3月28日号のしんぶん赤旗日曜版の文化欄に、「天地明察」を書いた沖方丁さんの記事がありました。
「天地明察」は、吉川英治文学新人賞を受賞し、本屋大賞の候補作でもあります。
早速、購入し、妻も子どもも妻の実家に行っておりますので、昨日からじっくり「天地明察」を読んでいます。
主人公の渋谷春海は、17世紀に実在した碁打ちにして数学者です。
私は根っからの文系で、小説に出てくる数学や天文のことは全くの門外漢ですが、彼の熱情には心打たれ、スラスラとページをめくっています。
本の帯に、日経新聞の書評が出ていました。
「最近聴かなくなった『ロマン』という言葉を思い起こさせる、痛快な青春立志伝である」まさにこのような痛快さを感じます。
時代小説は、情景が浮かびにくい物もありますが、この小説は、春海の姿や取り巻く人物が私の目に飛び込んでくる勢いを感じます。
作者の沖方丁さんは、33才。この本を書いてようやく名刺に「作家」と入れたと赤旗のインタビューにありました。
これからも「沖方丁」さんんに注目していきたいと思います。
これまでは、ライトノベルが中心ですが、彼のこれまでの作品も読んでみようと思います。
さて、2010年本屋大賞の発表は4月20日です。
ノミネート作品の中で読んだのは三浦しをん作「神去なあなあ日常」と、「天地明察」です。
これから読んでみたいのは小川洋子作「猫を抱いて象と泳ぐ」です。
「神去なあなあ日常」はテーマが林業でもありぜひ大賞を取っていただきたい。
「天地明察」は、今読んでいるので一押しです。
やはり、巨匠村上春樹なのでしょうか。皆さんは、どの作品を読み、どんな感想をお持ちですか。お聞かせください。
本日、映画「嗚呼 満蒙開拓団」の紹介に、宇部市内に在住のUさんを訪ねました。
Uさんは、80代後半の方でした。肺を患い、戦地には赴かずに済んでいましたが、終戦間際に、満州のソ連国境付近に派遣されました。
その直後に、ソ連の侵攻が行われ、Uさんは、国境独立守備隊の一員として応戦します。
「ソ連の戦車を見たら、いかに日本の兵力が劣っているかは歴然だった」とUさんは語ります。
8月15日になり、日本の敗戦が決まり、Uさんはソ連の捕虜となりシベリアに抑留されました。
満州で、多くの日本人の親子が引き揚げようとしている姿を見たとUさんは話されます。
5年後にようやく日本に帰ることが出来たそうです。
戦後は、シベリア抑留者の会や満蒙開拓団に行っていた方の会などの参加したUさん。今は、高齢化し会合も行われていないということでした。
Uさんは、「なぜ、肺を患っていた私のような者が、戦場に出向かなければならなかったのか、今でも疑問。」と話されました。
私は「二度とこのような悲劇を繰り返してはならないので多くの方にこの映画を観てほしい」と映画の内容を紹介しました。
Uさんは、「年はとったが、映画上映のために可能な協力はします」と話されました。
あの戦争の真実を知る世代は、70代以上となりました。私たちがしっかり語り継いでいかなけれならないことを痛感しました。
そのためにも、映画「嗚呼 満蒙開拓団」を一人でも多くの方に観ていただきたいと思いました。
この春、我が家では青春18きっぷが大活躍です。
今日から春休み、早速、長男・次男・三男が、大阪の妻の実家に向かって、午前11時頃、宇部駅を出発しました。
夜8時に、新幹線で追いかけている妻と長女が男子三兄弟と大阪駅で合流するようです。
今、男子三兄弟に電話をしましたら、「今、岡山駅を出たよ」と言っていました。とても楽しそうな様子でした。
4月6・7日は、長男の小学校卒業を祝って、私と男子三兄弟で青春18きっぷを使って小旅行を行う予定です。
行き先は境港と長男が決めました。もちろん水木しげるロードと記念館が目的です。
一日目は、朝6時に新山口を出て、山口線から山陰線から境線を経由して午後2時過ぎに、ようやく境港に到着します。
二日目は、朝、9時過ぎに、境港を出発して、境線から伯備線から山陽本線を経由して、夜10時過ぎに宇部駅に到着する予定です。
殆ど電車に乗り通しの旅ですが、小説でも読みながら、子どもたちとおしゃべりもしながら、のんびり移動したいと思っています。
次回の私の選挙が終わった来年の夏は、山形県鶴岡市に青春18きっぷで行こうかと思っています。
二日で着くことが出来るでしょうか?
青春18きっぷを活用されている先輩の皆さん、使い方のコツをお教えください。
1942年2月3日、宇部市の常盤公園から東へ1キロの所にあった長生炭鉱で、水没事故があったことをご存じでしょうか。
この水没事故で、183名の坑夫たちが犠牲になりました。その内の137名が朝鮮人労働者でした。
当時、日本は植民地支配していた朝鮮から「強制連行」で多くの労働者を日本で働かせていました。
この長生炭鉱だけで、1258名の朝鮮人労働者が働いていました。
「長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会」(山口武信代表)がこの間、追悼式などを行われてきました。
そして、この程、長生炭鉱水没犠牲者183名の名を刻んだ追悼碑を建立されることになりました。
私は、数年前からこの運動に協力したいと思いながら、実現できませんでしたが、この程、追悼碑建立委員会の賛同者に名を連ねることになりました。
現在、建立委員会では募金を集めておられます。詳しくは下記にご連絡ください。
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 電話0836-21-8003
私もこれを機に、この運動に可能な限り協力していきたいと思っています。
私の方へご連絡いただいてもご紹介いたします。どうぞお問い合わせください。
本日、日本中国友好協会山口県連合会の役員会を開き、5月に県内3ヶ所で上映する「嗚呼 満蒙開拓団」の試写会を行いました。
脚色なく、満蒙開拓団で何があったのかという証言がまとめられた一級のドキュメンタリー映画でした。
二度と同じ過ちを繰り返さないために、戦争を知らない私たち世代こそ、見るべき映画だと痛感しました。
さて、この映画に取り組む中で、山口県内で、どの程度、満蒙開拓団に行っていたのかの資料を発掘しています。
その中で、「山口文書館研究紀要」昭和53年3月第5号より小山良昌氏の論文「山口県出・満州開拓団の記録」のコピーを入手しまhした。
小山氏の論文によると、山口県出で、7つの開拓団が満州で結成されていたとのことです。
開拓団名と入団者数の概要は以下の通りです。
①昭和松陰開拓団(約65名)
②大島開拓団(約280名)
③下金馬川開拓団(約347名)
④新発開拓団(約401名)
⑤昌図山口開拓団(約388名)
⑥永平岩国開拓団(約234名)
⑦黒頂防長開拓団(約130名)
小山氏の調査だけでも山口県関係の7開拓団で1845名が満州に当時おられた事が明らかです。
全国では、27万人開拓団員が満州で生活していたと言われています。
その内、約8万数千人が、ソ連参戦後、日本の敗戦によって、帰国出来ずに亡くなっています。
悲劇の多くが、小さな子どもたちの死であったことが、この映画によく描かれています。
政府は、この満蒙開拓団の悲劇を生んだ責任を再認識すべきです。
その事が、再び過ちを繰り返さないために重要なことです。
山口県からの団員の悲劇も相当なものだったと思います。
山口県も山口から満蒙開拓団員を募集する上で重要な役割を当時果たしたものと思われます。
この責任も再認識し、その教訓をこれからの行政運営に生かすべきです。
皆さん方の中で、満蒙開拓団の歴史をご存知の方はおられませんか。
その内容をお教えいただけないでしょうか。
二度と過ちを繰り返さないために。
松本清張生誕100周年記念で、テレビドラマ化が相次いでいます。
日本テレビ系列では、2週に渡って松本清張原作のドラマです。
先週は、「霧の旗」、今日は、「書道教授」です。
先週の「霧の旗」をビデオに録画して観ました。
市川海老蔵が転落するエリート弁護士を好演していました。
今日の書道教授は、船越栄一郎が主役です。私は、ここ数日で、原作の半分だけ読みました。
川上が文子と出会い転落していきますが、書道教授の久子が後半にどう関わってくるのか私は、知りません。
書道教授に杉本彩。川上に関わらない訳がありません。真相はどうなるのかドラマが今から楽しみです。
この作品は、エリート行員の転落劇です。
100年前に生まれた松本清張は、今に通じる人生訓を鮮明に描き出しています。
苦労を重ねた清張ならではの人生訓でしょう。
人生「過信」「慢心」は禁物という所でしょうか。
成功してもすばらしい作品を世に送り続けた清張ならではの物語なのでしょう。
松本清張と言えば北九州市に「松本清張記念館」がオープンして私も数年前訪ねしました。
先日、インターネットで検索していると、鶴岡市に「藤沢周平記念館」がこの4月29日にオープンするようです。
山形県は遠いけれど、来春の自分の選挙が終わったら一度行ってみたいと思います。
藤沢作品、清張作品の映像化は大歓迎の私です。