月別アーカイブ:2017年9月

「三悪趣」からの解放

 念仏者9条の会編で2010年に刊行された「『三悪趣』からの解放-憲法9条・20条の持つ意味」を読みました。

 念仏者9条の会は、戦後60年の2005年に発足しました。

 先日亡くなられた初代の世話人代表であった信楽峻麿さんが冒頭で、「今日の本願寺教団が、宗教的にこれほどまでに凋落した原因はどこにあるのか。それについてはいろいろ要因が考えられる。現代の社会が過疎化、世俗化したことも大きな原因であろう。しかし私は、この本願寺教団がかつてのアジア・太平洋戦争において、全面的に協力したことに最大の原因があると考える。本願寺教団は、この戦争がはじまるやいなや、仏教徒は正義のためには戦争をしてもよいといい、この戦争を聖戦といって全面的に賛成した。そして門主は、『念仏の声高らかに各々その職務に挺身し、あくまで驕敵撃滅に突進すべし』と教示し、真宗学者たちは、阿弥陀仏と天皇は同じである。親鸞の自然法爾とは日本の神ながらの道のことである。天皇の命令に背くものは往生できない。真宗の教えは『教育勅語』におさまる、などといいたてた。」「もしも本願寺教団が、このような教言をまっとうに受けとめて、かつての戦争に際してその反対を表明していたならば、そのことは当時の状況の中では、最後まで貫徹できなかったとしても、戦後の真宗信者、そして一般の大衆は、そのことを通して、仏法、そして親鸞の真実性に深く認識し、また本願寺教団の存在意義を高く評価して、この真宗の教えに心から敬意を評したことであろう。そしてまた、本願寺教団の戦後の歴史は、それによって大きく変わったにちがいない。」と書いています。信楽先生の諫言を本願寺教団並びに私たち関係者は深く耳を傾けなければならない今だと思います。

 表題である「『三悪趣』からの解放」の意味について、大谷派僧侶の根津茂さんの小論から引用します。

 「『三悪趣』とは『地獄、餓鬼、畜生』の世界です。戦争と殺戮は地極道の最たるものでしょう。貧困や飢餓など生活苦は餓鬼道です。世界の発展途上国の状況であるのみならず、この日本において、差別が拡大し、富めるものがますます富む中で、ワーキングプアの人たちや派遣切りになった人など、その日の糧すらない人が続出している状況は、まさに餓鬼道といえます。では、畜生道とは何でしょうか。他者の存在を認めず、抑圧している状態、つまり人間性が見失われている社会が畜生道であると思います。企業の都合でいつでも解雇されるような現在の雇用状況や、サービス残業や労働強化で、多くの人々が人間らしく働くことができないこのごろです。私たちは今、畜生道を生きています。『地獄、餓鬼、畜生』の『三悪趣』は、私たちの生きる現実と、人類の歴史そのものなのです。」

 根津さんは、憲法前文の「われらは、平和を維持し、先制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を引用し次のように書いています。

 「これは、地獄、餓鬼、畜生なき、『無三悪趣の世』を選んだことであるとともに、わが国だけではなく全世界が、『無三悪趣の世』になってほしいと願っています。」と書いています。

 本願寺派布教使の吉岡隆義さんの小論には多くの示唆をいただきました。

 一番、示唆をいただいたのは、「なぜ、人を殺してはならないのか」という部分です。

 「『私の命は、私に貴族しているのであって、他の何物にも帰属するものではない』という大原則です。従って他者によって奪われてはならないということです。他者とは私以外の何者かです。その他者は軍隊であるかもしれません。国家もまた他者ですから『あなたの命を出せ』『他者の命を奪え』という戦争には加担できないのです。もちろん自らが権力者と結託して、他者の命を奪わせてはならないのです。」

 私は、50数年の人生の中で、「なぜ人を殺してはならないのか」の問いに対する答えとしてこれほど納得する答えに出会ったことはありません。

 私のこれまでの経験の裏打ちも当然あるのでしょう。吉岡先生の意見に同感です。

 皆が「私の命は、私に帰属しているのであって、他の何者にも帰属するものではない」と思える社会の実現のために力を尽くしたいと思いました。

 この社会の実現のために、安倍政権による憲法9条の改悪を許してはならないことを実感しました。

 これからも念仏者9条の会の会員の一人として大いに学び実践していきたいと思います。

 安倍9条改憲を皆さんはどうお考えですか。

親鸞と日本主義

 東京工業大学教授の中島武志さんの「親鸞と日本主義」を読みました。

 親鸞の思想が、国体そのものになっていった経過を克明に描いた力強い評論です。

 「親鸞と日本主義」の第一の驚愕は、戦前の右翼の中心的な理論誌の一つ「原理日本」が親鸞の思想と国体が直結していた事実です。

 「原理日本」の編集者の一人三井甲之が戦前、「親鸞研究」を刊行しています。

 この中に、「われらの帰命すべき総体石は何であるか、それは、日本意思である。これが本願力である。此の本願力としての日本意思に帰命し帰依するというのは『日本は滅びず』と確信することである。現日本の日本人にとって反覆すべき名号は『祖国日本』である。われらの宗教は祖国礼拝である。『日本滅びず』と信ずるが故にわれらのはかなき現実生活も悠久生命につながらしめらるるものである。それが摂取不捨である。摂取して捨てざるが故に阿弥陀仏といふ、即ち摂取して捨てざる故に祖国といふ。」という文章があります。

 この文章は、中島さんは、次のように解説しています。

 「三井によれば、国民が『帰命すべき総体意思』は『日本意思』であり、それが阿弥陀仏の本願の働きそのそのである。日本人が唱えるべき名号は『祖国日本』であり、祖国礼賛によって『はかなき現実』が『悠久生命につなが』る。日本人は現実のあるがままに任せ、ただ『日本は滅びず』と信じ、『祖国日本』と称えれば、永遠の幸福が得られる。ここでは親鸞の『絶対他力』の思想が、国粋主義と強く結び付けられる形で展開され、親鸞的日本主義が高らかに掲げられている。阿弥陀仏の本願力は『日本意思』と読み替えられ、『南無阿弥陀仏』という名号は『祖国日本』へと変換されている。」

 中島さんは、「私は、あえて問うてみたい。『親鸞の思想そのもののなかに、全体主義的な日本主義と結びつきやすい構造的要因があるのではないか』と。そして『その思想的危険性を顕在化させたのが、大正から昭和前期の親鸞主義者んなのだとすれば、彼らの議論に遡行することで浄土真宗の信仰が内包する危うさを見つめ直す契機となるのではないか』と。」との問題意識で、この本で、「親鸞思想と国体」について多角的に論評しています。

 私は、二つ目に驚愕したのは、真宗大谷派の戦時教学がいかに「国体」と直結していたかを現した部分です。

 この本の中で、1941年2月13日から15日に行われた「真宗教学懇談会」の様子が克明に検証されています。

 なかでも驚愕したのは、「真俗二諦」から「真諦一元」を求めた部分です。

 中島さんの解説により、改めて戦時中の真宗教学がとって「真俗二諦」について引用します。

 「『真俗二諦』とは『新諦』としての仏法的真理と『俗諦』としての世間的理論を区別し、その両立を図る考え方である。これは近世において世俗権力との折り合いをつけるために定着した理論で、真宗教団にとっては護教的側面をもっていた。」「教団は国体の理論を『俗諦』として受け入れ、天皇制国家に積極的に関与することで、地位を保持しようとした。近代における真俗二諦論は、『真宗を天皇制思想にはめて保証し、宗門が国家から逆に支えられようとの意図の上に成り立っていた』」

 私もこれまでの浅はかな学習の中で、戦前の真宗教学が「真俗二諦論」に立って「国体」を擁護し、戦争に協力した事実は、知っていました。

 しかし、前述した「懇談会では、「真諦一元論」が議論されていることに驚愕しました。

 斉藤唯信は「教行信証は一諦一元的である。是をなくすれば、真宗がなくなる。俗諦の中に真宗を入れることは出来ない。我々は日本国民として神国に生まれる、さうして世界無比の臣道を守ってをる。同じ俗諦を知るにも真宗信者は真諦から流れてよい。今死んでも浄土往生と云ふ信念の下戦いをする、それは尊い御法を平生聴いてゐるからである。」と述べています。

 なぜ親鸞思想と国体論が結びついたのか、中島さんは次のように書いています。

 「幕末い拡大した国体論は、国学を土台として確立された。そのため、国体論は、国学を通じて法然・親鸞の浄土教の思想構造を継承していると言える。『自力』を捨て、『他力』にすがるという基本思想は、『漢意』を捨て、神の意思に随順する精神として受け継がれている」「親鸞思想を探求し、その思想構造を身につけた人間は、国体論へと接続することが安易になる。多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀如来の『他力』を天皇の『大御心』に読み替えることで国体論を受容して行った背景には、浄土教の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想構造の問題があった。浄土真宗の信仰については、この危うい構造に対して常に繊細な注意を払わなければならない。」

 私は、現在、浄土真宗本願寺派の山口教区教区会議員などを務めています。

 私は、この本を読んで、戦前、親鸞の思想が「国体」と一体になり、戦争を加速させる役割を果たしたことをもっと知らなくてはならないと思いました。

 中島さんの「親鸞思想と国体論が結びつきやすい構造である」ことに「常に繊細な注意を払わなければならない」の指摘は、十二分に学ぶべきだと思いました。

 安倍政権が、戦争する国づくりを進める、平和憲法を投げ出そうとしているときに、門徒である私たちが、真宗教団が何を言うのか言わないのかに「繊細」な注意を払わなければなりません。

 中島武志さんの「親鸞と日本主義」と真宗門徒として学ぶことの多い本でした。

 中島さんと島薗進さんの共著「愛国と信仰の構造」にも多くのことを学びました。

 今度、非戦平和を求める真宗門徒の会が島薗進さんを講師に学習会を行います。

 島薗進さんのお話しが聞けることを楽しみにしています。

 親鸞思想と「国体」が一体となり戦争を推進した歴史があります。

 皆さんはこの事実をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。

 

北朝鮮6回目の核実験

 日本共産党の志位和夫委員長は、昨日、北朝鮮が昨日、核実験を強行したことについて、次の談話を発表しました。

・・・

北朝鮮の核実験を厳しく糾弾する

  ――危機打開のため直接対話がいよいよ緊急・切実な課題に

        2017年9月3日  日本共産党幹部会委員長 志位和夫

一、北朝鮮は本日、昨年9月に続く6回目の核実験を強行した。北朝鮮は、「ICBM(大陸間弾道ミサイル)搭載の水素爆弾の実験を成功させた」と主張している。

 北朝鮮の核実験は、今年だけでも13回行った弾道ミサイル発射とともに、世界と地域の平和と安定にとっての重大な脅威であり、累次の国連安保理決議、6カ国協議の共同声明、日朝平壌宣言に違反する暴挙である。それは、国際社会が追求している「対話による解決」に逆行する行為であり、核兵器禁止条約の採択など「核兵器のない世界」を求める世界の大勢に逆らうものである。

 日本共産党は、強い憤りをもって、この暴挙を糾弾し、抗議する。

一、いまの最大の危険は、米朝両国の軍事的緊張がエスカレートするもとで、当事者たちの意図にも反して、偶発的な事態や誤算などによって軍事衝突が引き起こされる現実の可能性が生まれ、強まっているということである。万が一にもそうした事態が引き起こされるならば、その被害は日本にも深刻な形で及ぶことになる。おびただしい犠牲をもたらす軍事衝突は、絶対に回避しなければならない。

 私は、8月12日に発表した「声明」で、現在の危機の打開のためには、米朝の直接対話が必要だと提起したが、それはいよいよ緊急で切実な課題となっている。

一、北朝鮮に対して、これ以上の軍事的な挑発を中止することを厳重に求める。米朝両国に対して、強く自制を求めるとともに、現在の危機を打開するために、直接対話に踏み出すことを重ねて呼びかける。

 8月29日の国連安保理議長声明は「対話を通じた平和的で包括的な解決」を加盟国に呼びかけている。国際社会および日本政府に対して、米朝両国に直接対話をうながし、平和的・外交的な手段で核・ミサイル問題を解決するために、可能なあらゆる手立てをとることを強く要請する。

 とくに日本政府が、「対話否定論」に固執する態度をあらため、「いまこそ対話に踏み切るべきだ」ということを米国政府に説くことを、強く求める。

・・・

 北朝鮮の核実験強行を皆さんはどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。

映画「スノーデン」

 西京シネクラブ8月例会でオリバー・ストーン監督の映画「スノーデン」を見ました。

 一番ショッキングだったのは、スノーデンが横田基地で行っていた活動でした。

 米国国家安全保障局(NSA)は、日本のダムや発電所などのインフラを操ることが可能であるという場面が出てきます。

 仮に、原発への電源を米国が操作することが可能なら極めて重大な問題です。

 尚、NSAは、ターゲットを日本だけではなく、ブラジルなど他の諸国にも同様のことが可能なシステムを構築しているという下りがこの映画の中に出てきます。

 米国は、テロ防止の目的を逸脱し、世界中の人々の個人情報を収集し、主要国のインフラを操作しようとしているのなら、米国から個人の尊厳と国家の自立を奪い返さなければなりません。

 奪い返すかとが不可能なら、アメリカの策動の中止を世界は求めなければなりません。

 そのことの国際的な議論の必要性をスノーデンは、私たちに教えよとしたのではないかと思います。

 そして、オリバー・ストーン監督もそのことを私たちに考えさせようとこの映画を制作したのだと思います。

 小笠原みどり著「スノーデン監視社会の恐怖を語る」に、米政府が日本のあらゆる分野を盗聴していた「ターゲット・トーキョー」の実態が書かれてあります。

 「ターゲット・トーキョー」の事実を知った政府関係者が「お互いの信頼関係を崩すようなことはないと思っています。」と述べたとあります。

 安倍首相は国会で「事実であれば遺憾」とは述べたものの、その後、この問題を調査した様子はないと書かれてあります。

 私たち国民は、この事への恐怖を感じる必要があると思います。

 そして、日本政府が、秘密保護法や共謀罪法などを成立させて、私たちを監視する社会を強化している現状をこの映画を通して大いに議論する必要性を感じました。

 オリバー・ストーン監督は、映画のパンフレットで「正直に言うと、この映画にかくぁりたくなかった。」「アメリカに批判的な立場を取る作品をつくろうとすると、大きな犠牲を払うことがあるんだ。」と述べています。あらゆる困難’を乗り越えて、この映画を製作したオリバー・ストーン監督に感謝したいと思います。

 この映画は、スノーデンとリンゼイのラブストーリーとしても注目できる作品です。

 スノーデンを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットさんとリンゼイを演じたシャイリーン・ウッドリーの若い二人の俳優さんの演技も大いに堪能できる作品でした。

 スノーデンが明らかにした事実を引き続き学び、日米関係を従属から対等平等なものに構築し直す契機にしたいと思います。

 映画「スノーデン」多くの方に観ていただきたいと思います。

 「スノーデン」を観られた方は感想をお聞かせ下さい。

念仏者9条の会第24回全国集会IN福岡

 昨日、福岡市で行われた念仏者9条の会第24回全国集会IN福岡に参加しました。

 記念講演は、福岡大学名誉教授で9条の会福岡県連絡会代表の石村善治さん。テーマは「憲法9条の人類史的意義」でした。

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念仏者9条の会全国集会で講演する石村善治さん

 石村さんは、1927年生まれの90歳。終戦が18歳でした。

 旧制福岡高等学校に通う石村さん、学友が召集されていきます。

 ある学友は、終戦の前の年の10月に鹿屋飛行場に赴任。通常航空兵は2年の訓練期間が必要ですが、1年満たない終戦の年の5月に特攻隊に入隊し、帰らない人となりました。鹿屋には同窓の先輩が赴任しており、亡くなった本人と夜通し泣き合ったそうです。

 石村さんは、「戦争によって、青春が叩き折られた」と強く語ります。

 石村さんは、「戦陣訓」の「生きて虜囚の恥ずかしめめを受けず」の言葉が呪縛のように戦中の自分の心に沈殿していたと語ります。

 石村さんは、日本国憲法の3つの性格について解説。

 第一は、世界の憲法・国際法を先駆・指導する「先駆性」=「平和的生存権」の確認(誓約)です。

 第二は、近代憲法の先進的要素を含む「先進性」=生存権・労働基本権・団結権です。

 第三は、近代憲法原理による「修正・補充性」=象徴天皇制・自由人権保障です。

 最後に石村さんは、日本国憲法にある「平和的生存権」の歴史的由来について説明しました。

 太平洋戦争開始前の1941年8月イギリス首相チャーチルとアメリカ大統領のルーズベルトが、大西洋上の艦船上で共同宣言を交わしました。これが「大西洋憲章」です。

 「大西洋憲章」の中に「ナチ暴政の最終的破壊の後、両者はすべての国民に対して、各自の国境内において安全に居住することを可能とし、かつすべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する」とあります。

 「大西洋憲章」の文章では「・・・希望する」に止まっていますが日本国憲法前文は明確に「平和の内に生存する『権利』を確認」としています。

 2008年、名古屋高裁は、「自衛隊のイラク派兵は憲法に違反している」との判決を下しました。

 自由権が侵された場合、戦争の危害が生じる場合にも平和的生存権を認め、具体的な権利、阻止する権利を認めたのです。

 石村さんは、「多くの先輩・同僚の戦争によって『叩き折られた青春』の無念さを胸に抱き、安保法制違憲訴訟で、司法が、『平和的生存権』を確認する判決を出すことを希望する」と語りました。

 戦争を体験した石村さんならではの憲法論は私の心に響きました。

 また、「平和的生存権」の歴史的意義を理解することが出来ました。

 念仏者9条の会第25回全国大会は山口県で来年1月31日に行われる予定です。

 地元の会員として会の成功に寄与していきたいと思います。

  高村副総裁が8月29日に行った横浜市の講演で憲法「改正」の日程について「改憲原案を来年の通常国会に出し(衆参両院の憲法審査会で審査して)発議してもらえればいい」と述べました。

 安倍首相は、9条改憲を2020年の憲法施行を目指すと表明しましたが、このスケジュールに変更がないことを高村副総裁は講演で述べたことを意味する発言です。

 人類史的意義のある憲法9条を変えてはなりせん。

 皆さんは、憲法9条をどうお考えですかご意見をお聞かせ下さい。

 

大分のオスプレイ 沖縄でも緊急着陸

 昨日の中国新聞は、「大分県国東市の大分空港に緊急着陸した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の垂直離着陸輸送機オスプレイが、6月に沖縄県伊江村で緊急着陸した機体と同じだったことが30日、分かった。」「中国新聞が入手した写真で確認したところ、伊江村の米軍伊江島補助飛行場に6月6日に緊急着陸した機体尾翼の『8014』の番号が大分空港の機体のものと一致。撮影した伊江村職員は『大分での緊急着陸は報道で知った。同じ機体のトラブルかを国に確認したい』とする。米軍は伊江島への緊急着陸の際、大分空港と同様に操縦席の警告灯が点灯したとして『予防着陸』と説明していた。」と報じました。

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙は「8月29日に大分空港に緊急着陸した米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)所属のオスプレイが、今年6月に沖縄県の米軍基地・伊江島補助飛行場に緊急着陸した機体と同一であることを、伊江村の名嘉實日本共産党村議が30日、確認しました。名嘉村議は、6月の伊江島でのオスプレイ緊急着陸を撮影しています。今回の緊急着陸について『報道で見た機体番号が伊江島に着陸したものと同じだ。まさに欠陥機だ。このまま日本国民、沖縄県民の頭上で飛ばし続けていいのか。オスプレイは撤退させるしかない』と語りました。沖縄県は30日、この問題で、原因が究明されるまでの飛行中止を在沖縄米海兵隊と沖縄防衛局に求めました。県基地対策課の金城典和課長が在沖海兵隊のダリン・クラーク政務外交部長と沖縄防衛局の本多宏光管理部長に口頭で要請。金城課長は、昨年12月に名護市安部(あぶ)で墜落し、今年6月に伊江島補助飛行場と奄美空港に緊急着陸、今年8月にオーストラリア沖で墜落したことを指摘し『飛行中止を求めても同様の事案を繰り返す米軍に怒りを禁じ得ない』と述べました。」と報じました。

 伊江村の名嘉村議の発言の通りです。オスプレイは欠陥機であることは明らかです。

 このまま日本国民の頭上を飛ばせ続けていいのでしょうか。

 オスプレイは普天間から撤退させるしかありません。

 大分に緊急着陸したオスプレイは、岩国でも白煙を上げていましたが、6月には、伊江島に緊急着陸していました。

 皆さんはこの問題をどうお考えですか。ご意見をお聞かせください。