学童保育が4年生までで、5年生になった長男は、今日から、西宇部少年剣道クラブに通いはじめました。会場は、小学校の体育館。次男・三男を学童保育に向かえに行った帰りに、体育館をのぞくと、長男は、正座して、見学していました。今日は見学だったそうです。これから、毎週月曜日と木曜日クラブ通いです。親も迎えや当番が始まります。
終了の午後7時に妻が迎えに行って、入会申込書などの資料を持って帰りました。その中に、道場訓がありました。
道場訓(反省の言葉)
一、剣道を正しく真剣に学びます
一、勉強をします
一、約そくを守ります
一、いじめをしません
一、お父さんお母さんを大切にします
大変いい道場訓だと思いました。
これで、我が家の男子三兄弟は、それぞれ武道を始めたことになります。
長男は、剣道。次男は、空手。三男は、太極拳。
同時に、それぞれ、二つ目の習い事もしています。
長男は、ピアノ。次男は、習字。三男は、ピアノです。
三男のピアノも昨日から始めました。ピアノは、我が家に先生が来られます。三男は、昨日、ドレミを弾くところから習っていました。
明後日の土曜日に、早速、剣道クラブ後援会の総会が行われます。私が、参加する予定です。
子どもが新しいことを始めると親も新しい関係が広がることになります。
4月17日から5月25日まで、山口県立美術館で、「いわさきちひろ展」が開かれます。
いわさきちひろの夫は、日本共産党元衆議院議員の松本善明さんです。いわさきちひろは、日本共産党員でした。生前、ちひろが、カトリックのシスターに、「あなたは、共産党員なのにどうしてこんな美しい絵が描けるのですか」と聞かれたそうです。ちひろは、「共産党員だからこそ描けるのです」と答えたそうです。
松本さんの著書「思い出のちひろ」によると、松本さんが日本共産党の国会議員として立候補した時、女学生時代の友人が、ちひろに「もう絵が描けなくなるわよ」と助言したそうです。
しかし、ちひろの代表的な仕事は、松本さんが国会議員になってからの時期に集中しています。ちひろは選挙で彼女の絵がつぶれなかったことについて、よく「共産党だものね」と語っていたそうです。
ちひろは癌で、1974年に亡くなります。彼女の最後の絵本は、1973年に出版された「戦火のなかの子どもたち」でした。この本は、ベトナム侵略に反対する内容のものです。
「あの子は、風のように、かけていったきり」という言葉とともに描かれた少年の顔には、「ちひろの侵略にたいする怒りが満ちています」と松本さんは本の中で述べています。
平和とともに子どもをこよなく愛したちひろの絵が多くの県民の方々に触れる機会が出来たことに私は大変な喜びを感じます。
平和と暮らしが脅かされようとしている今、私もちひろの絵に触れて大いなる活力を受けたいと思います。我が家でも家族で、県立美術館に行く予定です。
「全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本 2008年本屋大賞」の発表会が本日開かれ、大賞に、「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎著)が選ばれました。
この賞は、全国の書店員が売りたい本を選んでいき、大賞を選んだもので、音楽の世界で私の思い出を重ねれば、日本レコード大賞というよりも、有線放送大賞とも言うべきでしょうか。
1037人もの書店員がエントリーし、一次投票、二時投票が実施され、その得点で、大賞を選ぶこの方法は、まさに今年の「面白い本」No1と言っていいでしょう。「ゴールデンスランバー」はやはり、読まないといけないでしょうね。
今回で、5回目ですが、多くの作品がベストセラーになり、多くが、映像化されています。第一回大賞が、「博士が愛した数式」(小川洋子著)、第二回が「夜のピクニック」(恩田睦著)、第三回が、「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」(リリーフランキー著)、第4回が「一瞬の風になれ」(佐藤多佳子著)。
夕方聴いたNHKラジオでもこの大賞が話題になり、キャスターの有江さんは、「八日目の蝉」が一番よかったとコメントしていました。私は「やっぱりね。」と独り言を言った矢先だったのに、私が応援した角田光代作品が6位に留まったのは残念でした。
さて、我が家では、三男が今日、小学校に入学しました。桜満開の中、親子で入学式会場に向かいました。三男も、いつも以上に笑顔笑顔でした。夜、太極拳教室に、一緒に行ったのですが、三男は、途中で睡魔に襲われダウン。やはり、入学式などで緊張していたのでしょう。今日は、楽しい夢を見ていることでしょう。
入学・進級の皆さん、おめでとうございます。
朝、次男の手の骨折で、山口労災病院を受診しました。退院後、初めての外来受診でしたが、順調な回復とのことで安心しました。今度は、来週の月曜日。この日は、学校では、通常の授業が始まっていますので、次男は、遅刻することになります。また、二日に一回ガーゼ交換をすることになります。これは、開業医の先生にお願いすることにします。夕方、通院に励みます。妻も転職したばかりで大変なようなので、私が次男の通院の担当になりそうです。しっかり、子どもに寄り添って一緒に治すしていこうと思います。
午後は、日本中国友好協会の県連会議が周南市で行われ、出席しました。一つは、10月中下旬に、大連方面を3泊4日で、旅行に行くことを決めました。詳細はこれからですが、決まれば、本ブログでも募集します。
そして、従軍写真家・紗飛(さひ)写真展を県内数箇所で、7月下旬か9月上旬に行うことを決めました。中央団体と調整が必要で、これも詳細はこれからです。魯迅の影響を強く受け、その臨終に立会いデスマスクも撮影した人物です。中国写真界の草分け的存在の写真家です。日本初公開の秘蔵作品群を山口県でも公開できたらと思っています。宇部の太極拳教室も少しづつ軌道に乗ってきました。今後は、県内に住んでおられる中国帰国者と交流し、新支援法の問題など懇談出来たらと思っています。
夕方は、サンきわ後援会の定例の役員会で2月県議会を中心とした議会報告を行いました。特に後期高齢者医療制度の問題は、深刻で、多くの方から意見が出されました。
これから最初の天引きが行われる4・15ショックといわれる日を迎えます。長寿が喜べる社会を一日も早く取り戻したいと思います。
明日は、いよいよ三男の入学式です。私は来賓でもありますが、妻と三男と三人で歩いて登校します。長男・次男も進級です。次男は、三角巾で手を吊っての進級となりました。
今日、午前中は、西ヶ丘自治会の総会。私は、会計監査報告を行いました。その足で、秋吉へ。美祢市議選挙勝利へ向けての決起集会が行われました。私は団結ガンバロウの役割を務めました。その後、後援会員さん宅を訪問。そして、ようやく家に帰り、夕方から伸びはじめた庭の草を抜きました。長男は、日帰りのキャンプ。次男は、怪我。ですので、長女と三男が、よく手伝ってくれました。先日買った「しょうが」と「みょうが」をようやく植えることが出来ました。
3歳の長女には、まいりました。我が家の庭に、八朔の木があります。その実が一つ落ち、それに、蟻が群れていました。それを娘が見て、「父さん、蟻がみかんを食べよるよ。」と言います。私は、「蟻に食べちゃだめと言ったら。」と言いました。娘は私の言葉そのままに、「蟻さん、みかん食べじゃだめよ。」と言います。娘は、私に、「蟻が言うこと聞かんよ。」と報告します。子どもは本当に面白いですね。
夕食は、花見会になりました。夕食を、ウッドデッキで取り、わが庭の桜を見ながらとりました。わが庭に桜は今日が満開です。
子どもたちは親に喜びを運んでくれる存在だということを痛感した夕方でした。
今日は、午前中に、こぐま保育園の父母会の総会が行われました。無認可保育園なので、財政的に維持していくのがなかなか大変です。保育料を上げると園児は集まらないし、保育料を下げると財政が大変だしというジレンマの中で、30年以上宇部・小野田地域で保育を続けてきました。引き続き認可を目指しています。そのためには、山陽小野田市の園児を増やす必要があります。山陽小野田市の方、どうぞご連絡下さい。
当面は、無認可が継続しますので、よりよい保育を追及して、園児を安定的に確保していこうという話になりました。
多くの発言が出され、なぜ自分は、こぐま保育園に子どもを預けたのかを涙ながらに語るお母さんもおられて元気の出る総会になりました。
最後に、今春入職した男性保育士の山本さんが紹介されました。幼稚園・保育園で6年間の経験を持つ方で、信頼のおける保育士さんです。こぐま保育園の歴史の中で、初めての男性保育士の誕生です。
新年度、私は、こぐま保育園の父母会の会長を続けることになりました。昨年度よりも腰を入れて取り組んでいこうと思っています。園庭3万坪、自然いっぱいでのびのび保育をしているこぐま保育園をよろしくお願いします。
詳しくは、検索ソフトで「こぐま保育園」と打っていただくと公式ホームページに到達していただけると思います。このブログの問い合わせからでもご連絡下さい。詳しいことをお伝えすることが出来ると思います。
今から、我が家の3男と一緒にこぐま保育園を今春卒園し、小学校に入学されるNさん家族と一緒に、進学をを祝う会を市内の居酒屋で行います。この会は、次男の退院祝いも加わることになりました。次男が昨日退院できたので、この会を延期せずにすみました。よかったよかった。
こぐま保育園も私を成長させてくれる貴重なツールだと痛感する一日です。