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異常な『トランプ追随』を際立たせた日米首脳会談

 安倍首相とトランプ米大統領は10日、ホワイトハウスで初めて会談を行いました。

 この日米首脳会談に対し、日本共産党の志位和夫委員長が以下の談話を発表しました。

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異常な〝トランプ追随〟を際立たせた日米首脳会談

2017年2月11日

日本共産党幹部会委員長 志位和夫


一、安倍首相とトランプ米大統領との初めての日米首脳会談は、「米国第一」を掲げるトランプ政権に対して、安倍首相が「日米同盟第一」の立場で追従し、安保政策でも、経済政策でも、異常な〝トランプ追随〟が際立つものとなった。
 この首脳会談は、トランプ大統領の7カ国市民などに対する入国禁止令に、米国内外から厳しい批判が集中しているさなかに行われた。安倍首相は、この重大な国際的人権・人道問題に対して「コメントを控える」とのべ、黙認の態度をとり続け、ここでも際立った‶トランプ追随〟の姿勢を世界に示した。

一、首脳会談では、「日米同盟の強化」が強調され、「日本は同盟におけるより大きな役割及び責任を果たす」、「日米両国は2015年の『日米防衛協力のための指針』で示されたように、引き続き防衛協力を実施し、拡大する」ことが合意された。さらに、「日米同盟を更に強化するための方策を特定するため」、日米の外務・防衛担当閣僚による「2+2」を開催することが確認された。
 これらは「新ガイドライン」、安保法制=戦争法にもとづいて、米軍と自衛隊の地球的規模での軍事協力――「海外で戦争する国」づくりをさらに推進するという誓約にほかならない。わが党は、こうした危険な日米軍事同盟の侵略的強化にきびしく反対する。憲法違反の安保法制=戦争法を廃止するために全力をあげる。

一、首脳会談では、名護市辺野古への米軍新基地建設について、「唯一の解決策」として推進することが確認された。「日米同盟」のためとして、沖縄県民が繰り返しの選挙で示した民意を踏みにじり、新基地を押し付けることは、絶対に容認できない。

一、経済問題でも、安倍首相の‶トランプ追随〟の姿勢が際立った。首相は、共同記者会見で、「日本は、大統領の成長戦略に貢献し、アメリカに新しい雇用を生み出すことができる」とのべた。トランプ大統領の米国内の経済政策に、日本が全面的に協力し、貢献することを、一方的に表明するというのは、異常な「貢ぎ物外交」というほかない。
 首脳会談では、トランプ政権がTPPからの離脱を決定するもとで、「日米間で二国間の枠組みに関して議論を行う」ことも含めて、日米の貿易と投資の「深化」をはかるための「最善の方法を探求することを誓約」した。TPP交渉で日本が譲歩した内容を前提にして、日米の二国間交渉によって、あらゆる分野でさらなる譲歩にすすむ危険がある。わが党は、こうした方向に断固反対する。
 さらに、首脳会談では、今後の日米経済関係についての新たな協力の枠組みとして、麻生副総理とペンス副大統領のもとで「経済対話」を立ち上げることが決定され、「経済政策」「インフラ投資やエネルギー分野での協力」「貿易・投資のルール」の3つの柱で協議を行っていくことが合意された。この新たな枠組みが、日本に対する新たな経済的内政干渉の枠組みとなることが強く危惧される。

一、「米国第一」を掲げるトランプ政権に対して、安倍政権が「日米同盟第一」の立場でのぞむなら、あらゆる分野で矛盾が深刻となり、立ち行かなくなることは、明らかである。「日米同盟」を最優先する硬直した思考の抜本的見直しが必要である。
 従属の根源にある日米安保条約を廃棄し、それに代えて日米友好条約を締結することにこそ、対等・平等・友好にたった21世紀の日米関係の未来があることを強調したい。

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 日米首脳会談に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

1984年

 ある書店に、「トランプ政権の登場を予測した本として注目を集めています」という主旨のポップが書かれてあり、自宅にあるジョージ・オーウェルの「1984年」を開いています。

 冒頭に出てくるこの国を支配する党の3つのスローガンは強烈です。

 「戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり」

 イギリスのオックスホード大学出版局は、2016年に注目を集めた言葉として「ポスト真実」という言葉を選びましたが、1949年に発表されたこの作品のこの言葉こそ「ポスト真実」の政治を言い当てていると思いました。

 ポスト真実の政治とは、事実に基づかない主張、つまり嘘・偽りを繰り返すことで、人々を扇動し、うねりをつくり出す政治を示す言葉です。アメリカのトランプ氏の言動がまさに「ポスト真実」の政治の見本とされています。

 トマス・ピンチョンが解説で、「平和省は戦争を遂行し、真理省は嘘を吐き、愛情省は党の脅威になりそうな人物を片っ端から拷問し殺していく。もしこれが馬鹿馬鹿しいほど異常に思われるなら、現在のアメリカ合衆国に目を向けて欲しい。戦争を創り出す装置が『国防省』と呼ばれていることに疑問を想っている人はほとんどいない。同様に、司法省がその恐るべき直轄部門であるFBIを用いて、基本的人権を含む憲法の保障する権利を踏みにじっていることは、十分な証拠が書類として提出されているにもかかわらず、我々はその省を真顔で『正義の省』と呼んで兵器でいる。表向きは自由とされている報道機関も、常に『バランスの取れた』報道をすることが求めあっれ、あらゆる『真実』は、同等の価値を持つ正反対の情報によって即座に嘘を与えられているのが、そうした情操操作はすべて好意的に『ひねった解釈』などと呼ばれ、楽し気にスピンするメリーゴーランドと同様、何の危険もないと考えられる。・・・」

 第27回党大会の中で志位委員長は、「ポスト真実」の政治は、安倍首相が「先駆的」に行っているとして、「安倍政権は、嘘と偽りでつくられた『虚構の政権』に他なりません。真実に光をあてれば、必ず崩壊します。」と発言しました。

 世界の政治の中で、「ポスト真実」の政治を許してはなりません。真実に光をあて、安倍政権を退陣に追い込みましょう。

 その一助に、「1984年」をしたと思います。

 ジョージ・オーウェルの「1984年」を読まれた皆さん、感想をお聞かせ下さい。

「サンデー毎日」で志位委員長と小沢代表が対談

 「サンデー毎日」2月19日号で、日本共産党の志位和夫委員長と自由党の小沢一郎代表の大型対談が6ページにわたって掲載されました。

 対談は、トランプ政権の発足の話題から始まります。

 志位委員長は「トランプ政権が『米国第一』と言う時に安倍政権は『日米同盟第一』と言う。この組み合わせは最悪だ。軍事、外交、経済で米国への歯止めのない追従が進むことになる。」と発言します。

 小沢党首は「僕の体験で言うと、米国という国は徹底的にやってくる。」「いずれにせよ、安倍流おパフォーマンスが通用する相手ではないし、通用させてもらったら日本の国益が危うい。」と発言します。

 総選挙に向けても大いに議論が発展します。

 志位委員長は「一つは、共通公約・共通政策を、国民から見て、野党に任せてみようという魅力ある豊かな内容にしていく。」「二つ目は、相互推薦・相互支援の実現だ。」「三つ目は、政権問題での前向きの合意だ。」と提起しました。

 小沢党首は、「共産党が方針を大転換して、野党で強力しようという状況の中で、勝てないわけがない。だからこれを誠心誠意、きちんと受け止めて選挙協力すればいい。3条件も僕は異論ない。」と応じました。

 倉重篤郎毎日新聞専門編集委員は、「3期9年を狙う安倍1強体制は、ここにきてトランプリスクという伏兵の登場に脅かされている。従米路線をなぞるだけでは行き詰る可能性が出てきた。ある意味、野党共闘が安倍政権を倒す好機になっている。それこそが安倍政治を終わらせる日本の最大の再建策、となるだろう。」とこの対談を締めくくっています。

 日本の最大の再建策としての野党共闘を山口県内でも実現させるために、私は、日本共産党の山口3区予定候補として力を尽くす決意です。

 是非みなさんも「サンデー毎日」の志位委員長と小沢党首の対談をお読みいただければと思います。

 お読みになった皆さん、感想をお聞かせ下さい。

空白を満たしなさい

 平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」を読み終えました。

 上下巻で文庫版で600ページを超える大作でしたが、私の40年を超える読書生活の中でも大きなインパクトのある作品でした。

 50代になった今、この本に出合えた喜びを感じています。

 この本で、平野さんは、「分人」という考え方を提示しています。

 作中、自殺した徹生に、NPO法人を運営している池端が語りかけます。

 「人間は、生きていくためには、どうしても自分を肯定しなければならない。自分を愛さなくては、生きていくのが辛くなってしまう。しかしですよ、自分を全面的に肯定する、まるごと愛するというのはなかなか出来ないことです。よほどのナルシストじゃない限り、色々嫌なところが目についてしまう。しかし、誰かといる時の自分は好きだ、と言うことは、そんなに難しくない。その人の前での自分は、自然と快活になれる。明るくなれる。生きていて心地が良い。全部じゃなくても、少なくても、相手が、二人、三人いるなら、足場は二つになり、三つになる。だからこそ、分人化という発想が重要なんです。」

 私も分かりかけたばかりの「分人」という考え方ですが、人が穏やかに生きていく上で大切な考え方だと思えます。

 平野さんは、「分人」という考え方を新書や対談集でも紹介されているようなので、深めていきたいと思います。

 心理学や精神科医療でも活用できるのではないと思いました。

 平野さんは、今年1月24日のしんぶん赤旗日刊紙の「2017いま言わなければ」に登場されています。

 「状況は切迫しています。いまの政権に対峙して改憲をやめさせるには、小選挙区制のもとでは、野党が共闘する以外にありません。社会保障の充実、多様性の用語、経済的格差をできるだけなくすことを野党共闘の理念に掲げてほしい。特に、日本社会からやさしさが消えています。働いてない人間は社会保障費を使って、社会に迷惑をかけているという論調はほんとうにいやですね。全体主義的です。人間は多様な存在で働けようと働けまいと、家族の一員として、友人として、社会にとってかけがえのない存在です。経済学的にみても、国民は労働力であると同時に消費者でもあるんです。消費者として健全でないと内需はいつまでたっても拡大しません。」

 「共産党には、主張が一貫して合理的というイメージを大事にしてほしいですね。今の首相の差別化をはかる意味で、科学的な知的で品性がある、尊敬される存在になってください。」

 今、平野啓一郎さんの最新刊「マチネの終わりに」を読んでいます。

 厳しい現実社会の中でやさしさを問い直す平野啓一郎作品を今年、少しづつ読んでいきたいと思います。

 平野啓一郎さんに対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。

今春山口県でインフル追試は、未実施か

 6日の読売新聞は、「今春の高校入試シーズンを前に、文部科学省がインフルエンザなどで体調を崩した生徒の救済策として、別日程での追試験を行うよう求める通知を全国の教育委員会や私立高校に初めて出したことがわかった。公立高入試で追試を行っているのは66都道府県・政令市のうち11府県市にとどまり、それ以外は試験当日に別室で受験させている。」と報じました。

 文部科学省の通知は、昨年10月14日付で出されており、読売新聞は、「インフルエンザなどにかかった受験生のため、別日程による追試の実施など『特段の配慮』を求めた。」内容と報じています。

 文部科学省は昨年5月~6月、47トド府県とと19政令市の教育委員会を対象に初の実態調査を行いました。読売新聞はは、「その結果、公立高入試で追試を行っているのは、11府県市で、昨春は計124人がインフルエンザを理由に追試を受けた。一方、インフルエンザにかかりながら、入試当日に別室で試験を受けたのは計2695人。高熱をおして追試に臨むケースもあるという。」と報じています。

 昨春の公立高校の入試を行ったのは自治体は、秋田県、静岡県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、徳島県、静岡市、浜松市、名古屋市、京都市となっています。

 平成29年度山口県公立高校入学者選抜実施要領(抄)には、インフルエンザなどにかかった受験生のため、別日程で追試などを実施することなどは触れられていません。

 今春の山口県公立高校入試でのインフルエンザ等を理由にした追試は実施されないものと思われます。

 1月25日、山口県内に、インフルエンザの流行発生警報が発令されました。

 宇部市内の小中学校でもインフルエンザによる学級閉鎖が相次いでいます。

 県内では、私立高校の試験が終わり、公立高校の推薦入試が今日行われます。

 受験生の中にはインフルエンザをり患した生徒もおられると思います。

 同じ受験生を抱える保護者の一人として心を痛めています。

 インフルエンザをり患しながら別室で受験できたとしても、生徒の体やスタッフの方々がり患するリスクなど問題は多いと思われます。

 山口県で、来年度の入試からは、インフルエンザなどにかかった受験生のため、別日程で追試などが行われる措置が取られることを要望したいと思います。

 実施にあたっては、教職員の負担が可能な限りかからないようにお願いしたいと思います。

 受験生の皆さん、保護者の皆さん、受験に関わる要望等があればお聞かせ下さい。

映画「沈黙-サイレンス-」

 マーチン・スコセッシ監督の映画「沈黙-サイレンス-」を観ました。

 原作は、遠藤周作さんの同名小説です。

 舞台は江戸時代初期。キリシタン禁制の元で、信者が拷問や踏絵などで棄教を迫られる時代です。

 棄教した信者の中には、イエズス会日本管区の責任者を務めた神父もいました。

 映画のパンフレットの中に、遠藤周作さんが書かれた文章があります。

 「切支丹時代に自分の関心の足がかりを向けた私はすぐ、また深い失望を味わわなければならなかった。(中略)もちろん強かった人、殉教者については数多くの伝記や資料が我々の手に残されている。これらの人々の崇高な行為にたいして教会も賛美を惜しまぬからである。だが、弱者-殉教者になれなかった者、おのが肉体の弱さから拷問や死の恐怖に屈服した者についてはこれら切支丹の文献はほとんど語っていない。(中略)だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想tしていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみに対して小説家である私は無関心ではいられなかった。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまいたくはなかった。彼等をふたたびその灰のなかかなら生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは-それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだと言う気がしたのである。」

 スコセッシ監督は、インタビューで「沈黙」を映画化する意義について次のように語っています。

 「人々の信仰のあり方が大きく変わり、それを疑うようになり、宗教的な組織や施設にも、おそらくは懐疑の目が向けられている、今の世界だからこそです。その中では信仰心も変わるのかもしれません。だから、このような映画を作り、世に送り出すことで、人々に何かを考えさせる機会になるかもしれません。あるいは、この物欲にまみれた世界では、忙しすぎて誰も目もくれなかったことを、再び差し出せるかもしれません。」と語っています。

 スコッセッシ監督は、遠藤周作「沈黙」の英語版の序文で次のように語っています。

 「キリスト教は信仰に基づいていますが、その歴史を研究していくと、信仰が栄えるためには、常に大きな困難を伴いながら、何度も繰り返し順応しなければならなかったことが分かります。これはパラドックスであり、信仰と懐疑は著しく対照なうえ、ひどく痛みを伴うものでもあります。それでも、この二つは関連して起こると思います。一方がもう一方を育てるからです。懐疑は大いになる子ども区につながるかもしれないが、本物の信仰、永続的な信仰と共存した場合、最も喜ばしい意味の連帯で終わることが可能です。確信から懐疑へ、孤独へ、そして連帯へというこの困難で逆説的な推移こそ、遠藤がとても良く理解していることです」

 私は仏教を学び始めたばかりの者です。信仰に「確信から懐疑へ、孤独へ、そして連帯へ」という推移があるということを今、理解することは出来ませんが、そのような推移を辿るならば、今の世界にとって意義あるものだと思えました。

 宗教が世の中をよりよいものにするための連帯への一助になれるという光をこの映画から見いだした思いがします。

 再度、原作を読み、理解を深めていきたいと思います。

 また、スコッセッシ監督作品の観ていきたいと思います。

 更に、「沈黙」の舞台となった長崎県に、開館した「遠藤周作文学館」に行ってみたいと思います。

 とにもかくんも信教の自由が保障された憲法も意味をこの映画で噛みしめています。