8月28日、14時10分、厚東川氾濫の恐れがあるとの理由で、沖ノ旦地区の3世帯に避難勧告が発令れました。
28日、避難勧告が発令された厚東川(沖ノ旦)
浅田宇部市議を通じて、昨年のこの地域の避難勧告発令の状況を調査しました。
昨年は、6月30日の14時20分と16時45分に、厚東川氾濫の恐れがあるとの理由で、末信・沖ノ旦地区の68世帯に避難勧告が発令されました。
7月6日の10時45分にも、厚東川氾濫の恐れがあるとの理由で、末信・沖ノ旦地区の67世帯に避難勧告が発令されました。
この2年で、3度も厚東川氾濫の恐れがあるとの理由で、この地域に避難勧告が発令される理由は何でしょうか。
理由は、この地域に堤防が設置されていないからです。
私は、2009年9月県議会において、「厚東川水系河川整備計画」を策定し、『堤防未設置区間-県道琴芝際波線沖ノ旦橋以北東岸は事業着手すべき』と質しました。当時の柳橋土木建築部長は「『厚東川水系河川整備計画』の策定を、来年度末をめどに進めており」「堤防整備について、現在検討を行っているところです。」と答えました。
その結果、厚東川水系河川整備計画が策定され、厚東川沖ノ旦橋から末信地区上流までの約4キロ区間を約30年で、100分の1の確率に対応する堤防を整備することが示されました。
その後、30分の1の確率に対応した暫定堤防を沖ノ旦地区に作る事業が現在行われているところです。
先日、担当者に進捗状況をお尋ねしたところ「今年度、水道管や工業用水道管の移設が行い、来年度から堤防の工事を行う計画である。」との回答でした。
しかしながら、この地域の堤防が未完成のため、昨年も67世帯、132人に避難勧告が出されたところです。
9月1日に行われた西宇部校区自主防災会による防災訓練の際にも、地元の沖ノ旦自治会の役員の方から「沖ノ旦地域の堤防の早期完成」を求める意見が出されました。
暫定堤防を早期に完成させ、一日も早く、沖ノ旦、末信地域の堤防が完成するよう、私は、引き続き、必要な発言を行ってまいりたいと思います。
ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでいます。
ブレイディみかこさんは、福岡市生まれ。イギリスに住み、現地で結婚し、息子が生まれました。
息子さんは、カトリックの小学校で学び、カトリックの中学校には入学せず、ブレイディさん曰く「元底辺中学校」に通います。
息子さん=「ぼく」が「元底辺中学校」で起きる事件にどう立ち向かっていくのか、ブレイディさん=「お母さん」の目から追ったドキュメントが本書です。
本の帯にはこう書いてあります。
「優等生の『ぼく』が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした『元・底辺中学校』だった。ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり・・・。何が正しいのか。正しければ何でもいいのか。生きていくうえで本当に大切なことは何か。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。」
「ぼく」の言葉に読者の私も考えさせられます。
「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレイジーになるからね」
ブレイディさんの言葉にも深い意味があります。
「分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分のほうが上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとうときに起きるのかもしれない。」
イギリスの中学校のカリキュラムの要約文に次のようなものがあるとブレイディさんは書いています。
「政治や社会の問題を批判的に探究し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない」
息子と友人が「緊縮」についてディベートする様子をブレイディさんはこう綴っています。
「緊縮」について友人がこう答えます。
「この国の住民は英国というコミュニティに会費を払っている。なぜって、人間は病気になったり、仕事ができなくなったりして困るときもあるじゃない。国っていうのは、その困ったときに集めた会費を使って助け合う互助会みたいなものなの」
「その会費って税金のことだよね」
「そう。ところが、緊縮っていうのは、その会費を集めている政府が、会員たちのためにお金を使わなくなること」
「こんなことしたら困っている人たちは本当に困るでしょ」
「そう。本当に困ってしまうから、いまここでみんなでサンドウィッチを作ったりしているの。互助会が機能していないから、住民たちが善意でやるしかない」
「でも、善意っていいことだよね?」
「うん。だけどそれはいつもあるとは限らないし、人の気持ちは変わりやすく頼りないものでしょ。だから、住民から税金を集めている互助会が、困っている人を助けるという本来の義務を果たしていかなくちゃいけない。それは善意とは関係ない確固としたシステムのはずだからね。なのに緊縮はそのシステムの動きを止める。だからこうやってみんなで集まって、ホームレスの人々にシェルターを提供したり、パトロール隊が出て行ったりしているの」
日本も「緊縮」になっています。
10月から消費税が増税されようとしているのに、「緊縮」は止まりそうにありません。
この本から、生き方や政治のあるべき姿まで多くの事を学んでいます。
さあ、今日は、9月山口県議会に向けての議会運営委員会が行われます。
私は、委員の一人として出席します。
「住民から税金を集めている互助会が、困っている人を助けるという本来の義務を果たしていかなくちゃいけない。」
山口県民の命と暮らしを守るため、今議会もしっかり発言しようと、準備を進めています。
県政全般に関わる皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑が主催し、6日に行われた、第45回山口原爆戦没者追悼・平和式典に来賓として参加しました。
平和式典での私
核兵器をめぐる世界の情勢が緊迫している状況が、「平和宣言」や「メッセージ」で指摘されました。
重大問題が、中距離核戦力(INF)全廃条約をめぐる状況です。
ゆだ苑理事長の岩本晋さんは、「被爆74年 平和宣言」の中で、この問題を次のように指摘しました。
「核弾頭などを登載する射程500~5500㎞の地上発射型ミサイルを禁じた米露の中距離核戦力(INF)全廃条約が失効したこと、そして、米露が限定的な核兵器使用を想定した新たな指針をまとめたこと。加えて、非核攻撃への反撃に核を使用する核戦略見直し(NPR)を発表したことです。
平和式典にメッセージを寄せた田上長崎市長は、この問題を次のように指摘しました。
「8月2日の米国とロシアの中距離核戦略(INF)全廃条約失効の後に、米国は中距離ミサイル発射実験を実施し、ロシアや中国がこれに対抗する措置を取る構えをみせています。」
この問題について、8日のしんぶん赤旗「日刊紙」の「潮流」は、中距離核戦力(INF)全廃条約の失効後のアメリカの動きについて次のように指摘しています。
「(INF条約)失効後の1カ月、配備に向けた動きが進んでいます。米国防総省は8月18日にカリフォルニア州で地上発射型巡航ミサイルの飛行実験をしました。すでにエスパー米国防長官は通常弾頭だとしつつもアジアに配備する意向を表明。米議会の諮問機関『米中経済安全保障調査委員会』の報告書(2月)は『専門家が最もありそうな配備先に挙げるのは日本だ』と指摘します。現役の米海軍少佐はオンライン誌ディップロマット(8月30日)に寄稿し『グアムは『中国が完全に標的にしている』。代わりに奄美大島と宮古島、石垣島に自衛隊が新設・建設中の駐屯地を米軍ミサイル部隊と共同使用することを提案しています。南西諸島の戦場化を前提にした主張です。エスパー発言の直後、オーストラリアのモリリン首相は豪州配備を拒否する考えを示しました。一方、安倍首相はINF条約失効について『米国の問題意識は理解する』『(米国の主張を)考慮する必要がある』。核軍拡競争を加速し、自国を戦場にしかねない動きでも米国追随。この政権の危うさがここにも。」
INF全廃条約失効後のアメリカが、ロシアに近い日本の自衛隊のミサイル基地を利用しようとしています。
一つの拠点は、奄美大島から石垣島へ建設されようとしているミサイル基地であり、もう一つは、秋田と山口の陸上イージスのミサイル基地ではないでしょうか。
これらの動きは、赤旗主張が指摘している「自国を戦場にしかねない動き」と言えます。
オーストラリアのように、このアメリカの動きに、唯一の被爆国政府として日本は、はっきりノーを突き付ける時です。
INF全廃条約失効の動きと国内でのミサイル基地建設の動きを皆さんはどうお考えですか。
ご意見をお聞かせ下さい。
「山田洋次 名作映画DVDマガジン」NO5「学校」を久しぶりに観ました。
この映画は、1993年に公開された作品です。
私が、20代の後半の頃、映画館で観た映画でもあります。
映画館で観て、DVDマガジンが発売されて観て、3回目の鑑賞でしたが、今回が一番泣いたのではないかと思います。
50を過ぎて涙もろくなったのでしょうか。
マガジンから映画の概要部分を引用します。
「東京の下町にある夜間中学の教師、黒井文人は7人の生徒を受け持っている。ビル清掃の仕事をしているカズ、不登校児だったえり子、元ツッパリ少女のみどり、在日韓国人のオモニ、中国人青年の張、知的障害のある修、読み書きができなかった中年男イノさん。」
生徒一人ひとりの人生の描写が、私の心に響きわたり、落涙となりました。
映画の後半で、「幸福」について語りあうシーンが出てきます。
昨日、取り上げた「夜間中学と日本の教育の未来」の中で、前川喜平さんが「憲法26条と基本的人権」に関して次のように述べています。
「私はこの13条の個人の尊厳や幸福追求権というものがすべての人権の根底にあると思っています。その個人の人権、個人の尊厳を実際に実現する、あるいは幸福を本当に追求できるようにするとき、基礎にあるのは教育であるということです。それがなければ、自分の尊厳を守ることもできないし、自分の力で幸福を追求することもできません。その個人の尊厳や幸福追求権の不可欠の基礎をなしているものが教育であると思っています。したがって、やはり教育こそが人権保障の中核にならなければならないと思っています。」
ツッパリ少女みどりが、夜間中学に出会うまでを語るシーンがあります。
鑑別所から中学校に戻ったけれど、一日で学校を辞めてしまった。友達と遊んでばかりの暮らしだったが、ある日夜間中学の事を知った。
夜間中学校の入り口に座り込んでいたら黒井先生に声をかけられた。
みどりは、自分の居場所を夜間中学の中にみつけました。
生徒の生い立ちの中で、夜間中学に出会えたことと、前川さんが述べた「個人の尊厳や幸福追求権の基礎をなしているものが教育」という意味を結びつけて考えることが出来ました。
「個人の尊厳や幸福追求権の基礎をなしているのが教育」で、その究極の場の一つが夜間中学であることが分かりました。
一人ひとりの県民の幸福追求権を保障するために夜間中学が必要だと思いました。
映画「学校」。何度観てもいい映画です。山田洋次監督に感謝します。
先月末、日本共産党中央委員会主催で「イージス・アショア対策会議」が行われました。
会議の前に、中央委員会近くの美和書店に立ち寄り、埼玉県に夜間中学を作る会・川口自主夜間中学編「夜間中学と日本の教育の未来」を購入し、帰りの新幹線の中で読了しました。
この本には、文部科学事務次官の際に、前川喜平さんが2016年10月「埼玉に夜間中学を作る会・川口自主夜間中学31周年集会」で行った講演が収録されています。
前川さんは、憲法26条「すべての国民は、法律が定めるところにより、その能力に応じ、ひとしく教育を受ける権利を有する」について次のように解釈しています。
「国籍があるかないかに関わらず基本的人権は持っています。基本的人権というのは人間であるから必ず保障されなければならないもので、国籍がなんであろうと基本的人権はすべての人が持っています。したがって教育を受ける権利もです。これは国籍に関わるものではないと思っております。この条文の解釈について、『いや国籍を持っている人だけのことだ』と解釈する人もいます。しかし、国際人権規約というものがすでにありまして、日本国はそれに加入していますから、国際人権規約に基づいて、教育を受ける権利は国籍に関わらず、条約上の人権義務をすでに負っております。したがって、憲法が保障するかしないかに関わず、条約上の人権保障の義務として、いずれにしても国籍を問わず教育を受ける権利を保障することは、行政の責任としてあるということを確認しておきたいと思います。」
前川さんは、その上で、こう述べています。
「『すべての人に教育を受ける権利を保障する』と憲法にありますが、実際にそうなっておらず、その人権保障から漏れ落ちている人たちが少なからず存在するのです。
前川さんは、「人権保障から漏れ落ちている人」の事例を列記しています。
第一は、「義務教育を修了していない人たち」です。前川さんはこう述べています。
「国勢調査では小学校を卒業していない人は捉えられているんですけれども、中学校を卒業していない人のことは把握できていません。そこのところを把握できるようにしてくれと、前から文部科学省も総務省にお願いしていますが、小学校に行っていない、あるいは卒業していない人が12万人いるということがわかっています。さらに小学校を卒業しているけれど中学校を卒業していない人を加えたら、もっと増えるのは明らかだと思っています。
第二は、「形式卒業者」等です。前川さんはこう述べています。
「卒業証書をもらっているけれども、実はほとんど勉強していなかったという人たち。そういう義務教育未修了者の人たちが存在している、これは、もう夜間中学の関係者の方々はよく知っておられることです。学齢の児童生徒に関しても、ずっと不登校のままだという子どもがいるわけです。それから居所不明のどこにいるのかわからなくなっている子どもたち、あるいは戸籍を持たない人たち、これも少数でありますけれどもいます。」
第三は、「定住外国人」です。前川さんはこう述べています。
「外国籍の中には不法滞在(オーバーステイ)の人もいます。親の責任でオーバーステイの人もいます。親の責任でオーバーステイになっていることはあるんでしょうけれど、しかし子どもの教育を受ける権利は保障しなければいけないと考えております。私共はオーバーステイの子どもたちが公立学校に入りたいと言ってきた場合に、その滞在資格は確認しなくていいと言っています。教育委員会に対しては『そこに住んでいることだけ確認できれば学校に入れてください』とお願いしています。オーバーステイかどうか確認してくださいと言ったとたん、その親は子どもを学校によこさなくなるでしょう。これでは子どもの学習する権利が実現できなくなるということです。」
前川さんは、その上で、夜間中学の役割を記した文科省の通知を示して次のように述ています。
「ここに『今後は不登校のためにほとんど学校に通えないまま学校の教育的配慮により中学校を卒業した者(要するに形式卒業者と言われる人たち)に教育の機会を提供していくことも期待』と書いています。『形式卒業者も夜間中学に入れます。入れてください』という通知を文部科学省が出しました。そのことじたいは非常にいいことですけれども、31校しかないのに、そんなこと言っていいのかという思いもありました。『入っていいですよって言ったって、入るところがないじゃないか』という話ですね。文部科学省のこの通知は、出したことは良いことだと思いますが、ある意味無責任な通知です。行くところないのに『行っていいですよ』と言っているのですから。ですからこの通知を出したからには、各県に必ず作ることに踏み出さないと、この通知をなぜ出したのかという話になると思います。」
前川さんは、夜間中学の役割について次のように述べています。
「憲法の求める教育を受ける権利の保障、義務教育の補償、それを現実に実現する上で非常に重要な役割を負ってきたと思っています。」
前川さんが文部科学省を退官された後も、文部科学省は、各都道府県に夜間中学をとの動きを強めています。
私は、憲法の求める教育を受ける権利を保障する上で重要な役割を持つ夜間中学を山口県内にも設置すべきだと思います。
私は、今月、12日に、隣の広島県広島市にある夜間中学を見学する予定です。
山口県に夜間中学を求める様々なご意見を是非、私に届けて下さい。
先日、参加した講演会で、ある講師の方が、出口治明さんの事を話題にされました。
その内容が心に残り、数多い出口さんの著作の中から、講師の方が取り上げた内容が含まれている「人生を面白くする本物の教養」という本を購入し、読みました。
現在の政治課題に対し見解が違う部分も数カ所ありましたが、共感する部分が多数でした。
共感した部分の一つ目は、「ナショナリズムと愛国心」についてです。出口さんは、本書で次のように書いています。
「著名な歴史学者ルカーナは『歴史学の将来』の中で、『ナショナリズムとは、劣等感と不義の関係を結んだ愛国心である」という連合王国の外交官の名言を紹介しています。愛国心は誰にでもあるごく自然な感情です。自分の生まれた国、育った土地に愛着を抱く、本源的と言ってもいい精神の働きです。これは本来、自分が生まれた大切な場所を守っていきたいという防御的な心理のはずで、ほかのところをどうこうするものではありません。ところが、『劣等感と不義の関係』を結ぶと、他者に対して攻撃的になります。それがナショナリズムです。したがって、愛国心とナショナリズムはまったく別のものだと考えるべきです。ヘイトスピーチを声高に叫んでいる人やいたずらに嫌中・嫌韓を煽り立てている人は、その弁えがないと言うほかありません。『世界中から嫌われる隣国』『世界中から好かれる日本』などという言説に遭遇するたびに悲しくなります。こういう人たちは普段から『A君B君は会社中から嫌われている』『僕は会社中から好かれている』などと平気で話しているのでしょうか。」
今日の「週刊ポスト」の言論問題にも当てはめて考えることの出来る出口さんの論証です。
二つ目は、女性に対する視点です。出口さんは、「日本にはまだかなり伸びしろがある」という章の中で次のように書いています。
「冷戦構造のもとで『キャッチアップモデル、人口増加、高度成長』の三点セットの時代が終わり、日本が遅れていたり、意識が低かったりする分野が、露わになってきました。しかし、そのことは逆に、日本の成長の余地がたくさんあることを教えてくれます。たとえば、世界経済フォーラム(WEF)が発表した『国際男女格差レポート2014』によれば、日本の男女平等達成レベルは世界142カ所中104位とランクされました。日本は男女平等の実現においてきわめて未熟だという、厳しい結果です。けれども、もし日本でOECD諸国の平均並みに女性の社会進出が進んだら、GDPが10~20%伸びるという試算もあります。まだ大した努力をしていないので、伸びしろがかなりあります。」
女性活躍社会が叫ばれていますが、「まだ大した努力をしていない」状況は、この本が書かれた2015年とあまり変わっていないのかも知れません。
さて、出口流・教養を高める極意です。この点は、冒頭紹介した講演会の講師の方が引用された部分です。
一変に私の心を鷲掴みしました。
第一は、「本を読む」。第二は、「人に会う」。第三は、「旅に出る」。
この点について出口さんはこう書いています。
「私は自分自身を教養人だと思ったことは、一度もありません(実態はむしろ野蛮人に近いと思っています)。ですが、私にいくばくか教養のようなものがあるとすれば、それを培ってくれたのは『本・人・旅』の三つです。私はこれまでの人生で、『本・人・旅』から多くのことを学んできました。あえて割合を示せば、本から50%、人から25%、そして旅から25%ぐらいを学んできたといったところでしょうか。」
私に当てはめると、「本が25%、映画が25%、人が25%、旅が25%」でしょうか。
「本・人・旅」は、これからも私の指針の一つになることでしょう。
出口さんは、「政府を批判することは市民の重要な権利」の章の中でこう書いています。
「現在の政治が気に入らなければ、私たちが投票によって政治を変えればいいのです。政府は市民の対立物ではありません。政府は私たちがつくるものです。政治におけるリテラシーの核になるのは、『政府は私たち市民がつくるもの』という健全な当事者意識にほかならないと思います。」
世界をまたにかけ活躍した経済人であり、今は大学のトップを務める出口さんならではのグローバルな視点での一言一言が心に響きます。
上の言葉は、政治家としての自分を大いに励ましてくれます。
若干の見解の相違はありながら、出口さんの論証をリスペクトし、出口さんの著作から今後も大いに学んでいきたいと思います。