月別アーカイブ:2019年10月

第2回ミサイル基地をつくらせない県民大集会

 昨日、阿武町のうそんセンターで、第二回ミサイル基地をつくらせない県民大集会が開かれました。

 約300人の市民が集いました。

第2回ミサイル基地をつくらせない県民大集会

 第二回ミサイル基地をつくらせない県民大集会

 冒頭、東京新聞の半田滋さんが講演しました。

 また、秋田県の「ミサイル基地『イージス・アショア』を考える県民の会」の渡部雅子共同代表が訴えました。

 私は、県議として、念仏者9条の会の会員として発言する機会を頂きました。

 私が発言した内容は以下の通りです。

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 ミサイル基地イージス・アショアをつくらせない第二回県民大集会にご参加の皆さん、只今紹介を受けました県議会議員の藤本かずのりです。

 昨年の第一回目の県民大集会は、台風が山口県に接近した中で行われた集会でした。今日も台風が日本を襲う日の集会開催となりました。
 台風は天災ですが、ミサイル基地の建設は、明らかに安倍政権による人災です。人災は政治の力で変えることが出来ます。今日の集会を力に、県民の心を一つにして、秋田と連帯してミサイル基地をストップさせましょう。私は、県議会立憲議連の皆さんと益々連帯して県議会で力を尽くす決意です。
 さて、私は、昨年の集会では、県議ではありませんでしたので、念仏者9条の会のメンバーとして、「兵戈無用」=兵隊も武器もない社会つくろうと訴えました。その気持ちも持ちつつ、県議に戻りましたので9月県議会の報告をさせていただきます。
 9月17日、花田阿武町長は、「町民の理解は得られていない」と改めてイージス・アショアに反対の意向を示し、候補地選定について「ゼロベースでやり直してほしい」と発言しました。
 今月、業者が決まり、防衛省の再調査が行われますが、むつみ演習場での再調査は、西台の標高に限られています。
 5月に示した資料で防衛省は、他の国有地の検討結果として「約1キロ㎡以上の、なるべく平坦な敷地で、日本海側に位置している国有地はありませんでした。」と結論づけました。
 私は、阿武町長が求める適地の「ゼロベース」での選定を県として防衛省に求めるよう質しました。
 総務部長は、この点を含め「不明な点やさらに説明を求めたい事項については、国に質してまいります。」と答えました。
 更に、私の秋田と山口はセットで、山口だけの配備は無いものと思うがとの質問に、総務部長は「そのように理解している」と答えました。
 皆さん、むつみ演習場はミサイル基地の適地ではありません。新屋演習場も適地ではありません。日本中にミサイル基地の適地などありません。
 北朝鮮のミサイルは話し合いによって解決していくこの道を皆さんとともに歩んでいく決意を述べて私の挨拶といたします。

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 引き続き、県政全般に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

山口自治労連第35回定期大会で挨拶

 本日、自治労連第35回定期大会が行われました。

山口自治労連定期大会

山口自治労連第35回定期大会での中野委員長

 私は、日本共産党を代表して挨拶を行いました。

 私の挨拶の要旨は以下の通りです。

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 自治労連第35回定期大会にお招きいただきまことにありがとうございます。日本共産党を代表して御挨拶いたします。

 昨日は、山口県自治労連結成30周年記念レセプションにも参加いたしました。私は、28年前、26歳で宇部市議会議員となりました。
 地方自治とは何かを宇部市職労出身の飯田健さん、福山清二さん、中野俊彦さんらに教えていただきました。県自治労連とともに、議員生活を送ってきた私は、山口自治労連の30周年を心からお祝いし、次なる40周年に向けて益々の発展を祈念しています。
 さて、自治労連の30周年は、消費税の10%増税の中で迎えました。
 消費税は、「社会保障のため」と政府は市民に説明してきました。
 しかし、この31年間、年金は減らされ、サラリーマンの医療費窓口負担は3倍になり、介護保険は負担あって介護なし、社会保障は切り下げの連続です。山口県においても、福祉の水準は上がらず、2009年に福祉医療費助成制度は一部負担金が導入されました。
 消費税は、「財政再建のため」と政府は市民に説明してきました。
 この31年間、国と地方の借金は246兆円から1069兆円と4倍以上に膨れ上がりました。
 山口県では、3343億円から1兆2606億円に、この31年間で、3.77倍に膨れ上がりました。消費税は、山口県でも社会保障のためでも、財政再建のためでもなかったことが明らかです。
 この31年間の消費税収は397兆円ですが、同時期に法人3税の税収は298兆円減り、所得税・住民税の税収も275兆円減りました。
 消費税増税分が、法人税減税に消えただけではなく、消費税増税が経済を停滞させ、市民の暮らしを苦しめていることが明らかです。
 10月1日の日銀短観は、大企業製造業で3期連続の景気判断が悪化となりました。7日に発表した景気動向指数も下方修正され、「悪化」となりました。これまでの消費税増税の時期は、いずれも景気が上向いている時でした。景気が低迷している時に消費税が増税したことは、安倍政権による「二重の経済失政」と言わなければなりません。国民の運動によって「消費税を5%に」戻し、市民の暮らしを応援する政治を実現しましょう。

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 引き続き、国政・県政全般に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

勇者たちへの伝言

 増山実著「勇者たちへの伝言」を読んでいます。

 この本は、第19回松本清張賞の最終候補になり、2016年度大坂ほんま本大賞を受賞した作品です。

 大阪ほんま本大賞受賞作に相応しい、大阪の成り立ちがとても良くわかる作品です。

 ここで言う大坂は、兵庫県の一部を含む地域が含まれています。少し広い意味でも大阪です。

 主人公の正秋の父は、石川県の出身です。

 小説の中に、父の両親の生い立ちが詳しく書かれています。

 石川県から北海道や関西に移住した方が多いとあります。

 大阪の風呂屋と豆腐屋の多くが石川県出身者とも書かれています。

 私の妻は、大阪府出身です。妻の父の父。妻の祖父は、石川県の隣の富山県出身です。

 世界遺産の合掌造りで有名な五箇山の近くです。

 一度、子どもたちと妻と義父と義父の親戚の方のお宅を訪ねたことがあります。

 味わったことのない山菜を沢山いただいたことを思い出します。

 義父の父は、農家の倅で、若い時に、うどん屋の丁稚として大阪で働いていたそうです。

 明治期以降、石川県や富山県など北陸地域から多くの若者が大阪に移住したことがうかがえます。

 この小説には、安子という在日朝鮮人の方が登場します。

 大阪には、多くの在日韓国・朝鮮人の方々が住んでおられるのも特徴の一つでしょう。

 灰谷健次郎さんの「太陽の子」は、沖縄県出身の方々が大阪に移住してこられてからの話だったと記憶しています。

 大阪には、沖縄県出身の方々も多いと思います。

 北陸や沖縄や在日韓国・朝鮮人の方々が多く暮らし、大阪が形成されていることをこの小説を通じて感じました。

 増山さんの、北陸や在日韓国・朝鮮人の方々へ向ける目の優しさがにじむ作品でもあります。

 冒頭は、阪急ブレーブスファンの正秋少年の物語ですが、父の歴史を通じて、物語が大きく展開していきます。

 苦労の連続を生きる庶民への増山さんの優しい筆致に、時々涙しながら読んでいます。

 この小説を通じて、増山実さんのファンになりました。

 増山さんは、関西を中心に活躍されてきた放送作家ですが、この作品で小説家デビューされました。

 早速、今日、増山さんの第二作「空の走者たち」を書店に注文しました。

 この本は、妻が実家に帰省した際に購入した本です。

 妻と一緒に、増山実さんを応援していきたいと思います。

 増山実ファンの皆さん、作品への感想をお聞かせ下さい。

首相主催「桜を見る会」安倍後援会ご招待

 安倍首相の国政私物化は、一昨年来、森友加計学園の問題で明らかになりましたが、首相主催でこの春行われた「桜を見る会」に安倍首相の地元下関市や長門市から数百人規模で後援会関係者が大量に招待されていたことが、しんぶん赤旗の取材で明らかになりました。
 「桜を見る会」の予算は、3千万円だったものが、今年は5500万円となっています。招待客も1万4000人から1万8000人と大幅に増えています。
 桜を見る会の前日には、前夜祭が行われています。政治資金規正法では、対価を徴収して行われた催し物を「政治資金パーティー」と規定し、収入や経費を収支報告書に記載するよう義務付けていますが、安倍首相が関係する政治団体や支部の収支報告書に前夜祭の記載はありません。前夜祭は政治資金規正法違反の疑いがあります。
 招待者名簿などについて国会で追及した日本共産党の宮本徹議員の質問に、内閣府は、「資料が残っていない」「破棄した」と詳細が不明です。
 安倍首相の後援会員を公的行事に数千人規模で参加させたことは、税金の私物化そのものです。消費税の増税の一方で、税金私物化は許せません。

 しんぶん赤旗「日曜版」10月13日付の首相主催「桜を見る会」の記事には、自民党の下関市選出の友田有県議とともに、防府市選出の島田教明県議のブログからの画像が引用されています。

 宇部市から「桜を見る会」に行かれた方もいらっしゃるのではないかと推察されます。

 「桜を見る会」にご参加された方、あるいは、この問題に関する感想を私にお伝え下さい。

周南市に石炭火力発電所新設計画

 石炭火力発電は化石燃料の中でも最も二酸化炭素排出量が多く、石油の1.2倍、液化天然ガスの2.2倍です。

 9月23日に開かれた国連気候行動サミットでアントニオ・グテレス事務局長は石炭火力発電が気候変動対策に最も逆行すると指摘しました。

 ところが日本では、NPO法人気候ネットワークの調査によると、2012年までに稼動していた石炭火力発電所は国内に109基。発電容量は4411・9万キロワットで、電力共有は全体の32.3%。12年以降、さらに50基の石炭火力発電所を新設する計画です。

 その一つが、周南市で2022年4月運転開始を目指す株式会社トクヤマトクヤマ製造所東発電所第3号発電設備です。

 この石炭火力発電所は、株式会社トクヤマ、丸紅株式会社、東京センチュリー株式会社が出資、30万キロワットの発電を行う予定です。

 環境影響評価法に基づき2009年に評価書の縦覧が終了しています。

 2009年に山口県知事の意見も出されています。

 当初は、2017年に着工する予定でしたが、建設計画を一時保留されていました。

 しかし、2017年9月29日、株式会社トクヤマは、「東3号発電施設の建設について」とするプレス発表を行い建設開始を次のように表明しました。

 「株式会社トクヤマは、かねてより計画を保留しておりました東3号発電設備の建設について、3社による共同事業により行うことを決定しました。」「本発電設備は2017年10月より建設工事に着手の上、運転開始は2022年4月を目指しています。」

 気候ネットワーク国際ディレクターの平田仁子さんは、10月6日号のしんぶん赤旗日曜版のインタビューで次のように語っています。

 「グテレス国連事務総長は『20年以降は石炭火力発電所の新設をやめよう』と呼びかけています。日本の政策はそれに反し、パリ協定の目標達成に向けた世界の努力を台無しにするものです。日本がパリ協定の目標達成に貢献するには、『50年に80%削減』という現行の目標を改め、『50年に排出量実質ゼロ』をめざすべきです。そのために『30年に発電の26%は石炭で』という目標を改める必要があります。石炭火力発電所の新設を直ちにやめ、既存の石炭力発電所も30年までに全廃すべきです。」

 2012年以降、新設が計画されていた50基の石炭火力発電所の内、13基は中止になりました。

 周南市の石炭火力発電所計画は、アジア・北米等から輸入するホワイトペレットと言われるバイオマス燃料を混焼するものです。

 大量のCO2を排出する発電であることは明らかではないでしょうか。

 パリ協定で求められる目標を達成する観点から、周南市で進められている石炭火力発電所の新設計画について再検討が必要なのではないでしょうか。

 周南市で石炭火力発電所の新設が進められています。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 

阪急ブレーブス

 私は、小学校高学年の頃、Hのマークの野球帽をかぶって登校していました。

 小さな学校でしたが、Hのマークの帽子は私一人でした。

 そうです。私は、阪急ブレーブスファンだったのです。

 稲刈りが終わった肌寒くなった午後、日本シリーズを見ていた10代前半の自分をこの頃になると思い出します。

 今、読売新聞阪神支局編「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」と増山実著「勇者たちへの伝言」を読んでいます。

 1975年、1976年、1977年、阪急ブレーブスは、日本シリーズで優勝しているのです。

 監督は上田さんでしたね。

 この頃、私は、11歳、12歳、13歳。小学校高学年から中学生の頃です。

 当時、プロ野球スナックというお菓子が大流行。野球選手のカードがおまけについてきます。

 集めたカードは、阪急の盗塁王の福本選手やエースの山田選手のものが多かったわけです。

 「勇者たちへの伝言」の著者である増山さんは、1958年生まれですから、私より6歳上。私の長姉と同い年ですね。

 主人公の正秋は、作者と同年配の設定です。

 1976年、正秋は中学3年生。大学時代は、阪急ブレーブスの本拠地・西宮球場でアルバイトをしたとあります。

 1988年、私が大学を卒業して、宇部協立病院に就職した年に阪急ブレーブスは、球団譲渡を発表します。

 その年に、山田・福本選手も引退を表明します。

 2000年、西宮球場が解体し、2008年、球場跡地に「阪急西宮ガーデンズ」がオープンします。

 今は、ホームベースだった真上の阪急西宮ガーデンズの5階に「阪急西宮ギャラリー」が設置され、阪急ブレーブスの歴史と選手の記録が残されているそうです。

 ブレーブスは「勇者たち」の意味ですね。

 小説の中で、正秋は、ブレーブスの帽子をかぶりはじめた頃に、いじめっ子と対峙する場面が出てきます。

 私には同じ経験はないけれど、この逸話を読むと、私の少年時代が蘇ってきます。

 私は10代を、阪急ブレースとともに歩いてきました。

 しかし、阪急ブレーブスという球団も西宮球場もありません。

 もう雄姿が観れないからこそ、阪急ブレーブスを深い郷愁の気持ちで思い続けていけるのかも知れません。

 妻は、阪急電鉄沿線の宝塚で生まれ、阪急電鉄箕面線終点の箕面駅周辺で育ちました。

 阪急箕面駅近くの妻の両親の家に、今、私の長男と次男が下宿しています。

 小豆色の阪急電鉄に乗って、今日も、二人の息子は、それぞれの大学に通っていることでしょう。

 阪急をめぐる10数年後の出会いがあることを、Hの野球帽をかぶっていた小学生の自分は、思いもせずに暮らしていました。

 阪急ブレーブスと歩んだ10代の自分を大切に、これからも福本・山田選手の雄姿に励まされながら人生を重ねていきたいと思います。

 「勇者たちへの伝言」「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」を引き続き読んで、10代の自分と対話したいと思います。

 阪急ブレーブスファンだった同世代の皆さん、そして先輩方、阪急ブレーブスの思い出をお聞かせ下さい。