を繰り返してはならないことを痛感します。

 憲法を守り民主主義を発展させることを誓い合いたいと思います。

 

映画「隠された爪跡」

 昨日、第三回「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の定期総会が行われ、私は、昨年に続いて、運営委員に選ばれました。

 長生炭鉱の水非常を後世に伝えるために、引き続き、力を尽くしていきたと思います。

 定期総会の後に、1983年に作成された呉充功(オ チュンゴン)監督の映画「隠された爪跡」の上映会が行われました。

 映画会は、50名を超える参加者で盛況でした。

 1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が、関東地方におそいました。

 関東大震災直後に政府は戒厳令を布告しました。戒厳令と同時に、「不逞朝鮮人暴動」の流言飛語が流布され、この時、6500名以上の朝鮮人が、軍隊、警察、そして日本の民衆の手によって殺されました。

 1923年の大虐殺の時にかろうじて生き残った在日朝鮮人の曺仁承(チョ インスン)さんの証言を軸に、直接目撃した20人余の証言を集めた作品です。

 映画の主人公であるチョさんは、大震災の前年の22才の時、「日本に行けば白い飯が食える」からと慶尚南道居昌(コチャン)から日本に渡って来た後、あちこちを転々として建設現場で日雇い労働者として働きました。地震が起きた日、現在の東京押上付近の工事現場にいたチョさん一行は、避難して四つ木橋付近で消防団に捕らえられました。チョさんは、自警団、警察などによる朝鮮人虐殺に巻き込まれ、兄を殺され、自らも傷害を受けます。

 チョさんは事件後、大井町のホルモン焼き店を営みますが、夜うなされたり暴れたりすることがあると妻が語ります。

 朝鮮人の遺体を集めて焼いたり埋めたりした荒川ベリで事件の60年後に遺骨の発掘を行いますが、発見することは出来ませんでした。

 主人公のチョさんは、1984年に亡くなっておられます。朝鮮人虐殺の事実を遺した映像としては、現在とても貴重な作品と言えます。

 熊本県で4月14日に地震が発生しました。地震発生から数分後に「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」などの差別的な投稿がツイッターに登場しました。

 関東大震災の朝鮮人虐殺を思わせる流言飛語が、今日でも発生している事実を私たちは忘れてはなりません。

 「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が多くの方々の協力を得て、犠牲者183人の名を刻んで建立した追悼碑は、「私たちは、このような悲劇を生んだ日本の歴史を反省し、再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓い、ここに犠牲者の名を刻みます。」との文章で締めくくられています。

 「このような悲劇」には、長生炭鉱水非常とともに、関東大震災の朝鮮人虐殺があったことをこの映画を観て痛感しました。

 この程発生した熊本地震の際に、朝鮮民族の方々を差別する流言飛語が出されている事実を受け、改めて「再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓う」決意が、この映画を観て湧き上がってきました。

 私の生き方を励まし、決意を新たにしてくれる映画でした。

 呉監督、素晴らしく、貴重な映画をありがとうございました。

 この作品の視聴を希望される方は、自主上映会を開催することも出来ますので私に申し出ていただければと思います。

映画「王妃の館」

 浅田次郎の原作を橋本一監督が映画化した「王妃の館」をDVDで視聴しました。

 浅田次郎さんの作品は、時代小説か現代小説。

 現代小説は日本を舞台にしたものが多いですが、本作は、フランスを舞台にした喜劇でありながら、ルイ14世の時代が学べるという浅田文学の中でも希少な部類の作品です。

 さすがに日本を代表するストーリーテラーである浅田作品です。

 笑いあり、涙あり、最後の大団円は納得できるものです。

 舞台は、ルイ14世が寵姫のために建てたという「王妃の館」(シャトー・ドゥ・ラ・レーヌ)。

 日本の倒産寸前の旅行会社がダブルブッキングのツアーを企画します。

 昼に滞在する客は、10日間で150万円。夜に滞在する客は19万円の格安ツアー。

 出遭ってはいけない両者が入り乱れトタバタ劇が展開されます。

 主役の作家・北白川右京役を水谷豊さんが好演します。

 私がこの映画で注目したのは、パリの町並みの美しさです。

 映画の中で、北白川右京が、戦火を潜り抜けていかにパリの街が守られたかを語ります。

 この映画を観て一度でいいからパリを訪ねたいと思うようになりました。

 しかしながら、フランスを舞台にしても、巧みな物語を綴る浅田次郎さんのスートリー力に感服しました。

 映画の感動がさめない内に、原作を読むことにしましょう。

 浅田さん橋本監督、いい作品をありがとうございました。

沖縄元米海兵隊員を逮捕

 沖縄県うるま市で4月から行方不明となっていた女性会社員(20)の遺体を遺棄したとして、県警は19日午後、現在米軍嘉手納基地で軍属として働く元米海兵隊員の男(32)を遺体遺棄容疑で逮捕しました。男の供述にもとづき、女性とみられる遺体を恩納村で発見しました。県警は死亡した経緯を調べています。

 日本共産党沖縄県委員会は元海兵隊員の逮捕を受けて「平穏に暮らす女性を襲い死に至らしめ夢と希望を奪った事件に満身の怒りをもって抗議する。戦後71年復帰44年を経て基地あるが故の事件・事故は後を絶たない。県民の苦しみの元凶である米軍基地は撤去しかない」とするコメントを発表しました。

 皆さんは、この事件をどのように受け止めておられますか。ご意見をお聞かせ下さい。

自民党改憲案「国の宗教活動大幅容認」

 日本共産党の「赤旗」日刊紙に「再批判自民党改憲案」シリーズが掲載されています。

 17日の日刊紙のシリーズ⑩は、「国の宗教活動大幅容認」の中身で書かれています。

 「自民党改憲案は、日本国憲法の信教の自由(20条1項)と一体の政教分離原則(同3項)を緩和しています。」

 「国や自治体が『特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない』としつつ、『ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない』と規定。改憲案Q&Aでは『これにより、地鎮祭に当たって公費から玉串料を支出するなどの問題が現実に解決されます』としています。『社会的儀礼』『習俗的行為』という名目で、国の宗教活動を大幅に容認することになります。」

 「自民党は毎年の運動方針で『靖国神社参拝を受け継ぐ』という方針を掲げ続け、春秋の例大祭や8月15日の終戦記念日いは政治家の集団参拝も繰り返されています。改憲案は、日本の侵略戦争を正当化する宣伝センターである靖国神社への政治家の参拝を既成事実化し、『社会的儀礼』として『憲法の範囲内』とするのが狙いです。」

 私は、浄土真宗本願寺派の山口教区会議員を務めています。

 浄土真宗本願寺派を含む10派の真宗教団連合は、1969年の結成以来、首相及び閣僚が靖国神社を参拝sることに対して抗議や中止の要請を行ってきました。

 真宗教団連合は、昨年の8月3日に、安倍内閣総理大臣に対し「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請」を行いました。

 要請書は次のように訴えています。

 「申すまでもなく靖国神社は、国難に準じた戦没者を英霊として祀る神社として創設され、先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱として国家神道体制の中止的な役割を担ってきました。同時に戦争で亡くなった方を、故人の宗教や遺族の遺志に関わらず、特定の基準で強制的に合祀しています。したがって、靖国神社が今もなお『我が国における戦没者追悼の中心的施設である』という主張には無理があります。」

 「現憲法では先の大戦の反省から政教分離の原則を明確に打ち立て、国家に対し宗教的中立性を要求し、特定の宗教と国家とが直接結びつくことを禁止しております。されに、個人の信教の自由も保障しており、その趣旨に照らしてもご遺族が信仰する宗教により追悼がなされるべきであります。よって、私たちは、首相・閣僚が憲法の精神に反して公式参拝することに強い危惧の念を有しており、深い悲しみと憤りを禁じえません。」

 仏教関係だけではなく、様々な宗教団体が現行憲法の信教の自由と政教分離の原則の徹底を安倍政権に強く求めています。

 宗教関係者の多くは、政治家の靖国公式参拝を憲法の範囲内にする改憲を望んでいません。

 国の宗教活動を大幅容認する自民党の改憲を許さないために力を尽くそうではありませんか。

 この問題での皆さんのご意見をお聞かせ下さい。