藤本かずのりサポーターズ はじめました

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「力の正義」と「秘密主義」の拡大による「新しい戦前」を回避する道は歴史の教訓を顧みること

 15日付、中国新聞の山中和久論説主幹の「『力は正義』被爆地は認めぬ」という記事を紹介します。
 「戦後80年の節目に平和国家日本の歩みを振り返り、二度と戦争を起こさない、起こさせない、との決意を新たにしたい。何より見つめ直すべきは無謀な戦争に突き進み、国民を巻き込んだ国策の誤りだ。その帰結として広島・長崎への原爆が投下され、多くの命が奪われた。それゆえに被爆地は、核兵器廃絶とともに、不戦を訴えてきた。数年前から『新しい戦前』という言葉を耳にする。戦争体験者が激減し、悲劇が忘れ去られようとしているのではないか。戦後80年の世論調査で、先の戦争が『侵略戦争だった』と答えた人は70歳以上で半数を占めた一方、40代以下は30%台だった。アジアへの加害認識を巡る分断に驚くほかない。こうした状況と無縁ではなかろう。集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力の保有、防衛予算の大幅増、防衛装備品の輸出拡大・・・。敗戦で軍国主義と決別したはずの平和国家の変節が際立つ。中国などへの対応を念頭に、日本は米国の『核の傘』への依存を深めつつある。自衛や抑止の名の下に『力による正義』の危うさが垣間見える。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ攻撃・・・。地球儀を回せば『力による正義』が横行する。その行き着く先は『核は正義』となる。絶対に認められない。非戦のために抑止力が必要だという主張は正論のようにも聞こえる。しかし、際限のない軍拡競争に陥りかねない。台湾有事を想定した日米拡大抑止協議では核兵器使用も視野に入れた議論が行われている。非核の国是が揺らぐ事態だ。何より国際ルールを踏みにじるトランプ米政権に安全保障を委ねる危うさを看過できない。戦後史の重みや、憲法の定める平和主義が抜け落ちているのではないか。しかも国民に十分な説明がないままに進められている。戦後日本は言論の自由を得たが、これでは戦前・戦時と変わらない秘密主義だ。自衛の名の下に戦争が始まった史実を忘れてはならない。北東アジアの緊張は日米同盟だけでは乗り越えられない。争いを防ぐ最大の抑止力は、官民を通じた外交力である。相手との対話を通じ、相互不信の解消に努めることが重要だと肝に銘じたい。日本の復興は、民主主義や法の支配を尊重する国際社会があり、日本が平和国家として歩んできたからこそ、成し遂げられたといえよう。国際秩序の再生に貢献する役割を日本は果たすべきだ。だからこそ私たちも、過ちを忘れず、平和への誓いを守り続けなければならない。歴史の教訓を顧みない動きには、被爆の惨禍を知るからこそ声を上げたい。それが80年続いた『戦後』を次世代につなぐ道になる。」
 私は、この盆休みに山口市のワイカムシネマで、山本薩男監督の映画「戦争と人間」の3部作を全て観ました。合計9時間を超える超大作です。日本が中国に侵略し、どのように戦線を拡大していったか、克明に描かれています。まさに、80年前までの日本は、「力が正義」だったことを実感しました。
 時同じく、NHKでは、昨夜までの2日間、NHKスペシャル「シミュレーション 昭和16年夏の敗戦」を放映しました。真珠湾攻撃の8ヶ月前に、時の政府内に「総力戦研究所」が編成され、軍官民から、若きエリートが招集され、日米開戦の戦局をまさにシミュレーションしました。研究所の結論は、日本の敗北となるーだったにも拘わらず、時の政府は、日米開戦を選択し、日中戦争からアジア太平洋戦争へ突入しました。時の政府は、「力は正義」を選択したのではないでしょうか。
 映画「戦争と人間」は、反戦を訴え、多くの若者が時の政府から拷問を受けるシーンが繰り返し映し出されます。映画で、吉永小百合が勤めていたのが、セツルメント診療所でした。私も、大学のサークルでセツルメントを行っていましたので、とても懐かしく感じました。このセツルメントにも特高警察が介入します。
 冒頭の記事にある反戦を訴える人々を弾圧する「秘密主義」が80年前の戦争を拡大する背景の一つであったことは間違いありません。スパイ防止法制定を訴える政党の台頭が、「新しい戦前」を想起させます。
 冒頭の記事を紹介しようと思ったのは、この言葉です。
 「歴史の教訓を顧みぬ動きには、被爆の惨禍を知るからこそ声を上げたい。」
 私は、今この、この言葉の重みを国民一人一人が感じる必要があると思います。
 私は、この夏、山本薩男監督の映画「戦争と人間」から、また、ブログに描いたように、笠原十九司著「南京事件 新版」から歴史の教訓を学びました。
 繰り返し、繰り返し、歴史の教訓を学んでいきたいと思います。
 そのことが「新しい戦前」にさせない道だと確信しています。

エレン・クラス監督の映画「リー・ミラー 彼女の瞳に映す世界」を観ました。

 盆休みに、エレン・クラス監督の映画「リー・ミラー 彼女の瞳に映す世界」を観ました。
 映画のパンフレットの『イントロダクション」を引用します。
 「リー・ミラーが映し出す写真には、人間が持つ脆さと残酷さの両方が刻みこまれ、今もなお人々を惹きつける歴史的記録として真実を伝えている。第二次世界大戦の激化を最前線で取材し、ノルマンディー上陸作戦やブーヘンヴァルトとダッハウ強制収容所の残虐行為を目撃し、ヒットラーが自死した1945年4月30日当日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室でポートレートを撮り戦争の終わりを伝えた。映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』は、現在における偉大な戦争報道写真家の一人としてその名を歴史に刻んだ、リー・ミラーの人生の10年間に焦点をあてた物語だ。」
 映画のパンフレットで、翻訳者・映画評論家の篠儀直子は、女性写真家としての葛藤を次のように書いています。
 「まだ、女性写真家が珍しかった時代に、彼女は男社会へと勇敢に突入していく。それを視覚化するかのように、映画のなかでリー・ミラーは繰り返し戸口に立つ。あるときは中に入ることを拒まれ、あるときはやすやすと入っていく。(中略
やがて、彼女の突破の試みは、最も強烈なかたちで成功する。タバコで警備兵を買収し、相棒のディヴィット・シャーマンとともに、ヒトラーのバスルームでの入浴写真をものにするのだ。彼女の最もアイコニックな戦争写真が、結局『撮られる側』としての写真だというのは皮肉にも思えるが、ブーツにこびりついた収容所の泥をバスマットに荒々しくなすりつけるリーの仕草は、信じる方向へと突き進む彼女の性格と、激しい怒りを表現して余りある。」
 ヒットラーのバスルームで写真を撮影するシーンは、圧巻でした。彼女の仕事の集約点がここにあることを実感しました。
 インターネットのアート・アジェンダに、映画評論家の長野辰次さんは、「そしてヒットラーのバスタブ以上の衝撃写真となったのが、ダッハウ強制収容所の内情をとらえたスクープ写真だった。貨車の中のユダヤ人たちの死体が薪のように積み重ねられ、収容所にはやせ細った女性や子どもたちが辛うじて生き残っていた。シュールという言葉ではもはや表現できない、人間の残酷さを極めて絶滅収容所の惨状を、リーは世界で初めて演じることとなった。」
 私は、ヒトラーの蛮行を取り上げた映画を何本か観てきたが、この映画は、心の奥底に「怒り」を湧き起こさせるものでした。
 主演を演じたケイト・ウィンスレットがこの映画を企画し、主演を務めました。リー・ミラーを映画化は何度も企画されたようですが、この程、初めての映画化となった背景に、ケイト・ウィンスレットの存在があったことは間違いありません。彼女の生き方が、リー・ミラーと重なり、見事な映画となっています。
 自国ファーストの究極が、ナチス・ヒットラーの政治だと思います。極右勢力が台頭してきた日本の現状の中だからこそ、ヒットラーのバスタブで、自らを撮影したリー・ミラーの写真から学ぶものは多いと思います。
 山口市のワイカムシネマで、22日まで上映されています映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」を一人でも多くの皆さんに観ていただきたいと思います。
 もし、ご覧になった方がおられましたら、感想をお聞かせください。また、この夏、皆さんがご覧になられた映画の感想をお聞かせください。
 リー・ミラーの写真を実際に観てみたいと思いました。

軍事ジャーナリストの半田滋さんを講師にした「特定利用空港問題オンライン講座」を開催します

笠原十九司都留文科大学名誉教授の「南京大虐殺の史実は消せない」しんぶん赤旗のインタビューを紹介します。

 13日、しんぶん赤旗日刊紙に、私が敬愛する笠原十九司都留文科大学名誉教授の「南京大虐殺の史実は消せない」が次のように掲載されました。
 「参議院選で参政党など極右排外主義政党が日本の侵略戦争を否定するデマをふりまき、伸長しました。歴史の事実はどうだったのか、今、なぜ史実をゆがめる勢力が台頭するのか、それとどうたたかうか、南京大虐殺事件に詳しい都留文科大学名誉教授の笠原十九司さん(中国近現代史)に聞きました。Q参政党の神谷宗幣代表は該当で『日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそです』と演説しました。A参院選では南京大虐殺はなかったと繰り返す日本保守党の百田尚樹代表も当選しました。兵器でそんなフェイク(偽情報)を広める政党が台頭する日本の現状は危うく、恐ろしい。しかし、彼らがいくら否定しようと、侵略戦争の歴史の事実を消すことはできません。日本軍は1937年7月7日、中国への全面的な侵略を開始しました。南京事件は8月15日に海軍航空隊が南京渡洋爆撃を始めて以降、南京攻略戦、12月13日の陥落、占領の全期間に、中国人兵士と民間人への戦時国際法違反の殺戮、略奪、強姦など蛮行の限りをつくした事件です。犠牲者数は日本軍関係の資料で最大10万人以上、慈善団体などの埋葬資料で最大21万8849人です。犠牲者総数の概数は十数万以上、20万人かそれ以上と推測されます。南京空襲は50数回に及びました。Qその実態はどうだったのでしょうか?A日本軍は『あらゆる手段をつくし敵を殲滅すべし』という包囲殲滅戦で中国の負傷兵、投降兵、捕虜、敗残兵、住民、難民を殺戮しました。第16師団の中嶋今朝吾師団長は日記で『大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くること』と書き、捕虜を殺害したのです。日本軍に追われ長江に逃れようとした敗残兵や避難民の大群はサーチライトを照らす軍艦からの機銃掃射で虐殺されました。特に際立つのは女性への強姦・輪姦・殺害でした。南京安全区国際委員会によると南京占領後に多発し、1日に1000人もの女性が犠牲になりました。同委員会のフィッチ氏は『婦人は五カ月の赤ん坊を故意に窒息死させられました。野獣のような男が彼女を強姦する間、赤ん坊が泣くのをやめさせようとしたのです』と日記に記しています。それは被害者の心も深く傷つけ、苦しめ続けました。日本軍は南京入場後、家具や衣料、現金などを略奪し、建物に放火して市全体の24%を焼失させました。南京付近の農村では、農作物や家畜などを大量に略奪し、40%の農家を焼き払いました。日本軍の略奪は食料、弾薬など軍事物資を補給する兵站部隊が貧弱で、食料など現地で徴発したため起こりました。多数の捕虜や避難員などに食べさせる食料がなかったことも集団殺害の一因です。軍内部の下克上で統制が取れず軍規が乱れる中、『南京一番乗り』をあおり補給を無視した強行軍が戦時国際法違反の大虐殺につながりました。Q史実を覆い隠そうとする潮流の台頭をどうみますか。A『戦後レジームからの脱却』を掲げ、歴史修正主義と憲法改悪を推進してきた安倍晋三政権が背景にあると思います。それを支えてきたのが侵略戦争を否定する日本会議でした。安倍氏も岸田文雄前首相、石破茂首相も日本会議国会議員懇話会のメンバーです。ジャーナリストの青木理氏が『日本会議の正体』で指摘したように『戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなもの』と言えます。2013年4月10日の衆院予算委員会で自民党教科書議連事務局長の西川京子氏は、山川出版社の日本史教科書の『従軍慰安婦』と南京事件の記述を『自虐史観』『反日思想』に基づくものと批判し、パネルで南京事件の関連問題を入試に出題した私立学校名を列挙し避難。南京で行われたのは『通常の戦闘行為以上でも以下でもなかった』と述べました。当時の下村博文文部科学相が教科書検定制度見直しの検討を表明。安倍首相は中山成彬氏の同趣旨の質問に、愛国心などを書き込んだ改正教育基本法の精神が生かされていないと見直しの必要性を強調しました。その結果、14年度の中学校教科書検定から、南京事件など『通説的見解がない数字の事項について記述する場合には、通説的見解がないことが明記されている』こととし、西川発言を『政府統一見解』として記述させることにしたのです。南京事件から60年の1997年、家永教科書訴訟の最高裁判決で、南京大虐殺の記述書き換えを強要した文部省の教科書検定が違法だったことが確定しました。その後、歴史教科書の南京事件の記述も改善されました。この成果を突き崩そうとしたのが安倍政権の教科書攻撃でした。こうした自民党政権の歴史の偽造が、今の極右排外主義の潮流を勢いづかせる土台となっています。Q与党も自民、公明両党が衆院でも参院でも過半数割れする一方、排外主義、歴史修正主義の極右的潮流が台頭する中、その流れを阻止するにはどうすればよいと考えますか。A近著『南京事件 新版』(岩波新書)で紹介したように、南京で海軍の掃討作戦に巻き込まれた陳頤鼎さんは「軍艦上の日本兵たちが、長江を漂流する無力の戦友たちを殺戮しては拍手し、喜ぶ姿も見えた。このときの怒りは、生涯忘れることができない』と証言しています。今、侵略戦争で犠牲になった人たちの痛みを想起できるかどうかが大事だと思います。ウクライナへのロシアの侵略戦争やパレスチナ自治区ガザでのイスラエルによるジェノサイド(集団殺害)はテレビなどでその惨状を知り、犠牲者の痛みを感じることができます。しかし、南京大虐殺事件は当時、世界にはニュースが流れ問題になりましたが、日本は報道統制で事実を隠し、戦勝を祝うニュースのみで、国民の多くは知ることができませんでした。戦後、南京大虐殺の史実は史料や証言の発掘、研究によって明確になっています。ところが今、これを否定する政権と極右的潮流の策動によって日本人が侵略の事実を想起できなくされようとしています。それは岸田および石破自公政権が大軍拡と敵基地攻撃能力の保有で戦争への道を突き進む動きと一体のものです。日本が侵略戦争で多数の人びとを傷つけた歴史の事実を学び、二度と繰り返さないことを教訓にしなければなりません。それを阻む極右的潮流とのたたかい、憲法9条に基づく戦争反対と平和の世論・運動を大きく広げる時だと思います。」
 笠原十九司さん著作では「憲法九条と幣原喜重郎 日本国憲法の原点の解明」という本に感銘しました。理論書であるにも関わらず、推理小説のように、様々な事象を丁寧に紹介し、読者を飽きさせない笠原十九司さんの筆力に敬服しています。
 今、この記事にある、笠原さんの近著「南京事件 新版」を読んでいます。笠原さんは、書籍の名前を南京大虐殺ではなく、南京事件にしたことについて、本書でこう書いています。
 「南京大虐殺という呼称では、殺し殺されることだけに焦点が当たり、どれほどの規模の虐殺があったか、何人が殺害されたかという数の問題にばかり関心が寄せられることになる(虐殺否定論が繰り返される理由の一つである)。しかし、本書のように南京事件を『事件』ととらえることによって、それがなぜ発生したのか、その国内外への影響はどのようなものだったのか、虐殺被害者の遺族はその後どうなったのかなどの問題も視野に入れることができる。さらに、本書で重視したのは海軍航空隊の南京爆撃、日本軍によるアメリカ砲艦パナマ号の撃沈も含めた政治、外交問題もこの事件の一環に位置づけて考察すべき課題、対象となってくる。南京事件を『事件』として解明し、歴史像全体を叙述していくために選択した呼称なのである。」
 記事では、「南京事件は(1937年)8月15日に海軍航空隊が南京渡洋爆撃を始めて以降、南京攻略戦、12月13日の陥落、占領の全期間に、中国人兵士と民間人への戦時国際法違反の殺戮、強姦など蛮行の限りを尽くした事件」と笠原さんは述べています。
 日本海軍航空隊による南京を含む中国各地での都市無差別爆撃は、当時日本も加盟していたハーグ陸戦条約に違反する行為であったと笠原さんは指摘しています。
 日本の中国への都市無差別爆撃について、当時、アメリカのルーズベルト大統領が次のような演説を行ったと笠原さんは新書に書いています。
 「宣戦の布告も警告も、また正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態が現出している。このような好戦的傾向が漸次他国に蔓延するおそれがある。彼らは、平和を愛好する国民の共同行動によって隔離されるべきである。」
 日本海軍航空隊が行った中国各地での都市無差別爆撃は、世界から隔離されるべきと痛烈に批判されたのです。
 南京事件として、一連も歴史を知る重要性を感じながら、笠原さんの「南京事件 新版」を読んでいます。
 記事にある笠原さんの「(南京大虐殺)を否定する政権と極右的潮流の策動によって日本人が侵略の事実を想起できなくさせられようとしています。それは岸田および石破自公政権が大軍拡と敵基地攻撃能力の保有で戦争への道を突き進む動くと一体のものです。」という言葉が心に刺さります。
 山口宇部空港の特定利用空港指定も、山陽小野田市への宇宙監視レーダーの設置も、私は、この流れの一環だと考えています。
 そして、笠原さんの「日本が侵略戦争で多数の人々を傷つけた歴史の事実を学び、二度と繰り返さないことを教訓にしなければなりません。」という言葉も心に刺さります。侵略戦争よって、日本に原爆投下された被害の歴史と同時に、日本の加害によって、多くの人々を傷つけた歴史を学ぶ重要性を感じています。私は、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の運営委員として、犠牲になった韓国の遺族の方々と交流しています。私は、この事故も、侵略戦争で多数の人々を傷つけた歴史の事実の一つだと考えています。
 最後に、笠原さんの「憲法9条に基づく戦争反対と平和の世論・運動を大きく広げる時だ」との言葉も心に刺さります。
 総がかり行動うべ実行委員会では、9月6日(土)午後2時から、軍事ジャーナリストの半田滋さんを講師に、「特定利用空港問題のオンライン講座」を開催します。この学習会は、憲法9条に基づく戦争反対と平和の世論・運動を大きく広げる活動だと考えています。
 一人でも多くの皆さんの参加をお願いいたします。
 私のブログにチラシを添付しておきます。
 盆休み後半、笠原十九司著「南京事件 新版」を読み進めたいと思います。
 南京事件を始め、日本の加害の歴史について皆さんのご意見をお聞かせください。
 

美祢市美東町太陽光発電施設建設現場から県道に土砂が流出する事案が発生しました。

 県道小野田美東線と県道秋芳西寺線が交差する十文字交差点から宇部市方面に向かうと、中国自動車の下を通ります。中国自動車道と県道小野田美東線の隣接地に、美祢市美東町太陽光発電所が建設されています。
 地域住民の方から、「9日の大雨で、土砂が道路に流出している」との声が私に寄せられました。

 写真右端が中国自動車道。右上から左下に走る道路が県道小野田美東線。左上からの赤土部分が太陽光発電施設建設現場

 (歩道部分や、下り車線に赤土が残っていることが分かります。8月14日午後撮影)

 昨日、県土木建築部に①道路管理者として道路への土砂の撤去を業者に伝えること②再発防止策を講じるよう業者に伝えることの2点を要請しました。
 私が、昨日、2時過ぎに、現地を通過した際、太陽光発電所を施行している業者が、県道の歩道部分の土砂を除去していました。
 施行業者の担当者は、「県から県道の土砂を撤去するよう連絡を受けた。現在、歩道の土砂を除去している。道路の清掃も今後行う予定だ。」と私に答えました。
 地域住民の方から、「太陽光発電所が建設され、太陽光パネルが据え付けられると、太陽光がパネルに反射し、その光が、中国自動車を走行する自動車の運転に影響を与えるのではないか」との指摘が出されています。
 私が、施工業者の担当者に、その事を指摘すると、担当者は「太陽光がパネルに反射した光が、中国道に影響を与えないような傾斜に設計している。また、実際に影響が及んだ場合は、遮蔽物などを作ることも検討したい」と答えました。
 現地に設置してある「太陽光発電施設に関する標識を見ると、この施設は、今年4月9日に、美祢市長の同意を得ています。設置区域の面積は、8686㎡です。想定発電出力は約1000kWです。太陽光発電施設の設置に係る工事の期間は、今年末までとなっています。施工事業者は、広島県の事業者で、施主は、東京都の事業者です。このような体制で、今回のような緊急事態が発生した場合、事業開始後に、迅速な対応ができるか不安が残ります。
 美祢市には、「美祢市における太陽光発電施設の設置に関する条例」が制定されており、条例4条に「設置区域の所有者又は管理者は、当該太陽光発電施設の設置により災害及び生活環境への被害等が発生しないよう、当該土地を適正に管理するよう努めなければならない」と規定しています。
 条例5条には、市長が、土砂災害を予防するため、太陽光発電施設の設置に当たって設置者が細心の注意を払うべき区域することが定められています。条例5条3で、土砂災害警戒区域をその区域とすると定められています。

 条例15条では、「市長は、必要があると認めるときは、設置者に対し、太陽光発電施設の設置に関し、災害及び生活環境への被害等が発生しないために必要な措置を講じるよう指導又は助言を行うことができる。」と規定しています。

 今日、午後、美祢市建設課に出向いて、条例に基づき、事業者を指導するよう要請しました。

 対応した担当者は、「今年4月9日、太陽光発電施設の届出を受理した。今回の土砂流出を受け、条例15条に基づく事業者への指導・助言ができないかどうか現在、検討している所だ」と答えました。
 今、建設中の太陽光発電施設が、条例に基づいて、今回の事案を含め、今後とも、災害及び生活環境への被害等が発生した場合には、美祢市が適切に指導され、適正に管理されることに期待したいと思います。

 また、隣接地が県道であることから、今回の事案を含め、今後とも、災害等が発生した道路の通行に支障が出た場合は、道路管理者である県による行政指導が行われるよう、必要な対応を求めて行きたいと思います。
 2019年に、岡山県は、「岡山県太陽光発電施設の安全な導入を促進する条例」を制定しました。条例は、太陽光発電施設の設置禁止区域を①砂防指定地②地すべり防止区域③急傾斜地崩壊危険区域④土砂災害特別計画区域ーと定めています。
 私は、過去の議会や委員会で、山口県は岡山県同様の太陽光発電施設の設置禁止区域を制定するよう求めてきました。
 私は、引き続き、県に対し、岡山県同様の条例の制定を求めたいと思います。太陽発電施設が土砂災害を発生させる事態が起きないよう、必要な発言を続けていきたいと思います。
 太陽光発電施設に関する皆さんのご意見をお聞かせください。

今回の大雨災害で、宇部市は災害救助法が適用されます。個人で利用できる制度を紹介します。

 9日から11日にかけて降り続いた大雨で、宇部市内で床上3棟、床下53棟の被害が出ました。県全体では、浸水被害は98件でした。被災された皆様にお見舞い申し上げます。
 宇部市は、災害救助法が適用されました。
 個人の方が受けることができる救助項目について、県担当者からお聞きしたこと(内閣府の資料)をもとに報告します。
 まず、被服、寝具その他生活必需品の給与・貸与です。
 対象者は、住家の全壊、全焼、流失、半壊、半焼又は床上浸水、全島避難等により、生活必需品を喪失又は損傷等により使用することができず、直ちに日常生活を営むことが困難な者です。
 救助期間は、災害発生の日から10日以内です。
 対象経費は①被服、寝具及び身の回り品②日用品③炊事用具及び食器④高熱材料です。
 次に、住宅の応急修理です。
 対象者は、災害のため住家が半壊(焼)又はこれに準ずる程度の損傷を受け、雨水の侵入等が放置すれば住家の被害が拡大するおそれがある者です。
 費用の限度額は、1世帯当たり53900円以内です。
 救助期間は、災害発生の日から10日以内に完了です。
 次に学用品の給与です。
 対象者は、災害により住家の全壊(焼)、流失、半壊(焼)又は床上浸水による喪失若しくは損傷等により学用品を使用することができず、就学上支障のある小学校児童、中学校生徒及び高等学校等生徒(幼稚園児、専門学校生、大学生等は対象外)です。
 費用の限度額は、①教科書、正規の教材は実費②文房具、通学用品は、小学校児童5500円以内、中学校生徒5800円以内、高等学校等生徒6300円以内です。救助期間は、災害発生の日から①教科書、教材は1か月以内②文房具、継ぐ学用品は15日以内です。
 次に、障害物の除去です。
 対象者は、半壊(焼)又は床上浸水した住家であって、住居又はその周辺に運ばれた土石、竹木等で一時的に居住できない状態であり、自力で当該障害物を除去できない者です。
 費用の限度額は1世帯当たり143900円以内です。
 救助期間は、災害発生の日から10日以内です。
 対象経費は、ロープ、スコップその他除去のために必要な機械、器具等の借上費又は購入費、輸送費及び賃金職員等雇上費等です。
 災害援助法の救助項目で活用したという方は、窓口は、宇部市ですので、宇部市に問い合わせください。
 更に、宇部市のホームページに、「被災された皆様への支援制度」の一覧が掲載されています。それぞれの窓口に相談ください。
 宇部市の支援制度に、災害見舞金があります。内容は、住宅が床上浸水、半壊以上の被害を受けた世帯に見舞金を支給するものです。
 同様の県制度として、「山口県災害見舞金」があります。この制度は、災害により住宅が全壊又は半壊した世帯に対して見舞金を支給するものです。
 私は、県災害見舞金を床上浸水の被災者にも適用するよう過去の議会で指摘してきました。
 県は、この度の災害から、県災害見舞金を床上浸水の被災者にも拡大して、該当する方に見舞金を支給すべきです。
 県が、宇部市に災害救助法の適用を認める仲介を行ったことは評価しつつ、県災害見舞金の対象を床上浸水にまで拡大する問題は引き続き、議会で指摘していきたいと思います。
 今回の災害を受けて、皆さんのご意見をお聞かせください。