岩国市の愛宕山開発用地で米軍家族住宅やスポーツ施設の建設が進められようとしています。
このような開発の場合、県の条例では、50㌶以上の造成面積の場合、アセスが必要です。
しかし、県は、防衛省が造成面積は45㌶であるとしているとして、アセスの実施を求めていません。
今日は、岩国地域の住民約15名が、環境生活部環境政策課環境アセスメント班の職員と、この問題で交渉を行いました。
私も同席しました。
前列、左から本田先生、岡村さん、松田さん、私
愛媛大学元教授の本田先生の国への情報公開請求で、この問題での国と県とのやり取りが明らかになりました。
昨年2月5日、国と県がこの問題で調整しています。
その際に、防衛省は「法面保護工事は、土地の管理行為なので、造成面積に入れない」と県に通告し、県が承諾しました。
私の6月県議会の質問に、半田部長は「法面補強工事について、中国四国防衛局からは国有地の管理行為と聞いている」と答えています。
今日の交渉の中で、本田元愛媛大学教授は、「土地の管理行為を造成面積から除外する法的根拠を示してほしい」と質しました。
吉母県環境アセス班長は「後日、回答する」と答えました。
また、防衛省が示した図面に、鉄塔らしきものが3本ありますが、これがどのようなものなのか議論になり、この点にもついても吉母班長は「後日、回答する」と答えました。
愛宕山を守る会の岡村代表は、「実施設計が10月にずれ込んでいるが、実施設計で造成面積が50㌶を越えた場合はどうするのか」と質しました。
吉母班長は、「後日、回答する」と答えました。
住民投票を力にする会の松田代表は、「山口県環境影響評価条例の3条に、『県、事業者及び県民は、環境影響評価の手続きが円滑に行われるよう努めなければならない』とある。地域住民は、アセスの実施を求めているので、この事を事業者である中国四国防衛局に伝えるべきだ」と質しました。
吉母班長は、「課として、中国四国防衛局に対し、住民から、アセスを実施すべきだとの要望があったことを伝える」と答えました。
また、中国四国防衛局の対応について「後日、内容を伝える」と答えました。
私は、交渉に参加しながら、アセス逃れに県が加担しているのではないかとの疑念を払拭することが出来ませんでした。
引き続き、この問題を追及していきたいと思います。
この問題に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
台風の中でしたが、子どもたちは、妻の実家のある大阪に昨日出発しました。
無事、妻の両親のいる大阪に子どもたちは到着したようです。
昨日から、我が家は夫婦二人。
まず、とても静かです。
食事、洗濯の量が激減して早くすみます。
言い争いは子どもたちのことが原因のことが多いので、穏やかな日々です。
子ども達がいない間に、自分の部屋と庭の掃除に今日、取り掛かりました。
自分の部屋はピカピカになり、庭は、半分綺麗になりました。
毎年、この時期に、子どもたちが大阪に行きますが、子どもたちにとっても親たちにとっても、いい休暇を取ることができるようです。
妻は、ビデオ三昧を決め込んでいるようです。
賑やかな日常が戻ってくる間、しばしの休養です。
皆さんは、どのような盆をお過ごしですか。
天童荒太さんの直木賞受賞作「悼む人」を読んでいます。
文庫版の紹介文を引用します。
「不慮の死を遂げた人々を『悼む』ため、全国を放浪する坂築静人。静人の行為に疑問を抱き、彼の身辺を調べ始める雑誌記者・蒔野。末期がんに冒された静人の母・巡子。そして、自らが手にかけた夫の亡霊に取りつかれた女・倖世。静人と彼を巡る人々が織りなす生と死、愛と憎しみ、罪と許しのドラマ。」
文庫下巻の最後には、この本の書評を4人の方々が書いています。
その一人が作家の重松清さんであり、彼が最後にこう書いています。
「物語は鏡だった。『悼む人』は物語から旅立って、読み手の生きる現実へと渡ってきた。静人の声が遠くから聞こえる。その声は、あなたには自分のことを悼んでくれる人がいますか、あなたが悼みたい相手はいますか、と繰り返し問いかけてくるのである。」
私が悼みたい相手は、やはり、1985年1月28日、「犀川スキーバス転落事故」で亡くなった22名の大学の同級生です。
何度も本ブログなどで紹介していますからご存じの方が多いと思いますが、転落したバスは、3号車で、私は2号車に乗車していました。
事故後、亡くなった学生が素晴らしかったことなどを聞くにつけ、「自分は死ぬ資格が無かったのだろう」などと落ち込むこともありました。
しかし、その後は、漠然と「亡くなった学生の分も生き抜いてやろう」と思えるようになりました。
ウイキペディアには「事故を悼み、事故現場には慰霊碑が建立された」とあります。
事故の生存者として、亡くなった学生を悼みに、慰霊碑を訪ねたいと重松清さんの文章を読んで思いました。
静人が本当にいたなら、もう現場で悼んでいることでしょう。
最近、天童さんの文章を読み続けていますが、「死」に対して真摯向き合う姿勢を感じます。
静人こそ、天童さん本人なのではないかと思われてなりません。
殺伐とした時代だからこそ、天童さんの文章や静人の立ち振る舞いが胸に響きます。
この小説を原作として、来年、堤幸彦監督によって映画化される予定です。
静人役は、高良健吾さん、倖世役は、石田ゆり子さん。
いいキャスティングです。 映画も今から楽しみです。
本作を始め、天童作品の感想をお聞かせ下さい。
本日、8月6日の早朝に大雨災害が発生した岩国市・和木町の被災地を視察しました。
視察したのは、私と、仁比聡平参院議員韮澤秘書、日本共産党中国ブロック石村智子さん、日本共産党県議候補松田さんらです。
最初に視察したのは、29歳の青年が土砂崩れで死亡した岩国市新港地区です。
左から私、韮澤秘書、松田さん、石村さん
6日、早朝、裏山が土砂崩れし、2軒の住宅が全壊しました。
家の中にいた青年が死亡しました。
現場の東側にあたる新港川上流には砂防ダムがあり、急傾斜地崩壊防止工事が行われています。
現場付近は、砂防ダムも急傾斜地崩壊防止工事も行われていませんでした。
早急な復旧工事が求められます。
次に視察したのは、発災後、100戸の集落が孤立した和木町瀬田地区です。
右から藤岡さん、私、石村さん、松田さん、韮澤秘書
多くの住宅が床上浸水しました。
お話を聞くことが出来た藤岡さんは、瀬田川西岸の竹林が崩落し、氾濫した現場に近い住宅に住んでおられます。
低地にある住宅で寝ておられましたが、早朝、浸水に気づき、隣接している二階家の二階に避難して一命を取りとめたそうです。
崩壊した竹林の改修と同時に再度災害が発生しないような瀬田川の拡幅改修が急がれます。
次に視察したのは、床上浸水が発生した岩国市多田地区です。
上の看板が台風14号の最高水位、下の線が今回
この地域は、2005年の台風14号の時にも床上浸水の被害が出た地域です。
県道より錦川寄りは、河川が拡幅されていますが、県道より住宅よりは、河川が狭隘なままです。
8年前の災害への対策として、多田川の改修にどのように取り組まれたのかどうか検証しなければなりません。
今度こそ、再度災害が起きないような多田川の抜本的な拡幅改修が急がれます。
構造的に困難なら、遊水池を設けるなど住宅地が床上浸水しないような対策の検討が必要だと思いました。
最後に視察したのは、床上浸水の被害が出た岩国市平田地区です。
写真上では、大谷川の浚渫が行われています
平田川の支流である大谷川が氾濫して多くの住宅が床上浸水しました。
お会いした井上さんは、高齢のお父さんが住む実家が床上浸水しました。
床上50センチ以上浸水し、畳が浮き上がったそうです。急いでお父さんを二階に担ぎ上げ、お父さんの一命を取りとめたそうです。
再度災害を防止するために、大谷川の拡幅改修が急がれます。
8月6日、岩国市周辺では、早朝、1時間に100ミリを超える豪雨が降りました。
被災者の方のお話をお聞きし、死者・行方不明者が2名だったことは奇跡だったと感じました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると同時に、被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。
視察中も断続的に台風11号の影響による雨が被災地に降っていました。
また、避難を伝える市の広報車にも出会いました。
この地域で二次災害が起こらないことを願います。
そして、被災者の支援が進み、災害の早期復旧が図られるよう、国会議員団と連携して取り組んでいきたいと思います。
視察した内容は、来週にも県当局に伝えたいと思います。
現在、宇部市では、台風の影響は少ないようですが、全県で被害が出ないことを願います。
その上で、被災者の方のご意見や、台風11号関連でお困りのことがありましたらご一報ください。
本日、第一回「うべ・くすのき合併10周年記念事業推進協議会」が開かれ、私は、宇部市PTA連合会からの委員として参加しました。
11月15日に、万倉ふれあいセンター周辺で、行われる予定の記念式典などのメインイベントが事務局より説明され協議しました。
合併については、「サービスは高く、負担は低く」なっているかなど、市民生活がどうなったかの検証が必要だと思います。
合併してよかったと言える宇部市にしていかなければならないと思います。
特に、楠町吉部出身の私としては、楠地域の皆さんの声に今後ともしっかり耳を傾けて県議としての活動を続けていきたいと思います。
楠地域の皆さんをはじめ市民の皆さん、合併についてのご意見をお聞かせ下さい。
その上で、記念事業が成功するように委員として役割を発揮していきたいと思います。