NHKラジオでピアニストの川上ミネさんが紹介されていました。
彼女の名前は、一回も聞いたことがありませんでしたが、彼女の生き方に圧倒的な力を感じました。
彼女は、国内の高校を卒業後、ドイツの音楽大学で学んでいました。
突如、スペインに行き、大学で学びながら演奏活動を続けます。
スペインで、キューバ人のジャズピアニスト、チューチョ・バルデスさんの演奏を聞いて圧倒され、今度はキューバに住みます。
その他にも、コロンビア・ボリビア・アルゼンチン・コスタリカ・メキシコ・ブラジル・パラグアイ・ペルーなどを放浪した経験もあるそうです。
今は、スペインと京都を拠点に、世界で演奏活動を続けているそうです。
今年は、スペインで教会を移動しながら演奏会を行う計画があるそうです。
まさに、川上さんは国際人です。そのパワーの源は何でしょうか。
もともとはクラシック音楽の演奏家でしたが、最近は、無国籍・無ジャンルになっているそうです。
早速、あるCDショップに寄って彼女の名前を出してみましたが、在庫はゼロとのことでした。
ほぼ同世代の方でもあり、彼女の活動には今後とも注目していきたと思います。
CDも機会があれば聞いてみたいと思いました。
全国の川上ファンの皆さん、いろいろお教えください。
本日、萩土木建築事務所に出向き、県道明木美東線の改修を要望しました。
まず、明木のメインストリートの舗装の凸凹の解消です。
下水道工事の影響と思われますが、工事の埋め戻し部分が沈下して道路が凸凹になっていました。
県道が凸凹で、通行がしずらい明木のメイン道路
次に、県道の拡幅です。
洲崎橋から樋向橋まで道路が狭隘です。また、樋向橋の中央にクランクがあり改善を求めました。
道幅が狭隘な県道明木美東線
橋の中央にクランクが入っている樋向橋
対応した伊藤次長は、「現地を見た上で、必要な対応を行う」ことを約束しました。
萩市に関する要望がありましたらお寄せください。
水木しげるさんが執筆に参加している雑誌「怪」29号に「宮本常一」が特集されていました。
宮本常一の名前は、郷土・山口県の偉人の一人として度々耳にしていましたが、彼の仕事に関心を持ったのは初めてでした。
この雑誌の中に、彼の資料を所蔵している「周防大島文化交流センター」の事が掲載しれていました。
この建物は星野哲郎記念館の隣だとありました。星野記念館には数度訪ねたことがありますが、交流センターは一度もありません。
今度、ゆっくり訪ねてみたいと思います。連休に、家族で四国方面に行こうかと話していますので、行きかえりに寄ってみようかと思いました。
宮本常一さんの著作は膨大だとあります。生前の昭和42年から刊行が始まった「宮本常一著作集」は、現在50巻を越えているそうですが、完結には程遠く、全業績を網羅するには優に百巻は超えるだろうと雑誌にありました。
宮本常一さんの著作の中の一部は、文庫となり、書店で手に入ります。その一冊講談社学術文庫「民俗学の旅」を読んでいます。
これは、宮本さんの自叙伝のような内容です。宮本さんは、貧農の家に生まれ、苦学しながら柳田国男氏や渋谷敬三氏に師事し、日本を代表する民俗学者として名を残した人物です。
彼が民俗学の道に進んだ背景には、周防大島の風土や父母の影響が大きかったとあります。
「郷土から広い世界を見る。動く世界を見る。いろいろな問題を考える。私のように生まれ育ってきた者にとっては。それ以外に自分の納得のいく物の見方はできないのである。」
例えば、本の中のこのような言葉に心が動きます。
私は、山口県の中山間地域の農家の家に生まれ育ちました。その生い立ちからも彼の言葉が響きます。
同じ郷土にいながら、45歳になってようやく宮本常一さんの著作に触れた私ですが、少しつづその量を広げていきたと思いました。
宮本さんは、自らを「大島の百姓」と称しておられたようです。私は、彼の著作に触れ「宇部の百姓」の端くれとして生きていきたと思いました。
宮本ファンの皆さん、色々お教えください。
今日、「9条の会うべ」の茶話会が行われ参加しました。
テーマは、「65年前、中国人の強制連行と強制労働―宇部興産での実態を知る」です。
講師は、初代県労連議長で現在県地方自治研究所理事の飯田健さんです。
飯田さんは、県労連20周年記念で昨年、「中国平和交流の旅」に参加されました。
一行は、天津市の「在日殉難烈士労働記念館」を訪ねました。
この記念館は、中国人の日本への強制連行と強制労働の実態を伝えるものでした。
具体的に強制連行、強制労働で亡くなった場所と人数が列挙されてありました。
その中に、「宇部興産株式会社沖の山鉱業所98名」とありました。
飯田さんは、帰国後調査をすすめ、宇部興産の中国人強制連行、強制労働の実態について話されました。
宇部興産には、1944年9月から45年8月まで291名の中国人労働者が働いており、93名が死亡したことが判明しています。
当時働いていた斎さんは「昼夜交代で10時間労働で休みはなかった。100グラム程度のお粥一杯の食事しか提供されなかった」と証言されています。
張さんは「宿舎は木の枝のベッド、一つのボックスに4人で寝る。一枚のわら布団で寝ていた。浮腫のため失禁した」と証言されています。
戦後、1953年10月に山口県でも中国人の強制労働で亡くなった方々を悼み慰霊祭が行われました。
しかし、72年の日中共同声明において「中国は日本に賠償は求めない」旨の確認が行われて、中国人強制労働への賠償は行われてきませんでした。
その後、2000年以降になって、西松建設や鹿島建設が、中国人強制労働に対して謝罪と補償を行う動きが出てきていると飯田さんは語りました。
飯田さんは最後に、「05・06年に、生存者の張さんが宇部興産に謝罪を求め懇談を行っているが、会社の対応は冷たいものだったと聞いている」として今後の対応について以下の点が必要だと語りました。
①中国現地での生存者・遺族の調査
②宇部興産の記録、関係者などへの調査
③宇部興産への謝罪・保障要求
私は、宇部市選出の県議です。また、日本中国友好協会の県と市の役員を務めています。
この二つの立場から、宇部興産での中国人強制労働による多くの犠牲に対して謝罪・保障を求める運動を市民の皆さんと一緒に強めていきたいと思っています。
飯田さんなどとも相談して、何らかの会を発足したいと思っています。
具体的な動きが出来ましたら報告します。ご協力をお願いいたします。
この問題で、皆さんのご意見がありましたらお聞かせください。
宇部興産の強制連行の実態を報告する学習会
本日、国民救援会主催の学習会「なぜ無実の人が自白するのか」に参加しました。
講師は、坂元洋太郎弁護士です。
坂元弁護士は、冒頭「戦争と冤罪は国家のみが犯す最大の犯罪である」と話されました。
昭和46年、無罪率が0.60%だったものが、昭和63年、0.12%になっています。
冤罪が拡大する可能性が強まっています。
日弁連のパンフレットの中で、布川事件で逮捕、起訴された桜井さんが、こう述べられています。
「やったと言えばいいと思っていました。言えと言われたら困って、何か言うしかないですよね。『おまえ、被害者の家に行ったことを言え』と言われ、何か言うしかなくて、『勝手口に行きました。』と答えました。(中略
『お前は人殺しをしているんだから、興奮してわからないのは当たり前だ』と言われ、『何度も話しているいちに思い出すから、言え』と言われました。(中略)どんな人でも一度『やった』と言うと、自白ってできるんです。」
坂元弁護士は、この例を引きながら、①人間は弱い存在②人格を否定され、肉体的・精神的屈辱を受けるなどして、虚偽自白が必然的に作りだされると話されました。
日本共産党県議団は、足利事件などを受けて、山口県警において取り調べを可視化するよう議会で求めました。
県警本部長は、「被疑者が供述をためらうなど、事件捜査の真相解明に支障が出るのではないかとの懸念があると聞いております」と前置きしながら
「今後、政府において、捜査手法も含め、取り調べの可視化について議論がされるとの報道もなされているところであり、県警察としては、その推移を見守っているところ」と答弁しました。
坂元弁護士は、自らイギリスでの取り調べ可視化の視察経験も引きながら「取り調べの可視化による事件捜査の真相解明に対する弊害はないものと考えている」と話されました。
日本共産党県議団は、今後とも、山口県で冤罪事件を繰り返さないために、取り調べの可視化などを引き続き求めていきたいと思います。
「なぜ無実の人が自白するのか」学習会
子どもたちと行った「水木しげるロード」で、水木しげるコミック作品「総員、玉砕せよ!」を帰りの車中で読みました。
この作品は、水木さん自身の戦争体験を基に描かれた作品で迫力満点です。
南太平洋・ニューブリテン島で田所支隊に玉砕命令が下されます。
支隊の軍医が、玉砕命令を出した参謀に直訴する場面が圧巻です。
軍医「参謀どの とうてい勝ち目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ 果ては玉砕させるのですか。」
参謀「時をかせぐのだ 後方を固め戦力を充実させるのだ」
軍医「後方を高めるのに なにも玉砕する必要はないでしょう 玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか。玉砕で前途有為な人材を失ってなにが戦力ですか」
参謀「貴様も軍人のはしくれなら言うべき言葉も知っているだろう」
軍医「私は医者です 軍人なんかじゃない あなたがたは意味もないのにやたらに人を殺したがる 一種の狂人ですよ もっと冷静に大局的にものを考えたらどうですか
参謀「虫けらのような命がおしくてほざくのか」
軍医「もっと命を大切にしたらどうですか」
参謀「人情におぼれて作戦が立てられるか」
軍医「日本以外の軍隊では戦って俘虜になることを許されていますが どうして我が軍にはそれがないのですか それがないから無茶苦茶な玉砕ということになるのです。」
参謀「貴様それでも日本人か」
軍医「命を尊んでいるだけです」
軍医の叫びは、水木しげるさんの叫びでしょう。
水木さんは、この本のあとがきの最後にこう書いています。
「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。」
この悲劇を繰り返してはならないと私も怒りと決意が込み上げてきました。
私は、水木しげる著「水木サンの幸福論」も読んで、すっかり水木ファンになりました。
今は、足立倫行著「妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる」を読んでいます。
水木さんは私の師の一人になりそうです。水木さんに関わる作品をこれからも読んでいきたいと思います。
私に水木さんを引き合わせてくれた子どもたちにも感謝したい気持ちです。
水木ファンの皆さん!感想をお聞かせください。