原作を読み、満を持して佐々部清監督の映画「八重子のハミング」を観ました。
これ程、涙した作品はなかったと思えるほど涙した作品でした。
涙の意味は、若年性認知症を患った八重子さんに対する涙だけではありません。
八重子さんを支える家族の深い愛に対する賞賛の涙です。
夫から妻への愛。子どもから母への愛。孫から祖母への愛。姑から嫁への愛。教え子から教師への愛。地域住民から八重子さんへの愛。
映画監督の山田洋次さんは、「誠実な監督が、誠実一途に生きた人の物語を懸命に描き上げた。これは佐々部清君ならではの美しい作品です。」とこの映画を評していますが、本作は、八重子さんを取り巻く美しい愛の物語です。
映画ファンの菊池陽介さんパンフレットで「本作が28年振りの映画出演となる高橋洋子さんの魅力に関しては、映画を観ていただければ十分でしょう。彼女の静かな怪演は言わずもがな。」と述べています。八重子を演じる高橋洋子さんの怪演は、ぜひ劇場でご覧いただきたいと思います。
監督の佐々部清さんは、パンフレットで「これは大手映画会社の出資のない状態で作り上げた言わば自主映画ならぬ『自主的映画』です。僕は、大手映画会社への意地もあり、この作品をどうしても映画化したかった。しかし、映画会社からの出資がないということです。つまり、自分たちで資金を集めるところから始めなければいけません。」「今に日本は、もっと高齢化社会になります。そういう社会にちゃんと目を向けた上で、『普通』のことを『普通』に感じてほしい。きっと身近なところに愛の物語はいっぱいあるんです。映画を通して、それを自分の身近なところを感じてもらえたらと思います。」と語っています。
そして、佐々部清監督は、最後に、「きっと『怒り』には限界があるけれど、『やさしさ』には限界はない・・・が実感できるはずです。」と語っています。
このフレーズは、陽信孝さんが書かれた原作「八重子のハミング」にも出てきます。映画の中でも、陽さん役の升毅さんが、この言葉を語ります。」
「怒りには限界があるけれど、やさしさには限界はない」。この言葉は、家庭や社会やこの国や世界にとって、とても大切なキーワードだと感じます。
とにもかくにも、映画館でこの映画を一人でも多くの方にご覧いただきたいと思います。
私が会長を務める西宇部小学校PTAでは、12月6日に第四回家庭教育学級として原作者の陽信孝さんを講師に「家族のあり方」と題してお話しをしていただくことにしています。
今から、陽さんのお話しがお聞きできることを楽しみにしています。
映画「八重子とハミング」をご覧になった皆さん感想をお聞かせ下さい。
昨日、2016教育のつどい山口IN岩国が行われました。
この中で、同志社大学大学院教授の浜矩子さんの講演会が行われました。
岩国市周東町パストラルホールで講演する浜教授
演題は「取り戻すべきは民主主義~下心の世界からの脱却を目指して~」でした。
浜さんは、2015年4月の訪米時に、安倍首相が笹川平和財団米国での講演に注目します。
「・・・デフレから脱却をして、経済を成長させ、そしてGDPを増やしていく。それは社会保障の財政基盤を強くすることになりますし、当然、防衛費をしっかりと増やしていくこともできます。また、海外に対する支援も行うことができる。日本のプレゼンスを引き上げることができる。つまり、強い経済はしっかりとした安全保障、安全保障政策の立て直しに不可欠であると、こう考えています。」
浜さんは、安倍政権は、「軍備増強のために経済を強くしようとしている。我々を幸せにする事を目指してはいない。」と分析しました。
浜さんは、安倍首相が「戦後レジュームからの脱却」を繰り返すことを上げ、「これは、戦前のような政治にしたい表れだ。」と述べました。
その上で、浜さんは、「安倍首相は富国強兵を進めようとしている。アベノミクスで富国にし、憲法改正で強兵を進めようとしている。」と指摘しました。
浜さんは、最後に、耳と目と手が重要だと訴えました。
耳とは、違う意見や弱者の意見を聞くことの出来る耳です。
目とは、人のために涙することの目です。
手とは、痛みのある人にさしのべることのできる手です。
浜さんは、「チームアホノミクス(安倍首相が進める経済を一緒にする進めようとするものたち)は、聞く耳を持たず、涙かれし目しか持たず、さしのべるどころか奪い取る手を持っている。」「安倍首相の進める経済政策は、部分的でも評価できるものはない。」ときっかり批判しました。
浜さんは、「経済は人のための経済であり、優しい経済でなければならい。」「弱者の苦しみに耳を傾け、目を向け、手をさしのべる経済でなければならない。」と語りました。
浜さんは、「手をつなげは、現状を変えることは出来る。」と繰り返し、参加者を励ましました。
浜さんの講演は時には参加者を笑わせ、唸らせるものでした。
浜さんの著作を数冊読んでいたので大変よく理解できました。
来年の3月4日には、宇部市で浜矩子さんの講演会を行います。
浜先生にご挨拶をしました。
会場をいっぱいにして浜さんをお迎えしたいと思っています。
浜さんの著作で更に学びながら宇部市講演会を成功させたいと思っています。
アベノミクスを皆さんはどうお考えですか。
国連総会第一委員会(軍縮・国際安全保障問題)は27日、核兵器禁止条約について交渉する国連の会議を来年に召集するとした決議案を、圧倒的な賛成多数で採択しました。日本は唯一の戦争被爆国でありながら、米国など核保有国と歩調を合わせて反対しました。
日本共産党の志位和夫委員長は、この問題でコメントを発表しました。
・・・
決議案の採択を心から歓迎する
日本の「反対」は恥ずべき態度
日本共産党幹部会委員長 志位和夫
一、国連総会の第一委員会は27日、核兵器禁止条約の締結交渉を来年開始する決議案を圧倒的多数の賛成で採択した。これにより、『核兵器を禁止しその全面廃絶につながるような法的拘束力のある法文書」の交渉が、市民社会も参加して、来年3月、6~7月に国連で開催されることが確実となった。核兵器を違法化して「核兵器のない世界」へ向けて扉を開く画期的決議案の採択を、心から歓迎する。
これは、被爆国を先頭に核兵器廃絶の緊急性を訴える日本と世界の世論と運動、核兵器禁止条約の「早期締結」を求める諸政府が20年来とりくんだ歴史的な成果であり、わが党はひきつづきその促進のため力を尽くすものである。
一、日本政府は、核兵器禁止の法的措置を検討する作業部会(OEWG)を設置する昨年の決議案に「棄権」したが、今回の決議案に対しては「反対」に転じた。同盟国に対して決議案への反対を求めた米国の圧力に屈したものであり、唯一の戦争被爆国の政府にあるまじき、あまりにも情けない態度であることを、きびくし批判しなくてはならない。
・・・
安倍首相が国会で「核兵器廃絶のために国際社会で役割を発揮する」主旨の発言を繰り返してきましたが、実行が伴わない発言であったことが、決議案に日本が反対したことではっきりしました。
被爆者団体の役員の方は、決議の採択に「心底喜びたい」と語る一方、日本政府に対して、「オバマ大統領来日の際の安倍首相の演説、それとは相矛盾する二枚舌だ」と記者会見で述べておられます。
決議案採択を喜ぶ一方、被爆者の願いに背を向けた日本政府の姿勢に抗議したいと思います。
皆さんは、決議案採択と日本が反対したことをどうお考えですか。お教え下さい。
浄土真宗本願寺派の門主が継承される儀式である伝灯奉告法要が始まりました。
10月1日、第25代専如門主が伝灯奉告法要にあたって法話(ご親教)をされました。
専如門主の「念仏者の生き方」と題する法話の次のように締めくくられています。
「 今日、世界にはテロや武力紛争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積していますが、これらの原因の根本は、ありのままの真実に背いて生きる私たちの無明煩悩にあります。もちろん、私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲に執(とら)われた煩悩具足(ぼんのうぐそく)の愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯(せいいっぱい)努力させていただく人間になるのです。 国の内外、あらゆる人びとに阿弥陀如来の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を正しく、わかりやすく伝え、そのお心にかなうよう私たち一人ひとりが行動することにより、自他ともに心豊かに生きていくことのできる社会の実現に努めたいと思います。世界の幸せのため、実践運動の推進を通し、ともに確かな歩みを進めてまいりましょう。」
このご親教につて、本願寺派総合研究所副所長の満井秀城さんは、「念仏者が、社会の課題に、どう関わっていくべきなのかは、きわめて重要です。(中略)課題の大きなにたじろぐ面はあるとしても、今まで、ともすれば、凡夫や他力を口実に、何もせずにすませようという体質に蝕まれていたのではないでしょうか。このたびのご親教は、『もはや、それではすまない』という厳しいお諭しと受け止めます。」「凡夫にあぐらをかいて何もしないのが他力ではありません。如来の本願力を身に受けて、その他力のエネルギーを、置かれた状況と能力に応じて、できることから精いっぱいに努めるのが他力念仏者の生き方です。」と本願寺新報(伝灯奉告特集号)に書いています。
南スーダンのPKO活動の自衛隊の派兵延長の閣議決定が行われました。
11月に11次隊が南スーダンに派兵され、安保法制(戦争法)にある駆け付け警護や宿営地共同防護の危険な任務が与えられようとしています。
そうなると、自衛隊が戦後初めて「殺し殺される」ことになります。
「兵戈無用」(兵隊も戈もない世の中)と釈尊が言いました。
念仏者の一人としてこの現実に対して、しっかり発言していきたいと思います。
安保法制に反対するママの会のスローガン「誰の子どもも殺させない」。
私は、この言葉を今、発していきたいと思います。
念仏者の皆さん専如門主の「ご親教」をどのように受け止められられましたか、お教え下さい。
昨日、浄土真宗本願寺派山口教区門徒総代会主催の公開講座が本願寺山口別院で行われました。
講師は、医師で龍谷大学大学院教授の田畑正久先生。テーマは、「医療現場に携わる仏教」でした。
田畑先生は、龍谷大学で「臨床宗教師」の育成に携わっておられます。
どんなに医療が進歩しても死は避けられません。
田畑先生は、患者さんに「現実を受容」していただくために臨床宗教師が必要だと話されます。
最先端医療に携わる医療従事者の中には、患者の死は敗北との見方があると田畑先生。
これらの医療スタッフが「現実を受容」していただくためにも臨床宗教師の存在が重要だと話されました。
数年前から臨床宗教師が病院に配属されはじめています。
京都で臨床宗教師をされている方は「7割は、医療従事者の話しを聞く日々」と話しておられるそうです。
ある九州の患者さんは、「自分は家族を捨てた経験がある。死んだらどうなるのか」と悩んでいました。
そして、医師で念仏者の方がその患者さんへ「世の中には、あなた以上にむごい経験をした人がいる。その人をも救うのが念仏だ。」「お母さんの供養はしますよ。」という二つの話しをされたそうです。田畑先生は、「その患者さんは穏やかな姿で死を迎えられた。」「後に患者さんと結婚された奥さんも穏やかになられた。」と話されました。
死を介して医療と宗教は大きな接点がありますが、日本では融合が十分図られてこなかった歴史があったのでしょう。
「臨床宗教師」は、患者さんとそして、その患者さんの寄り添う医療従事者や家族のの心の苦しみを救う存在として必要性が高まっていることを実感しました。
会場で販売されていた田畑先生の最新著「医師が仏教に出遭ったら」をいま読んでいます。
昨日は、大変すばらしい講演を聞くことができました。
私は、教区常任理事として司会を務めました。
主催者の一人として多くのご参加があったことをとても喜んでいます。
田畑先生からこれからも大いに学んでいきたいと思います。
田畑先生ご講演ありがとうございました。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙は「鳥取県は25日、県中部地震で被災した住宅について、全壊に最大300万円、半壊に最大150万円、一部損壊に最大30万円、軽微な破損に最大5万円を支給すると発表しました。被災程度が比較的小さく国の、国の被災者生活再建支援制度の対象とならない可能性があるため、2000年の県西部地震を機に県と市町村が創設した基金による、住宅再建支援制度を活用します。県によると、一部損壊への給付は全国初めてです。」と報じました。
私は、2014年8月に発生した岩国市・和木町豪雨被害を受けて、2014年9月県議会で、被災者生活再建支援制度について「独自制度を持っている13県は、半壊や床上浸水も対象にしています。山口県も同様の支援をすべきです」と質問しました。
小松健康福祉部長(当時)は「本県制度は、同一の災害にもかかわらず、居住する視聴によって被災者間で不均衡が生じないよう、国制度が適用とならない市町においても、国と同様、全会及び大規模半壊世帯等に対し、独自事業として支援金を支給するもので、全国的にも手厚い制度となっており、半壊や床上浸水世帯を対象とすることは考えていません。」と答えました。
確かに山口県は、国の基準を下回る被害があった市町に対しても補助する独自の制度を創設しています。
この事は評価した上で、私は、鳥取県同様の一部損壊や軽微な損壊に対しても補助をする制度を創設すべきだと考えます。
鳥取県のように市町と一緒に基金を創設するのも一つの手法かも知れません。
幸い、ここ数年、県内では大規模な災害が発生していませんが、山口県における被災者生活再建支援制度の拡充を強く求めたいと思います。
鳥取県では、一部損壊に独自の支援制度を設けることとなりました。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。