月別アーカイブ:2019年9月

歴史戦と思想戦

 15日のしんぶん赤旗「日刊紙」の「本と話題」で、子どもと教科書全国ネットワークの俵義文さんが「歴史修正主義の『手法』を読み解く」と出して2冊の本を紹介していました。

 その一冊が、山崎雅弘著「歴史戦と思想戦-歴史問題の読み解き方」です。この本は、私がこの夏読んだ1冊です。

 俵さんは、この本について次のように書いています。

 「書店の店頭には『歴史戦』をタイトルに入れた本がたくさん並んでいるが、この言葉を最初に使い始めたのは産経新聞である。2014年4月1日から『歴史戦』というシリーズ記事をスタートさせ、それをまとめて14年10月に『歴史戦』を発刊した。中国・韓国が歴史問題で日本を攻撃するのは、日本の国際的地位をおとしめるもので、『歴史戦』の主敵は、中国・韓国であり、日本はこれに勝利して日本の名誉と誇りを守らなければならない-と主張する。本書は、彼らの言う『日本』とは、日本国憲法下の日本ではなく大日本帝国のことで、『自虐史観』とは『大日本帝国を批判的に捉える歴史認識』だと喝破する。日本人が自虐史観にとらわれているのは、GHQ(連合国軍最高司令部)とコミンテルンの洗脳・宣伝のためだというのが歴史戦の論客たちである。歴史戦の言説は、日中戦争・アジア太平洋戦争中に大日本帝国が行った『思想戦・宣伝戦』と共通し、歴史戦は思想戦の手法や論理を引き継いでいることが詳しく解明されている。」

 「歴史戦と思想戦」で山﨑さんは、「歴史戦」でよく使われるトリックを解き明かしています。

 「日本」と「大日本帝国」と「日本国」という意味の違う言葉がトリックに使われていると山崎さんは次のように指摘しています。

 「中国や韓国の政府や国民が、『大日本帝国』時代の侵略や植民地支配を厳しく批判する態度をとった時、『大日本帝国』を擁護する意図で、これを『中国と韓国が(日本)を不当に攻撃している』と単純化してアピールすればどうなるか。大日本帝国は『日本』という概念の一部なので、嘘をついていることにはなりません。けれども、それを聞いた人は、現在の自国が攻撃されていると感じ、不安や危機感を覚えます。自分が生きている『日本国』と昔の『大日本帝国』は同じ国ではないと認識していなければ、両方とも同じ『日本』だという思考に、それと気付かないまま誘導されます。そして、歴史問題をめぐる議論を『中国対日本』あるいは『韓国対日本』という単純な図式の『戦い』のように捉えて、日本人であれば『日本=大日本帝国』の側に味方するのが当然だという『結論』を示されれば、それに抗うことは難しくなります。なぜなら、日本人なのにそうしない人間がいれば、その者は『日本の利益に反する者=反日あるいは売国奴』ということになるからです。」

 この理論展開に真っ向から抗うのが山﨑雅弘さんの「歴史戦と思想戦」です。

 山崎さん曰く「言葉の銃弾が飛び交う戦場」の最前線からの山崎さんの気迫の文章が続いています。

 この夏、「主戦場」という映画を観ましたが、この映画を観て、この本を読むと、「歴史戦」の実相とそれを乗り越える術が理解できます。

 好むと好まざるとに関わらず私たちは「歴史戦」の最前線に立たされています。

 事実の本質を見抜く目を養うために、「歴史戦と思想戦」は国民必読の書だと私は感じました。

 山崎さんがこの本を書いた勇気に感服しています。

 山崎雅弘さんの「歴史戦と思想戦-歴史問題の読み解き方」を読まれた皆さん、感想をお聞かせ下さい。

映画「記憶にございません!」

 昨日、封切りされたばかりの三谷幸喜監督の映画「記憶にございません!」を観ました。

 今朝のしんぶん赤旗「日刊紙」の「潮流」にこの映画の事が書かれていました。

 「すさまじく国民から嫌われ、史上最悪と呼ばれるダメ総理。ある日、投げつけられた石が頭に当たり記憶喪失に。すると、金と権力に目がなかった悪徳政治家が善良で純朴な人物に変わる-」

 三谷幸喜監督は映画のパンフレットでこう述べています。

 「僕が作るコメディって、パロディの要素はほとんどないし、風刺喜劇でもないんすね。特に風刺は苦手。主義主張のために、自分の作品を使いたくないんです。だから今回も現実の政界を批判する気は最初からなかった。」

 しかしながら、しんぶん「赤旗」今朝の「潮流」はこう書いています。

 「国民に暴言をはき、消費税を挙げ、強行採決をくり返してきた首相がそれを反省して謝る場面も。」「一から政治を学び直して夢や理想をとりもどし、国民のための政策を実行する。それに逆行する政治が横行する世にあって、笑いに流されながらも政治とは本来こうあるべきなんだという思いがわいてきます」

 黒田総理の恩師・柳友一郎先生が憲法について講義をします。

 映画のパンフレットでこう解説しています。

 三権分立については次のように解説しています。

 「法律を作る力と行使する力、そして法律で誰かを裁く力-この3つの権力をあらかじめ分散させておくことで、致命的な暴走を防ごう。これはなかなかの知恵だと思いませんか?逆にいえば、権力がその3つを独り占めにできた状態、これ即ち『独裁』というわけです。」

 憲法については次のように解説しています。

 「法律をその手で使える内閣=国家は大きな力を持ち、その権力は濫用される危険性があります。そこで多くの近代民主主義国家では、すべての法律を越えたところから自国の政治のあり方を示し、同時に『国家権力を厳しく制限して国民の権利を守る』ために最高法規として〈憲法〉が置かれています。この、憲法で国の権力を縛るという考え方を〈立憲主義〉と呼びます。例えば、わが国の憲法第99条には『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う』とありますが、ここに『国民』が入っていないことが〈立憲主義〉のあり方を明確にしているといえるでしょう。」

 「潮流」はこう書いています。

 「『二度と政治に失望させない。』。映画のなかで主人公が発した国民との約束。」

 安倍政権が国民を失望させた最大の問題は、集団的自衛権行使容認の戦争法=安保法制を強行したことでしょう。

 憲法を守るべき政権が憲法違反の法律を強行したことは立憲主義をないがしろにする行為にほかなりません。

 「政治に失望させない」ために、先の参議院選挙で野党と「市民連合」が交わした「13項目」の共通政策の第一は、「安保法制の廃止」です。

 三谷監督は、この映画は「風刺喜劇」ではないと言われます。

 この映画は、憲法の原則にそった国民のための政治を取り戻そうという壮大なテーマがバックボーンにある素晴らしい作品でした。

 大いに笑い、最後には大きな勇気が湧いてくる映画でした。

 映画「記憶にございません!」。大いに笑いながら政治を一緒に考えてまいりましょう。

 三谷幸喜監督すばらしい作品をありがとうございました。

県内3町の保育園副食費が無償に

 昨日のしんぶん赤旗「日刊紙」に保育園副食費を無償にする自治体が広がっている状況が次のように報じられました。

 「10月からの保育・幼児教育の無償化にともない、保育料に含まれていた給食のおかずやおやつ代にあたる副食費が、実費徴収になります。保護者や保育関係者から悲鳴があがるなか、秋田県では半数以上、徳島県では4割以上、東京都では4割近くなど、全国で少なくとも100を超える自治体が無償にすることが明らかに。保護者負担軽減の動きも進んでいます。」

 14日時点で、「赤旗」として副食いを無償化する方針の自治体の内、山口県内は、「和木町、周防大島町、阿武町」となっています。

 保育料を国の基準より引き下げていた自治体でも、低所得世帯で副食費がこれまでの保育料を上回る「逆転現象」が起きるケースがあります。

 「赤旗」は東京都を除く主要82市(県庁所在地、政令市、中核市)の調査を行いました。

 山口市は、「保育料と副食費の逆転現象が起きないよう補助する」と「赤旗」の聞き取り調査に答えています。

 秋田県など都道府県として市町と連携して副食費の助成を実施したとろが生まれています。

 また、都道府県として10月の無料化に合わせ副食費の助成を検討している自治体も広がっているようです。

 是非、山口県としても、市町と連携して、10月の無償化に合わせ副食費の助成を行うべきです。

 この問題は、9月県議会で取り上げたいと考えているテーマの一つです。

 保育園副食費助成について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

恒藤恭「世界民の愉悦と悲哀」を読む

 京都市で長年、弁護士として活躍されている中島晃さんが今春「仏教と歴史に関する19の断想」という本を上梓されました。

 この本の感想を本ブログに掲載したことを契機として、作者である中島晃さんと親交させていただいています。

 法然や親鸞の思想を学ぶ雑誌「連続無窮」2019年秋号に、中島晃さんの「恒藤恭『世界民の愉悦と悲哀』を読む-国家主義を超えて」が掲載されています。

 昨年10月、韓国大法院(最高裁)は、新日鉄住金に対し、戦争中に強制的に働かされた元徴用工に一人あたり1億ウォンの賠償を命じる判決を下しました。

 この判決に対し、安倍首相は「国際法に照らしあり得ない判断」だと反発しました。

 安倍首相の発言について、中島さんは次のように指摘しています。

 「そもそも、国家が個人の損害賠償請求権を放棄できないことは、いまや国際人権法の常識ですらある。安倍首相や日本のマスメディアは、こうした国際的な人権法理に対する無知をさらけ出したといえよう。いうまでもないことであるが、『人権』はすべての人間が個人としてもつ個有の権利であって、国家は勿論のこと何人といえどもこれを奪うことができないものである。したがって、国家が個人の損害賠償請求権を含む人権を放棄することなどできないことは自明のことであろう。

 中島さんは、日本のマスメディアが国際的に無知をさらした背景について次のように指摘しています。

 「おそらく、『元徴用工』の補償問題を報道したマスメディアの関係者(記者まで含めて)は、自国の利益を第一とする自国ファースト(自国第一主義)のとりこになっているのではないだろうか。そして、またその根底には、低俗なナショナリズムの発想が流れていると思われる。」

 その上で、中島さんは、日本の代表的な法哲学者である恒藤恭が、雑誌「改造1921年6月号に書いた「世界民の愉悦と悲哀」と題する論文を紹介しています。

 恒藤は、個人の自由と幸福のために重要な条件である生存権について、世界民は国家に対し、次の三重の関係において生存権を要求すると書いています。

 第一に、「各国家がその国民の全員に対し、平等の生存権を確保すべきこと、還言すればその国民の全員をして平等に人間らしき生活をいとなみ得させるような社会組織を達成することを、自然法の権威によって要求」する。

 第二に「各国家がその領土内に在る一切の他国民に対し自国民と平等なる生存権を確保すべきことを要求」する。

 中島さんは、「一国の領土内における生存権の保障は国籍を問わないのである」と注釈しています。

 第三に「それそれの国家を構成している国民の平均的生活程度が、能ふ限り同位置の高さに近づき得るやう、各国家が相互に他の国家に対して必要な生活手段を補給し合ふべき義務を履行することを希望する」

 この恒藤の主張について、中島さんは、次のように評価しています。

 「フランス革命などの人権思想をはるかに超えて、生存権を普遍的人権として、すべての国家の存立の原理とすることを要求するものであり、そのラジカルな人権思想に深い感動を覚えるものである。」

 恒藤は、戦争と平和の問題について次のように書いています。

 「人類を殺戮することが、国家を愛することと為るならば、愛国心とは最も恥ずべき不徳ではあるまいか?戦争のいとふべく、悲しむべく、呪ふべきことを、世界民は何人に劣らず深刻に感じてゐる。だから戦争を防止し、戦争の機会を減少することを目的とする制度なり努力なりに対し、彼らは満腔の賛意を表する。」

 中島さんは、恒藤の法思想の今日的意義について次のように指摘しています。

 「元徴用工問題についても、恒藤が100年近く前に説いた世界民の法思想とそれを具現した国際人権法理にもとづいて議論することが求められている。しかし、さきに述べた安倍首相などの日本政府の見解とそれに同調するマスメディアの論稿がさきに述べた国際人権法理に明白に反するものになっているのは、まことに残念なことである。こうした議論の背景に国家主義の台頭があることが指摘されているが、恒藤が国家主義が好戦思想の道連れであると鋭い警告を発していることからいえば、いまあらためて、国家主義と対峙して、これをのりこえるために不断にたたかい続けることがもとめられているといえよう。」

 個人の上に国家を置き、戦争に突き進んだ歴史を繰り返してはなりません。

 戦前の幾多の戦争の渦中にあった約100年前に、「国家主義は好戦思想の仲よい道連れであることはいうまでもない」と指摘した恒藤恭の法思想は、今日的に大きな意義があることを感じました。

 私は、イージス・アショア配備撤回を求める運動や朝鮮学校の補助金回復を求める運動や長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会の運動などに関わっています。

 これらの問題を解決していくためには、「国会主義と対峙して、これをのりこえるために不断にたたかい続けることがが求められている」ことを中島さんの文章から痛感しました。

 これからも中島晃さんと親交させていただいていることを喜びとし、中島さんからしっかり学んでいきたいと思います。

 最近の安倍政権の動きについて皆さんはどうお考えですか。お教え下さい。

「知事がハワイ陸上イージス実験施設見学」との報道について

 読売新聞は、12日、「陸上配備型迎撃システム『イージス・アショア』の陸上自衛隊むつみ演習場(萩市、阿武町)への配備を巡り、村岡知事が10月中旬、米ハワイ州に設置されているイージスアショアの実験施設を視察する方向で調整していることがわかった。知事は、安全、安心などの面から配備の是非を検証する判断材料にしたい考えだ。関係者によると、知事が視察を計画しているのは、カウアイ島にある米軍のイージスアショア実験施設。県議会の柳居俊学議長ら数人の自民党の県議と現地を訪れ、米軍関係者から施設の概要やイージス・アショアの性能、安全性などについて説明を受ける予定という。」などと報じました。

 県民の方からこの問題で「レーダーを見ても電磁波は見えないし、公式見解を聞くだけ」など村岡知事のハワイ基地見学を疑問視する声が私の所に寄せられています。

 昨年9月29日の秋田魁新聞は、記者がルーマニア・デベセル基地を訪ねたレポートを掲載しています。

 ブースター落下の懸念について次のように報じています。

 「周辺は牧草地や農地、野原に囲まれ、牧歌的な雰囲気さえ漂うが、基地が周辺に与えるかもしれないリスクがあるのも事実だ。迎撃ミサイルを発射した際、地上に落下するブースター(推進部分)がそれだ。迎撃ミサイルの構造は三段階から成る。このうち1段目のブースターは途中で切り離され、地上に落下する。米軍はルーマニア政府に対し、基地周辺にブースターが落下する危険性を説明しているという。基地から3キロの地点には、人口約3150人のデベセル村がある。これに対し、日本政府は、1万3千人が暮らす住宅密集地に近接する秋田市の陸上自衛隊新屋演習場を配備候補地としており、落下した場合の影響は深刻だ。防衛省は『日本海に落下させる軌道を取るため、住宅地に落ちることはない』と説明している。陸上イージス基地のアクセル・シュタイナー司令官は、『統計に基づく落下予測はあるが、100パーセント想定の範囲内に収まるとは言えない。最も確実な安全策は、基地の周りに住宅を造らないことだ』と話した。」

 村岡山口県知事と藤道萩市長と花田阿武町長は、6月14日、防衛省への第四回目の照会文の中で、「迎撃ミサイルの飛翔経路をコントロールし、ブースターを演習場内に落下させるための措置を講じるとされているが、突発的な弾道ミサイルの飛来に対応し、瞬時に当該ミサイルの速度・飛翔方向、上空の風向・風速、落下時のブースターの姿勢等の諸条件を把握し、ブースターの落下位置を計算の上、迎撃ミサイルの発射を正確に制御することは可能なのか。」と指摘しています。

 これら照会文に防衛省は未だに回答していません。

 ハワイ基地の見学が、これら疑問への明確な回答になるとは到底考えられません。

 県民が、村岡知事に、なにより求められるのは、防衛省が示したむつみ演習場が「適地」とする資料に対し、県民から出されている様々な指摘に防衛省がしっかり答えることを求めることです。

 村岡知事がハワイの陸上イージス実験基地を視察するとの報道が行われました。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 

 

広島市立観音中学校夜間学級を視察

 昨日、広島市立観音中学校夜間学級を視察しました。

夜間中学校

 広島市立観音中学校夜間学級を視察しました

 村井校長と佐々木広島市教育委員会学校教育部指導主事から丁寧な説明を受けることが出来ました。

 お忙しい中、快く視察を受け入れて頂いた関係者の皆様方に感謝申し上げます。

 広島市には、観音中と二葉中に夜間学級が設置されています。

 条件は、①広島市に住んでいる人 ②15歳以上で、小学校や中学校を卒業できなかった人、または、卒業はしたけど十分に勉強できなかった人です。

 市立観音中学校は、1947年に開校しました。

 夜間学級は、1954年に「二部学級」として開設され、1973年に、現在の「夜間学級」となりました。

 現在、観音中夜間学級には、16名が在籍しています。国籍は、日本人2名、中国8名、ネパール5名です。

 村井先生は、「外国籍の生徒さんは増えるだろう」と話されました。

 学年を横断して学習グループで学んでいます。

 学習グループは次の通りです。 

 日本語基礎、日本語発展、教科基礎、教科発展

 授業参観もさせていただきました。強化基礎では、ネパールと中国の方が、先生の言葉を理解してかなり高度な日本語の授業を受けておられました。

 生徒の皆さんの学ぶ姿勢の本気さがひしひし伝わってきました。

 山口県教育委員会から、県内の未就学者数が1678人(平成22年国勢調査)であるとお聞きしました。

 私は、「未就学者や義務教育未修了者は減る傾向でしょうか。」とたずねました。

 村井校長先生から、義務教育未修了だった方が、夜間学級で学び、高校に入学した例をお聞きしました。

 その上で、村井先生は「様々な事情で義務教育を修了できない方々は今後も生まれるでしょう。」と話されました。

 文科省の「夜間中学の新設に関する最近の動向について」という資料の中に高知県、徳島県、静岡県で設置に向けた動きがあるとあります。

 徳島県では県立学校として夜間中学を設置する方針とあります。

 村井先生は、入学条件が市内在住者となっていることに関連し、「他市に引っ越し、転校した生徒がいた」と話されました。

 今後、山口県で、夜間中学校を検討する場合、県立という選択肢もあるのではないかと感じました。

 村井先生は、「教員数などから受け入れる生徒は限られている」現状を話されました。

 市内に2校夜間中学のある広島市でも希望する全ての生徒が夜間中学に入学できている状況ではないことが分かりました。

 文科省は全ての都道府県に夜間中学校を設置する方針を掲げています。

 山口県でも一日も早く、夜間中学校を設置すべきだと広島市立観音中学校夜間学級を視察して痛感しました。

 夜間中学校の問題について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。