安倍政権が昨年9月19日に戦争法(安保法制)の成立を強行してから1年です。戦争法案の廃案を求め、空前の規模に広がった国民の運動や世論に背を向け、大多数の憲法学者や歴代の内閣法制局長官、元最高裁判所長官など、かつてない広範な識者からの「憲法違反」との批判にも一切耳を貸さなかった安倍政権の独裁的暴挙は、日本の戦後政治史上、最悪の汚点を残しました。安倍政権は今年3月に戦争法の施行を強行し、本格運用に乗り出しています。戦争法の発動を許さず、廃止を求める闘いをさらに発展させていきましょう。
毎日新聞に浜矩子同志社大学教授が「危機の真相」というコラムを連載しています。
戦争法が強行された2015年9月19日のコラムを見ていきます。
第28代アメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンは「革命の種は抑圧によってまかれる」という言葉を遺しています。
フランスの文豪、ビクトル・ユゴーは「独裁が現実となった時、革命は権利となる」という言葉を遺しています。
浜さんは、この二つの言葉を紹介した上で、安保法案に反対する市民運動について「彼ら革命に、体制転覆を目指す暴力性はない。彼らの目的は破壊的ではない。まっとうな人々が、まっとうな声を上げている。まともな市民たちの連帯だ。普通の市民たちの意気投合が。」と書いています。
浜さんは、この市民運動を「グローバル市民主義」と表現しています。
なぜ、グローバル市民主義なのかについて「ヒト・モノ・カネが国境を越えるグローバル時代において、国家ができることには限界があるからだ。国境なき時代において、国家が存在意義を持ち続けるためには、どうしても市民たちの声を聞かなければいけない。その意味で、グローバル時代こそ、真に民主主義的な時代でなければならない。そういえるだろう。そういえるのだということを、今、日本の国会周辺そして全国津々浦々で、市民たちの声が示している。」と語っています。
民主主義的な時代を阻む「戦争法」を発動させず、なくす運動を大きく展開していきましょう。
「戦争法」強行1年。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
信楽峻麿著「親鸞はどこにいるのか」を読んでいます。
信楽峻麿さんは、龍谷大学学長を務めた文学博士でした。2014年9月に亡くなられました。
信楽さんは、私が参加している「念仏者9条の会」の呼びかけ人代表でした。
さて、本著「親鸞はどこにいるのか」は、信楽さんの最後の著作となりました。
私は、過去に読んだ仏教関係の本の中で一番といっていい刺激を受けました。
その刺激とは信楽さんの「日本を二度と戦争する国にしてはならない」という本気度です。
本著の「はじめに」から少し引用します。
「この西本願寺教団は、すぐる昭和一二(1937)年の7月に、日中戦争がはじまると、それは明らかに中国大陸に対する侵略戦争であるにもかかわらず、いちはやくそれを『聖なる戦い』『聖戦』と呼んで、親鸞のき教言『世の中安穏なれ』(『親鸞聖人御消息集』真聖全二、六九七頁)という文章まで引用しながら、その戦争に全面的に賛同し、教団をあげて協力していったわけですが、かつての戦争協力にも明確には自己批判することなく、いままた戦争に賛成するとはどういうことか。このままだとするならば、日本国では、これから『憲法』を改悪して戦争のできる国にするという流れが生まれていますが、西本願寺教団は、またぞろ、そのような国家体制に同調して、戦争に賛成し、全国の信者をして、その戦列に動員していくのではありませんか。恐ろしいことです。西本願寺には、そのような過去を厳しく省み、未来を明らかにおもんばかって、自ら正しい進路を見とおせるような識者はいないのか。」
私は、門徒の立場で、教団の末端を担う一人として、腹にズシリと突き刺さる信楽さんの一言です。
信楽さんは、東西本願寺教団の戦時教学を丁寧に紐解いた上で、「今日の日本の政治状況は、憲法を改悪して、他国と戦争のできる軍隊の創設をたくらんでおりますが、この状況に対して、「兵戈無用」の教言を奉じるはずの東西本願寺の真宗教学者は、どう対応するのでしょうか。過去に、戦時教学という重大な罪科を背負うところのその信心の内実が改めて問われてくるところでしょう。」と書いています。
私は、残念ながら信楽さんから直接のお話しをお聞きする機会は逃してしまいました。
しかし、信楽さんには、膨大な著作が残されています。
その著作の一つ一つを学んでいきたいと思っています。
信楽さんの著作から「親鸞におけるまことの真宗教義」を学びながら、日本を二度と戦争する国にしないように力を尽くしていきたいと思っています。
戦争法=安保法制が強行して明日でちょうと1年。この本に出合えたことに感謝します。
信楽さんがお元気ならば、今この時に何を発言されたでしょうか。その事を考えながら、本書を最後まで読み進めたいと思います。
「念仏者9条の会」の先輩の皆さん、信楽さんについてお教え下さい。
チャップリンDVDコレクション②映画「モダン・タイムス」を観ました。
あらゆる作業が自動化された工場で働くチャーリー(チャップリン)は、単純作業の連続で正気を失い、工場内でやりたい放題の大暴れをした末に職場から放り出されます。
解説書には「当時は賛否両論沸き起こったこの作品だが、製作から約70年たった現代においてこそ、その「新しさ」が理解されるだろう。なにより、機械化が人類を幸福にすると信じられていた1930年代に、機械文明に抵抗して個人の幸福を求める物語をつくったチャップリンには、やはり先見の明があったというほかはない。『モダン・タイムス』は、そのタイトルどおり、紛れもなく〈現代〉の映画なのである。」と書いてありますが、私も映画を見てこのことを実感しました。
浜矩子さんは、「さらばアホノミクス」の中でブラック企業についてこう書いています。
「経済活動は人間の営みだ。経済活動を行う生き物は、人間しかいない。人間に固有の営みが、人権を脅かすはずがない。人間不在の活動を、経済活動と呼んではだけだ。経済活動が人間の営みである以上、経済活動は人権のいしずえでなければならない。」
「人権尊重から多少とも遊離した営みは経済活動にあらず、企業行動にあらずだ。この点についての黒白は、はっきりしておかないといけない。」
「モダン・タイムス」が胸を打つのは、今日も経済活動の中で人権が脅かされる実態が後を絶たないからでしょう。
「モダン・タイムス」が〈現代〉を問うものではなく、単に1930年代の〈現代〉を知る作品となることを願うばかりです。
「モダン・タイムス」は〈現代〉と痛烈に風刺する映画であると同時に、チャップリンの演技が光る映画でもあります。
画面左が工事中で落ちそうになりながら華麗にローラースケートで滑るチャップリン。
工場シーンはサイレントでありながら、後半のカフェシーンでは、チャップリンの見事な歌を聴くことができます。
幼少のころから舞台で鍛えたチャップリンの演技が炸裂する映画でもあります。
次回は「街の灯」。これも楽しみです。
チャップリンファンの皆さん。皆さんのお好きな作品をご紹介下さい。
9日の朝日新聞は、「給食費など義務教育でかかる費用を自治体が負担する動きが広がっている。副教材費なども公費で賄い、『完全無償化』を掲げる例もある。少子化や過疎化、子どもの貧困問題を背景に手厚い支援で子育て盛大の流出を食い止め、新住民を読み込む狙いがある。」と報道しました。
具体的に朝日新聞は、「中村文夫・専修大学非常勤講師(教育行政学)によると、義務教育の『完全無性化』を進める自治体は両町を含め、福島県金山町や奈良県黒滝村など少なくとも7町村ある。対象となる小中学生はいずれも100人に満たない。」と報じています。
更に朝日新聞は、給食の無償化に関して「全日本教職員組合が昨年、全国の1740市区町村・広域連合を対象に実施た調査(回答率59%)では、199自治体が給食費の補助制度があると回答。5割強が12年以降に始めていた。また、199自治体のうち45自治体は全児童生徒を対象に全額補助していた。」と報じました。
全日本教職員組合の調査結果をみると、山口県では、2町が自治体独自の給食補助制度があると回答していました。
全日本教職員組合は、「文科省は、学校給食は教育の一環として位置付け、食育をすすめています。子どもたちの教育を受ける権利を保障するためにも、国が責任を持って学校給食を無償化することは、急務となっています。」とHPで述べています。
朝日新聞は、「文部科学省の14年度の調査では、給食費の平均額は公立小(中学年)で1人あたり年間約4万7千円、公立中で約5万4千円。副教材費や修学旅行、PTA、制服など、給食費以外の学校関連の出費は、公立小で約5万9千円、公立中で12万9千円だった。名古屋大大学院の中嶋哲彦教授(教育行政学)は無償かに取り組む自治体の広がりについて、『公害対策や福祉制度など、自治体の試みが先行し、国の政策が見直された例のある。格差が広がり、特に子育て世代の所得が伸び悩むなか、義務教育費の無償化の範囲も国レベルで考え直す時期にきている』と話す。」と報じています。
8月29日の山口新聞は、明治安田生活福祉研究所が実施した調査として、「既婚女性の半数近くが、自分の子どもが中高生になったら正社員として働きたいと考えているのに、その希望がかなっているのは8.7%のみ」と報じました。
日本の子どもの貧困率は16%で、6人に1人の子どもに及んでいます。
憲法で義務教育は「無償とする」とされています。保護者の収入は伸び悩むなか、子どもたちへの出費は増え続けています。
国と市町村の財政支出によって、義務教育費の完全無償化が多くの自治体に広がることを切望します。
義務教育費の無償化に取り組む自治体が広がっています。皆さんは、この問題をどのようにお考えですか。お教え下さい。
13日、中国新聞は「山口県が中国電力に同県上関町で原発建設計画の公有水面埋め立て免許を許可した経過を巡る中国新聞の情報公開請求に対し、県は12日、中電に求めた7度の補足説明と回答文書を初めてほぼ全面開示した。」と報じました。
県が中国新聞の情報公開請求に、文書を開示した背景には、現在行われている「上関原発用地埋立禁止住民訴訟」が行われていることがあることは明らかだと思います。
中国新聞の記事を元に、この間の状況を振り返ってみます。
山口県では、上関原発計画が進められ、8月3日、中国電力が上関原発を建設するために山口県に申請した公有水面埋立免許の延長で、山口県知事は延長を許可する判断を行いました。
中国電力が上関原発建設計画で海を埋め立てる免許の延長を巡り、県と中国電力が4年近く費やしたやりとりの全容が中国新聞の情報公開請求でこの程、明らかになりました。
中国電力が免許を延長したのは、2012年10月5日でした。08年10月に県から交付された免許に基づき、09年10月に埋立工事を始めましたが、福島県発事故もあり、免許の失効が12年10月7日に迫っていました。12年8月に退任した二井元知事は、「埋立の前提となる土地利用計画が不透明。現時点で延長申請があっても認めることはできない」との立場を表明しました。
しかし、山本前知事が、12年10月23日に、一度目の補足説明を中国電力に求め、山本・村岡知事は可否判断を保留し、4年間のやり取りが行われていました。
県は中電に、「国のエネルギー政策で、重要電電開発地点に指定された上関原発の位置づけが何ら変わることなく存続し、今後変わる見込みがないことを説明しなさい」と質問していました。今年の6月22日の中電の7度目の回答で、中電は、重要電源地点について「引き続き有効で、解除は考えていない」とする国の回答を示しました。この事を根拠に村岡知事は「地点指定は08年の免許の根拠だ。土地需要があるという要件を満たしており、法的には許可せざるを得ない」として、8月3日、19年7月6日までの免許延長を許可したのです。
国が上関原発を重要電電開発地点に指定したのは05年。この3年10か月間、可否判断を保留して、ようやく出てきた根拠が、上関原発が重要電源開発地点に指定されているという事実だということは、私が以前にブログで書いた通り、論拠が脆弱としかいいようがありません。
許可の根拠を05年に確定した電源開発地点にしたということは、中国電力が仮に今後、更なる延長申請を出した場合も、県は必ず許可するとの論拠を中国電力に与えてしまったという点でも重大です。
さて、中国新聞の記事により中国電力が重要電電開発地点についての説明をどう変えたかが分かります。
6度目の補足説明までは、中国電力は「重要電源開発地点の見直しについて『現時点では想定していない』との国の見解を得た。」と県に回答していました。7度目の補足説明で、中国電力は「『重要電源開発地点について、引き続き有効であり、事情に変化がない限り、解除することは考えていない』との国の回答を得た。」と回答し、許可が出たわけです。
この辺りについて、中国新聞の「解説」では、「焦点は『重要電源開発地点に指定された上関原発の位置付け』絞られ、その回答に3年以上を費やした。専門家は『電話で確認できる内容』と指摘した。」と書いています。
中国新聞の「識者談話」では、本田博利元愛媛大学教授が「中国電力が免許の延長申請をしてから山口県が許可するまで4年近く。なぜこんなに時間がかかったのか。5~7度目の県の質問と回答はほぼ同じ内容で、県が可否判断を先延ばししたことは明らか。県民の利益を損ねている。」「判断の決め手とされている国の文書は、資源エネルギー庁の担当課長名の書面1枚だけだった。県は許可に至るまでの経過を県民に分かりやすく説明すべきだ。」と述べています。
3年10カ月の間の文書が開示されたことで可否判断が安易に引き延ばされたことが鮮明になったようです。
私の手元には、国交省水管理・国土保全局水政課の職員と県の土木建築部の職員が、平成26年5月12日と平成27年6月18日に、国土交通省で「公有水面埋立免許事務に関する状況説明」を行ったとする復命書があります。
この3年10ケ月の間に、これらの会議に参加するために費用など多く税金が投入されています。
これらも含めて、この3年10カ月は県民にとって何だったのかしっかり総括をする必要があります。
中国新聞の識者談話に館立山紘毅山大教授は「黒塗り(非開示)にしなければならない内容とはいえない。山口県は、なぜいらぬ憶測を招くような対応をしてきたのか疑問が残る。県情報公開条例の第1条には『県民の知り権利を尊重し』とある。原則開示の発想が弱かったと言わざるを得ない。」と述べています。
私は過去、この問題で、情報公開を請求し、黒塗りの文書を受け取った一人です。
県はなぜ文書を黒塗りにしたのか、なぜ、県民の知る権利を守ろうとしなかったのか、今回の全面開示を契機に、県民にしっかり説明する責任があると思います。
県が、中電の補足説明の文書を開示しました。皆さんはこの問題をどのようにお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
チャップリンのDVDシリーズの第一回目「独裁者」を観ました。
この映画は、ご承知の通り、ヒットラーを痛烈に批判した映画です。
私は、この映画が、ヒットラー亡き後ではなく、ヒットラーの独裁政治の最中に作製され、発表されたことに驚きました。
「独裁者」は、1939年に製作が開始され、1940年に最初の上映が始まりました。
解説書にはこう書かれています。
「1938年前後に保養地ぺブル・ビーチで静養しながらアイディアを練り、同年の秋からストーリー構築を開始。年が明けて1939年からスタジオでの準備や脚本執筆が本格化した。『独裁者』製作の噂が流れると、ドイツは外交ルートを通じて妨害工作を始めた。ドイツだけではない。当時、ドイツと同盟国だったイギリスも外務省が役人を撮影所に派遣して、チャップリンに脚本の提出を求めるなど、国をあげて政策を中止させようとした。いまでは信じがたいことだが、当時まだ中立国だったアメリカでも、世論調査で反ユダヤ主義を標榜する人は全体の9割を超え、親ナチス勢力もかなりの割合で存在した。それどころが、恐慌を切り抜けたリーダーとしてヒトラーを英雄視する向きもあった。映画をつくっても、ドイツ、イタリア、日本はもちろん、イギリスとその植民地、さらにはアメリカの公開も危ぶまれた。そんな状況下でも、チャップリンは『独裁者』製作にまい進する。ヒットラーがポーランドに侵攻して8日後の1939年9月9日に、あたかも参戦するかのように撮影を開始。翌年3月末までに本撮影はひと通り終了した。その間ドイツは破竹の勢いで進撃しフランスを占領した。全世界がドイツの侵攻に怯えるなか、チャップリンはラストの演説の推敲を重ねた。そして、1940年6月23日にヒットラーがパリ入城し、全世界にその威光を見せつけた翌日に、チャップリンはラストの演説を撮影。平和への闘いをフィルムに焼き付けた。」
有名な「独裁者」の結びの演説の一部を紹介します。
「申し訳ない。私は皇帝なんかにはなりたくない。そんなの私のやることじゃない。誰かを支配したり征服もしたくない。できれば、ユダヤ人にしろキリスト教徒にしろ、黒人にしろ白人にしろ、みんなを助けたいと思っている。私たちはみんなお互いを助けたいとの望んでいる。人間とはそういうものだ。他人の不幸によってではなく、お互いの幸福で支えあって生きていきたい。私たちは、お互いを憎んだり軽蔑したりしたくはない。この世界にはひとりひとりのための場所があるんだ。そして、良き大地は豊かでみんな恵みを与えてくれる。」
「けだものたちもそんな約束をして権力に上り詰めた。だが、彼らは嘘つきだ!彼らは約束を守らない。絶対に守ろうとしない。独裁者たちは自分たちを自由にし、民衆を隷属にする。いまこそ、あの約束のために戦おう!世界の解放のために闘うんだ。国同士の壁を取り除くために、貪欲と憎しみと偏狭を取り除くために。理性ある世界-科学と進歩がすべての人びとの幸福へ通じている、そんな世界のために闘うんだ。兵士たちよ、民主主義の名のもとに、もてる力を集めよう!」
安部信三首相は12日の防衛省での自衛隊最高幹部に対する訓示で、集団的自衛権行使容認の戦争法=安保法制の整備や日米新ガイドライン(軍事協力の指針)の策定などをあげて、「今こそ実行のときだ」と述べ、本格的な運用段階への移行を求めました。
解説書には、「2002年の秋。フランスで『独裁者』が再公開され、新作を押さえて堂々の週間4位を記録した。世界が混迷を深めるなか、困難な状況でもたったひとりで立ち向かったチャップリンが現代人の心を捉えたものだ。『独裁者』はヒトラー亡きいまも『ヒトラー的なもの』と闘い続けている-ユーモアという武器でもって。」と書かれあります。
日本でも戦争法の成立を受けて、「ヒトラー的なもの」が取り分け跋扈しはじめてきたのではないでしょうか。
チャップリンがヒトラー隆盛の中で『独裁者』を作製し「自由と民主主義と平和」を訴えて闘ったように、今、私たちは、「自由と民主主義と平和」を壊そうとする日本での「ヒトラー的なものと闘うときではないでしょうか。
戦争法強行から1年を迎えるこの秋に。
チャップリンDVDシリーズでチャップリンの作品を学びたいと思います。
私の尊敬する人にチャップリンが加わりました。
とりあえず、スマホの壁紙をチャップリンにしました。
チャップリンの「独裁者」に対する想い。また、チャップリンの他の作品に対する想いをお聞かせ下さい。