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山口県弁護士会が安保法制廃案求める会長声明を発出

 4日、山口県弁護士会は、「衆議院が安全保障法制に関する法案を可決したことを抗議し、廃案にすることを求める会長声明」を発出しました。

 会長声明は「本法案は、平和主義を定めた憲法前7分及び第9条に違反し、平和国家としての日本の国の在り方を根底から覆すものであり、かつ、これらの憲法の条項を法律で改変するものとして立憲主義の基本理念に真っ向から反するものである。」「憲法改正手続きを踏むことなく憲法の実質的改正をしようとするものとして国民主権の基本原則にも反するものである。」と戦争法案を厳しく批判しています。

 その上で、「東海は、基本的人権の擁護を使命とする法律家の団体として、本法案の違憲性を強く訴え、衆議院が本法案を可決したことに強く抗議し、改めて国会において廃案にすることを求めるものである。」としています。

 山口県弁護士会は、6月10日にも、「安全保障法制改定法案に反対する会長声明」を発出しています。

 安倍首相は、地元の法律家団体、山口県弁護士会の意見に従い戦争法案は廃案にすべきです。

 県弁護士会は、8月9日の日曜日、下関市で、安保法制の廃案を求める集会を行い、市内から500名の参加者がありました。

 安倍首相は、地元山口県民の声を傾け、戦争法案は廃案にすべきです。

張本勲さんの「あの夏」

 8日土曜日の読売新聞の「戦後70周年あの夏」に元プロ野球選手の張本勲さんのインタビューが掲載されていました。

 張本さんの両親は、日本の植民地だった朝鮮から日本にやってきます。

 張本さんは広島市で生まれ、5歳で原爆投下の日を迎えます。

 張本さんは、原爆でお姉さんを亡くします。その時の様子をこう表現しています。

 「2日ぐらいたち、比治山で勤労奉仕中に行方不明になった姉が、服の名札を手がかりに担架で運ばれました。優しくて、美人で、慕っていた姉でした。それが顔も分からないような無残な姿になって、『熱い、熱い』と。私はブドウを取って、姉の口に持っていった。汁が出たかは覚えていない。でもかすかに姉が、勲ちゃん、ありがとう。母は着ていたチョゴリを引き裂いて、不眠不休で冷やそうとした。一日半ぐらい、生きていましたかね。」

 在日朝鮮人として差別を受けた張本さん。こう表現しています。

 「原爆で姉を亡くす前の年のこと。4歳だった私は、バックしてきた三輪トラックにぶつけられて、たき火の中に転がり込み大やけどを負いました。顔や胸の傷は治ったが、右手は薬指と小指が燃えてしまって完全に癒着し、親指と人さし指も曲がったまま。叔父が警察に届けたところ『お前ら朝鮮人じゃないか』と、取り合ってもくれないといいます。叔父は震えるぐらい悔しかったと言っていた。」

 張本さんは、こう語ります。

 「人間には知恵がある。お互いに引くところは引き、話し合えば片づかないものはないというのに、なぜ争うのか。政治は分かりませんが、喧嘩してもどっちもマイナス。その最たるものが戦争です。」

 今こそ安倍首相には智恵を出して戦争を防ぐ平和外交にこそ力を尽くしてほしいと思います。

 張本さんの言葉が心に響く被爆70年の夏です。

ドリームチャレンジ2015IN太田原

 山口県PTA連合会主催のキャンプ「ドリームチャレンジ2015IN太田原」に娘と一緒に参加しました。

 私は、県P連総務副委員長ということもあり、スタッフの一員として参加しました。

 小学生は4年生から6年生の約60名。そして、山口大学教育学部を中心とした学生ボランティアが約30名。PTAスタッフがのべ20名といった布陣でした。

 久しぶりの本格的なキャンプ企画へのフル参加でした。

 50歳を過ぎた私ですが、これだけワクワクドキドキする体験が出来たことに感謝する3日間でした。

 8日金曜日は、夕方から、ピザづくりを行いました。

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 子どもたちは美味しそうに手作りビザを食べました。

 子どもたちは、生地づくりからトッピングまで行いました。

 手作りのピザ窯で、焼いたピザは、私の人生で食べた最高のビザでした。

 私は、ピザ窯担当で、窯の中を600度に維持するために、蒔をくべ続けました。

 子どもたちが美味しそうに食べる姿に癒されました。

 9日土曜日は、午前中は、魚切の滝周辺を散策。

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 周南市魚切の滝周辺は天然のクーラーでした。

 子どもたちは涼しそうでした。

 午後は、ニジマスのつかみ取りとニジマスの塩焼きを皆で食べました。

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 ニジマスのつかみ取りを体験した子どもたち

 その後は、バーベキュー。私は、コンロの当番で、炭をおこしづつけました。

 夜は、キャンプファイアー。班ごとのスタンツにPTAスタッフも大笑いしました。

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 キャンプファイヤーで火の神が登場しました。

 今日の最終日は、ソーメン流し。

 子どもたちは、竹で箸と器を作って、自分の食器でソーメンを食べました。

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  自分が作った箸と器でソーメンを食べました。

 私は、ソーメンをゆでる釜の当番でした。

 考えてみると、3日間で、5時間以上、窯やコンロや釜の前に居ました。

 こんな経験は初めてです。

 火をおこしたりすることが好きなんだということを実感する3日間でした。

 参加した娘も山大生ととても仲良くなり、とても楽しい3日間のようでした。

 私の50年の人生の中でもとても充実した3日間を過ごしました。

 このような体験が出来た山口県PTA連合会と娘に感謝する気持ちで一杯です。

 ドリームチャレンジに関係した全ての皆さんに感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

8月6日の意味を深く胸に刻み

 昨日から甲子園が開幕しました。

 京都府代表の鳥羽高校梅谷主将は、「次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います」と選手宣誓を行いました。

 高校野球が始まって100年ですが、第97回全国高校野球大会です。

 以下、今朝のしんぶん赤旗の「鼓動」から甲子園の歴史を紹介したいと思います。

 太平洋戦争が迫1941年夏、地方予選が始まったのの、甲子園大会は開かれませんでした。

 終戦の8月6日には空襲でグランドに無数の焼夷弾が突き刺さり、一塁側のスタンドの一部が消失していました。

 46年1月の「大阪朝日」社告には、「明朗健全なる国家の建設はスポーツいよって培われるフェアプレーの精神・・・にその基礎を置かねばならない」「戦争によってゆがめられた若き心をスポーツによって本来の姿に立ち返らせるとともに、野球を通じて民主主義精神の育成を」と書かれていましす。

 梅谷主将の宣誓を私たち全てが胸に刻み、平和を築く一歩を踏み出さなければなりません。

・・・

 今日から、日曜日まで、山口県PTA連合会の「ドリームチャレンジ2015」に参加のため周南市の太田原自然の家に宿泊します。

 明日のブログはお休みしますのでご理解下さい。

 子どもたちに元気をもらうキャンプにしたいと思います。

 小5の娘と一緒に参加します。

 

「関門海峡道路『調査せず』」との報道について

 昨日の山口新聞は、「政府は4日、地元自治体が建設に向け調査の再開を求めている『下関北九州道路(関門海峡道路)』について『調査はしない』とする従来の方針をあらためて示す答弁書を閣議決定した。」と報じました。

 私は、県が平成25年度予算の高速道路網調査費の中に、下関北九州道路を入れたことに対し平成25年2月県議会で「関門海峡道路を含めた6大海峡横断プロジェクトの調査について、国交大臣は、2008年3月の参議院予算委員会で『個別的な調査研究は一切、もうやめる』『お金は出さない』と答弁した。」「なぜ、巨額を投じて、下関北九州道路を作らなければならないのか」と質しました。

 県は、「都市間連絡道路として、災害時にも機能するネットワークを構築する道路として、その整備は必要不可欠と考えており、新たな国土軸を形成するための『海峡横断プロジェクト』とは明確に性格が違う」などと答え、平成25年度以降、関門海峡道路の調査費を予算に計上し続けてきました。

 また、福岡県と山口県の政官財で「関門海峡建設促進協議会」を再開させ、建設促進を国に求めていました。

 今、新国立競技場の見直しが検討されるなど、国の財政状況の中で、行き過ぎた投資を見直す動きが顕著です。

 関門海峡道路に対する国の今回の閣議決定は賢明なものと考えます。

 村岡知事は、山口新聞の取材に「われわれとしては、必要性や効果について調査を行い、整理している。必要性や効果が高いことを国にきちんと説明することが重要。関係団体と力をあわせて必要性を訴えていきたい」と述べたと報道されています。

 事業費が1500億円を越えると言われている関門海峡道路が必要でしょうか。

 村岡知事は、閣議決定を重く受け止め、関係団体と関門海峡道路を断念する検討を行うべきだです。

 関門海峡道路に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

蓮如物語

 五木寛之さんと梅原猛さんが対談した「仏の発見」を読みました。

 五木寛之さんが改めて、法然や親鸞と比較しながら蓮如のすばらしさを語っています。

 「蓮如は、大衆性そのものなんです。努力して大衆的になろうとした人ではなく、根っから大衆的な人なんですよ。」

 などなどの下りを読みながら、20年前に刊行されて当時、感動しながら読んだ五木寛之著「蓮如-聖俗具有の人間像-」を読み直しました。

 法然・親鸞同様、蓮如も国から追われながら、あれだけの巨大教団を作り上げた過程が手を取るように理解できました。

 そして、五木寛之著「蓮如物語」を読みました。

 この物語は、小学生にも理解できるように書かれた作品です。

 6歳の布袋丸が母と別れるシーンは忘れることが出来ません。

 「蓮如物語」の解説で、僧侶の太田信隆さんが「五木蓮如」と表現しています。

 太田さんは、「五木さんでないと捉えることができなかった蓮如さんの人間像が、美事に、生き生き描かれているとをいっているようです。蓮如さんが、一生を終えて500年たって、やっと気心が通じる書き手と出会い、そこで生まれたのが『五木蓮如』であるといってよいと思います。」と書いています。

 「五木蓮如」の三部作目「蓮如-われ深き淵より-」をこれから読みたいと思います。

 先日、図書館で岳宏一郎著「蓮如夏の嵐」を借りてきて、今読んでいます。

 岳さんの蓮如は、五木蓮如とまた違う趣があります。

 複数の作家が描く蓮如を知ることで、深く蓮如を知ることにつながります。

 この夏は、蓮如さんと一緒に過ごす夏になりそうです。