今日、午前中は、年1回の検診に行きました。今回からは、腹囲の測定がありました。特定検診の影響でしょう。服の上からで、なんと82センチ。中肉中背を自負する私がこれですから、デッドラインが85センチラインというのは、低すぎるのではないでしょうか。しかしながら、ウオーキングでも始めようかとも思いました。
検診が終わり急いで美祢市に、中林よし子元衆議院議員らと、山口美祢農協を訪ね、私たちが発表した農業再生プランを基に懇談しました。
中林元議員は、エコノミスト誌に、アメリカでは、米生産者に60キロあたり政府が、1万4千円程度の補助を行っている記事があったことを紹介し、日本でも、生産者米価が1万7千円以上になるよう、政府が保障制度を創設することが重要だと語りました。
山本組合長は、「食料問題は、国家としての安全保障の問題。消費者にもこの点を理解してほしい。」と話されました。小林専務は、「食料問題に対して、農業者だけではなく、消費者のコンセンサスが得られるような努力を日本共産党にもお願いしたい。」と話されました。
私は、山本組合長の「食糧問題は、安全保障だ。」の話に納得しました。食料自給率を上げるにはどうしたらいいのか、国民的な議論を大いに行うときだと痛感しました。
午後から、道路関係の要望を、時田市議と市役所や県土木事務所に伝え、その後、次男の病院に直行しました。妻とバトンタッチして妻は職場へ。そして、午後4時、Y先生に回診していただき、めでたく「退院」の許可が出ました。
次男もやはり家がいいようです。早速、教材のふろくを見て何やら楽しんでいます。
今から、PTA役員の懇親会に行きます。会長と女性副会長が退任されます。そして、新しく私が会長になるので、男性副会長と女性副会長が就任されます。その方々の歓送迎会です。出会いと別れの春ですね。
今日、朝8時半、山口労災病院に紹介状を持って、次男の手をY医師に見てもらいました。病名は、「遠位端骨折」。やはり、手術が必要ということでした。急いで入院の手続きをして、午後3時半から手術となりました。手首の折れた骨を、二つのワイヤーで固定する手術です。私は親として、手術の同意書、麻酔の同意書、看護計画の同意書などに様々な文書にサインしました。我が家族で初めての手術でしたが、病院の丁寧な対応に感服しました。特に、Y医師の説明は、分かり易く的確でした。
午後5時30分。麻酔からまだ醒めない次男が手術室から出てきました。午後7時に妻と長女が到着。その頃に、次男はむっくり起き上がり、喉がヒリヒリすると訴えます。麻酔注入時に管を挿入する関係で、どうしてもそうなると看護師さんから説明を受けました。いずれにしても無事に手術が終わり、Y医師の術後の説明に安心しました。数ヶ月後に、経過を見て、ワイヤーを抜く手術を行うことになります。6月頃までは、次男も苦労が続きます。しかし、早ければ明日にでも退院ができるとのことで益々安心しています。
次男が入院したのは、4人部屋。次男以外に二人の80代前後の女性が入院されていました。両方の方とも、足を骨折された方です。お一人は、術後1ヶ月。もう一人の方は、術後2ヶ月。術後2ヶ月の方には、多くの家族の方が見舞いに来ておられました。退院の相談のようです。その様子を見て、術後1ヶ月の方も盛んに家族の方に退院後の事を電話で相談されていました。
術後2ヶ月方の家族の方が「道路どころではないよね。」と発言されていたのが耳に残りました。「安心して医療が受けられるのが一番よね」と口々に話しておられたのが印象的でした。
このような患者さんの生の話が聞けたことと、本が読めたことが今日、次男が私にくれたプレゼントです。今、はまっている角田光代さんの「空中庭園」を全部読み、「対岸の彼女」の導入を読んでいたところで、妻が到着しました。今日一日で、文庫本ほぼ一冊を読みきりました。次男は、1歳の時に、喘息で入院しています。その時は、澤地久枝さんの本を数冊読みました。次男は、私にいつも読書時間をプレゼントしてくれます。
長男と三男は、保育園OBの合宿中ですので、家に、今、私と長女だけです。妻は、深夜まで次男に付き添うと言っています。今の私の悩みは、長女がすんなり寝てくれるかどうかです。
長女が今、「父さん寒くない?」と私に、声をかけてきました。それでは、キーの手を休め、長女と寝ることにします。
今日は、美祢市議選挙の応援で終日行動していました。そして、3時過ぎに「厚東川通信」を完成させるために、宇部に向かっていました。そうだ、太極拳教室の会場費を払おうと、宇部市野球場に向かっている途中、携帯電話が振動します。急いで車を停めて出てみると保育園からです。今日から、保育園を卒業した小学生が集まって合宿を行っており、我が家の男子三兄弟も参加していました。電話は、次男が骨折したというものでした。次男と言えば、先日は、喉に魚の骨が刺さり山大医学部で抜いてもらったばかりですが、今度は骨折です。手術するかも知れないので、親の同意が必要ということでした。
急いで、野球場で支払いを済ませ、次男が治療を受けている山陽小野田市のO整形外科に向かいました。渋滞に巻き込まれながら5時過ぎにようやく病院に到着しました。すると、神妙な次男の姿。「お父さんも、小学生の頃、ロケット飛びを失敗して、足にヒビが入ったことがあるよ。男の子はこんな事があるあるものだよ。」と元気づけました。
本日の手術はなく、念のために、明日、小野田労災病院で専門の先生を受診することになりました。
妻は転職したばかりで、今、研修中です。明日は、私が、次男に同行します。春休みが幸いしましたが、利き腕の右手首の骨折ですから、新学期も一時不自由でしょう。そうそう、次男は、今度の日曜日は、空手教室の昇級試験を受ける予定でした。可哀相ですが、無理のようです。次回の受験となりそうです。
次男を家に送り届け私は、事務所に向かい、ようやく4月1日付けの「厚東川通信」を完成させました。帰ってみると次男は寝息をたてていました。
今日も激動の一日でしたが、いいこともありました。そうです。今日で、我がブログ、アクセス数4万件突破です。本ブログに対する皆さんのご愛顧に心から感謝しつつ、今日のキーを打ち終えたいと思います。
新年度が音を立ててやってきました。今年は、特にその音が大きいようです。後期高齢者医療制度スタートの苦悩の音。穀物高騰の影響による様々な商品の値上げの悲鳴。そして、ガソリン値下げの喜びの声などなど、様々な声が聞こえてきます。いずれにしても、国民の暮らしの安定のために政治がしっかり働く春にしたいと決意を新たにしています。
さて、新年度スタートの一日の締めくくりは、太極拳教室でした。今日は集まりもよく、楽しく真剣な教室となりました。
そして、私が代表をしている日本中国友好協会宇部支部が共催して中国語講座を5月からスタートさせることが決まりました。詳しくは、本ブログ、インフォメーションに書いたとおりです。太極拳教室の会員である上田さんのご尽力で月1回で教室を開きます。関心のある方はご参加ください。私も少しづつ学んでいこうと思います。
出会いが広がる春です。みなさんはいかがですか。
昨日、妻と子どもたちが妻の実家から帰ってきました。
今日、仕事から帰り、夕方は、まず、新入学の三男の教材を買いに行きました、仮入学の時は、最小限の教材購入にしたので、買い足しです。二度手間でした、反省しています。お道具セットの名前書きがこれからの私の仕事です。時間をみつけて早めにしましょう。
そして、次男の空手教室の送り迎えをしました。迎えに行った時、東岐波道場の責任者の方に話しかけられました。新年度から川上地域のある自治会館で、新しい教室がスタートすることになったという報告でした。会場の選定と交渉には私も関わったので、感謝されて私も嬉しい限りです。最近、自らの空手の鍛錬はさぼりがちですが、このような形で道場に協力できてよかったと思っています。
そして、家に帰ると、米の精米を頼まれました。我が家の米は、わが実家で作った米です。玄米で保管しているので、精米に行きます。幸い、歩いていける距離に精米所が出来たので、長女と三男と私と三人で、小雨の中、精米に行きました。
こうして、激動の我が家の日常が戻ってきました。
そうそう、ホームセンターで、「しょうが」と「みょうが」を買ってきました。庭の草を抜いたあと、畑に植えたいと思います。我が家の春が、ガタゴトと賑やかにやってきました。
我が家の庭には、前に住んでいた方が植えられ木が残されています。もちの木と柿と桜。この桜は、私が両手を広げた位の直径で、毎年りっぱな花を咲かせます。我が家の桜の蕾もようやくほころんできました。
桜は春の訪れを知らせてくれる「喜び」の象徴であると同時に、「別れ」の象徴でもあります。それは、桜が年度替わりの時期に咲く花だからでしょうか。春は出会いと別れの季節です。また、桜は、裸木からいきなり花を付ける大胆さとその花が全て散る潔さがある木です。その花が散る様子は、「別れ」そのものです。
ですから、桜を見ると、「喜び」と「悲しみ」が同時に去来します。
今日は、今からSさんの葬儀に参加します。Sさんは、私が24才で、市議会議員に立候補を決意して、厚南地域の日本共産党後援会を再構築した時の創立メンバーのお一人です。Sさんは、いつも飄々として、皆の議論をいつも傍らで見守り続けるような方でした。それでいて、酔うとシャンソンを歌われたり、詩を創作される、とても粋な方でした。細身の総髪で、いつまでも若々しかったSさんとお別れするのはとても残念です。
私も市議会議員に立候補を決意して、20年になります。あの当時から私を支えてくださった。Nさん、Tさんも天国に旅立たれました。そして、Sさん。だんだん淋しくなります。あれから20年と言っても私は、まだ40代。Sさん、この先も天国のNさん、Tさんと一緒に私を見守り続けてください。Sさん、この20年間、本当にありがとうございました。
Sさん、ほころんだ桜とともにお別れいたします。