議員日誌

亀戸事件-隠された権力犯罪-

 関東大震災の時に起きた、朝鮮人虐殺事件を追った映画「隠された爪跡」の事を昨日書きました。

 この映画を観ながら、自宅の本棚にある加藤文三著「亀戸事件-隠された権力犯罪-」の事を想起していました。

 今日は、この本を引用しながら「亀戸事件」の概要を追っていきたいと思います。

 この本の冒頭、「亀戸事件」について、角川書店の「日本史辞典」が引用されています。

 「1923年(大正12)年9月、関東大震災の混乱の中で、当時の革命的労働運動の拠点南葛労働組合の川合義虎ら8人とサンジカリスム系の平沢計七ら2人の計10人が亀戸警察署に不法検束され、自警団員4人とともに軍隊に刺殺された事件。関東大震災の戒厳令下で、朝鮮人・社会主義者が騒乱を企てているとの流言がなされ、多くの虐殺・不法弾圧がなされたが、その代表的事件の一つであった。」

 川合義虎は、日本共産党員であり、日本共産青年同盟の委員長でした。

 関東大震災直後に戒厳令が布告され、関東戒厳司令部がおかれました。

 「亀戸事件-隠された権力犯罪-」にはこう書かれています。

 「関東戒厳司令官と山本内閣が」「朝鮮人の背後に社会主義者があるとの流言を流すことによって、朝鮮人虐殺を正当化しようとしたのである。」

 警視庁は、9月5日、「社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ」という正力官房主事と馬場警務部長の通牒を発しました。

 さらに11日いは、正力官房主事が、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」という命令を発しました。

 この正力とは、戦後、読売新聞社の幹部を務めた正力松太郎だと歴史家の飛田勘弐氏は、書いています。

 この本の作者である加藤文三さんは、当時の資料を元に、川合義虎らが殺害されたのは、9月4日用夜から5日未明にかけてと確定します。

 更に、亀戸事件の犠牲者は、10人とされているのは、南葛労働界の関係者の犠牲者であり、この時期、亀戸署で、砂町の自警団員4名などの日本人や、多数の中国人と朝鮮人が、軍隊と警察の手によって虐殺されたと加藤文三さんはこの本で述べています。

 関東大震災直後いは、大杉栄夫婦らが殺害された甘粕事件なども起こりました。

 関東大震災直後に、国家権力が朝鮮人とともに多くの社会主義者らを殺害した事件を私たちは忘れてはならないと思います。

 そして、この歴史を繰り返してはならないことを痛感します。

 憲法を守り民主主義を発展させることを誓い合いたいと思います。

 

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