この週末、子どもたちが卒園した保育園で、平和をテーマにお話しすることになっており、それに向けて、浅井春夫立教大学教授著「戦争する国・しない国」を読んでいます。
興味深いテーマが続き、あっという間に、約半分読みました。
浅井先生は、我が母校・日本福祉大学の大学院を修了し、児童養護施設で児童指導員を務めた後、大学の教員となり、現在、立教大学コミュニティ福祉学部教授です。
この本のサブタイトルは「ふくしの思想と福死の国策」ですが、福祉と戦争との関係を分析したのがこの本です。
福祉大学を卒業し、平和を希求して活動してきた私にとってまさにこの本は、これからの生き方のバイブルとなる一冊だと感じました。
全ての内容を紹介したいのですが、今日は、第三章「戦争は孤児をつくる」を紹介したいと思います。
「凡そ世に戦争程非慈悲的の大なるものはあらず。多くの壮丁(成年男子、浅井註)はこれが為めに殺され、多くの廃者はこれが為に生じ、多くの老者はこれが為めに扶養者を失ひ、多くの妻女はこれが為めに寡婦となり、多くの児童はこれが為めに孤児となり、あらゆる人生悲哀苦痛はこれが為に起り来る。」
この一節は、「東京孤児院月報」(第49号、明治37(1904)年3月15日発行)に、同孤児院幹事の桂木頼千代さんが「戦争と慈善」と題して書かれたものとこの本に紹介されています。
1904年と言えば、日露戦争が始まった年で、日本側の軍人軍属は108万人以上。戦死者が8万4000人、戦傷者は14万3000人に及んだとこの本にあります。
浅井先生は、「時代は違っても、戦争の本質は変わらない。どのような戦争も『正義と平和』や『自衛』『国土防衛』の名のもとに行われてきた。そして、『戦争の後始末』を担ってきたのが社会福祉事業であった。我が国における戦災孤児・浮浪児の収容のための児童養護施設、戦争で夫を亡くした寡婦と子どものための母子寮(現在の母子生活支援施設)、戦争で重傷を負った傷痍軍人のための身体障害者福祉施設などによって、戦争犠牲者のためのケアと救済の制度として再出発をすることになったのである。こうした戦争と福祉の負の歴史を繰り返すことがあってはならない。」と結論付けています。
引用した東京孤児院月報の一文の冒頭の「非慈悲的」の慈悲を現在の福祉に置き換えれば、戦争の本質が私たちによく分かります。
「およそ戦争ほど非福祉的に大きいものはない」という113年前の社会事業家が述べて言葉を語り継いでいきたいと思います。
そして、福祉を学び平和を希求する者として浅井先生の「戦争と福祉の負の歴史を繰り返すことがあってはならない」の言葉を心に刻みました。
最後に、第二章「戦争する国・しない国の分岐点」の中に出え来た、戦争における軍人と民間人の死者についての比率を紹介します。
出所は、杉江栄一・樅木貞雄編「国際関係資料集」(法律文化社、1997年)、99ページです。
戦争における軍人と民間人の死者の比率について浅井先生は「この100年で平気の開発と戦闘方法の変化によって、軍隊同士の直接的な戦闘方式と空中戦から、海軍による艦砲射撃で敵基地をまず叩き、中心的な陣地・軍隊に迫っていく戦闘方式へと変化していった。こうした戦闘方式は必然的に住民を巻き込んだ陣地戦の様相を呈することとなる。軍人と民間人を明確に区別して戦闘を行う方式から、形態的には軍民が不可分の関係のなかで総力戦的戦闘が行われるようになった。その結果、表にみるように第一次世界大戦期には1割にも達しなかった民間人の犠牲者の割合が、第二次世界大戦ではほぼ半数ずつとなり、第二次世界大戦後の戦争では民間人の犠牲者の割合が圧倒的な数を占めている。」
先程、出所を示したデータを見ると、1914年~の第一次世界大戦は、軍人・兵士が92に対して民間人が5です。
1964年~のベトナム戦争は、軍人・民間人が5に対して、民間人が95となっています。
冒頭で紹介した日露戦争が始まる頃に書かれた社会事業家の文章は、戦争によって父が亡くなった悲劇が家族を襲う。それを福祉が補うという関係が語られたものでした。
しかし、第二次世界大戦後の戦争は、犠牲者の殆どが民間人です。
近年の戦争は、軍人の父の命を奪うだけでなく、多くの、祖父母や母子の命も直接奪うものになっている事実を私たちは直視しなければなりません。
この本のまえがきに、浅井先生は、「第二次世界大戦以降、戦争をしていない国は、国連加盟193カ国(2015年7月現在)のうち、日本しかない。世界の中でも稀有な存在である。」と書いています。
しかし、浅井先生は、まえがきで、安倍政権が進める政治の中で「わが国においても、戦争政策とともに福死政策を確実に進めている現状がある。」とこの本の意義を明らかにしています。
憲法9条と25条が活きる政治を実現したい私にとって、この本から学ぶものは大きいものがあります。
浅井先生に山口県に来ていただいてお話しをお聞きしたいと思うようになりました。
戦争と福祉について皆さんの想いをお教え下さい。
昨日、山口市内の維新百年記念公園・野外音楽堂で上関原発を建てさせない山口県民大集会2017が行われ、県内外から約2500名の市民が集いました。
児童文学者の那須正幹共同代表は、中電の海面埋め立て免許延長申請を昨年8月に許可した村岡県知事を批判し、「われわれは断固としてたたかおう」と挨拶しました。
建設予定地周辺の祝島で反対運動を続ける清水敏保共同代表は「国、県、中電は決してあきらめていない。白紙撤回までともに頑張ろう」と訴えました。
基調講演を行った河合弘之弁護士は「福島では、38万人の子どもの中で185人が甲状腺がんを発症している。一般的には100万人に1人の確立であるので、およそ500倍の確立で福島では子どもたちが甲状腺がんで苦しんでいる」実態に対する政府の救済を訴えました。
参加者に勇気を与える講演を行った河合弁護士
河合弁護士は、東芝の破綻に触れ、「新基準に基づく原発の追加工事が製造者である企業に被さってきて大きな損失が産まれた結果だ。原発に手を出すと大変なことになるという状況になりつつある。」と訴えました。
河合弁護士は、世界は、福島の原発事故から学び自然エネルギー導入を加速させているとし「原子力村はしつこく原発を今後も推進するだろうが、自然エネルギーが隆盛し、原発が確実に勢力を衰退させている。」と話します。
河合弁護士は最後に、「脱原発を求める私たちは必ず勝利する。一喜一憂せず、原発の再稼働と新設を許さないたたかいを大きく広げていこう」と訴えました。
集会の最後に、参加者一同で、原発反対の想いが爆発するイメージのポスターを掲げて、上関原発を建てさせない意思を示しました。
原発反対の想いが爆発するポスターを示す
集会後に、参加者は維新公園周辺をデモ行進しました。
河合弁護士も参加し集会参加者でデモ行進。
私は、河合弁護士の基調講演に深く納得しました。
河合監督の最新作「日本と再生 光と風のギガワット作戦」を早く観たいと思いました。
「私たちは必ず勝利する」この河合弁護士の言葉を胸に、上関原発を建てさせない運動を継続していきたいと思います。
上関原発に対する皆さんの想いをお教え下さい。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙は、「主張」で「東電新々総合計画」を取り上げています。
「東京電力の持ち株会社・東京電力オールディングスが、国の原子力損害補償・廃炉等支援機構とともに、福島第一原発事故で支出増が迫らている除染や賠償、廃炉などの費用を確保し、経営を『再建』するための『新々総合特別事業計画』骨子をまとめました。株式を国に引き渡し、事実上『国有化』されている東電が、他社との事業再編や統合などで利益うぃ改善していこうとするものですが、見過ごせないのは原発の再稼働が前提になっていることです。福島第2原発はもちろん、柏崎刈羽原発についても住民の同意はありません。再稼働前提は断念すべきです。」「原発事故の廃炉や賠償、除染などの費用は、汚染者負担原則に立って事故の責任者である東電が第一義的責任を果たすのが当然で、電気料金や税金など際限なく国民につけを回すのは筋が違います。東電に出融資するメガバンクや原子炉メーカー、ゼネコンなどにも応分の負担を求め、国民負担を最小にすべきです。原発の再稼働を前提に、東電にやみくもにもうけを増やさせようというのは誤りです。再稼働は断念し、賠償、廃炉の費用負担の仕組みを根本から見直すべきです。」
先日、山口市内で講演した安斎育郎さんの著作「福島原発事故 どうする日本の原発政策」に安斎さんが、1972年日本学術会議原発問題シンポジウムで基調演説された「原子力発電の問題点」が掲載されています。
安斎さんが、1972年に示された「原子力発電の6項目の点検基準」は現在でも極めて重要な問題を提起していると思います。
安斎さんが示された6項目の点検基準の概要は以下の通りです。
①自国に根差した自主的なエネルギー開発であるのか否かという点
②経済優先の開発か、安全確保優先の開発かという点
③自主的・民主的な地域開発とどう抵触するのかしなのかという点
④軍事的利用への歯止めが保障されているのか否かという点
⑤安全性の確保、すなわち発電所労働者と地域住民の生活と生命の安全を確保し、環境を保全する十分な歯止めが、どれほどの実証性をもって裏づけされているのかという点
⑥原発開発に関して民主的な行政が実態として保障されているのか否かという点
安斎さんがこの指摘をして以降に、世界は、チェルノブイリ、スリーマイル島、福島の原発事故を経験しました。
福島原発事故を受けた後の日本の原発政策は、冒頭紹介した「東電新々総合計画」にあるように、原発再稼働を進めるものとなっています。
日本は、引き続き、安斎さんの6項目の点検基準で原発政策を点検しなければならない時代が続きます。
「勝つことは諦めないこと」これは、沖縄の基地反対闘争の教訓として語り継がれている言葉です。
日本が福島原発事故を教訓として原発のない国に進むよう諦めないで運動を続ける必要性がかつてなく高まっています。
上関原発は、山口県知事が中電に埋立免許の延長申請に許可を出しました。
政府は、今年中にもエネルギー基本計画を改定しようとしています。
この中に「原発の新設」を盛り込み、政府は、上関原発を一気に進めかねない状況も予測されます。
再稼働も許されませんが、原発の新設が認められれば、未来永劫、日本は再び原発に依存した国になってしまいます。
原発のない日本を実現するために、上関原発を建てさせないことは、ことのほか意義深い運動です。
いよいよ今日、山口市の維新百年記念公園で、「上関原発を建てさせない山口県民大集会」が行われます。
10時から開催です。私は、宇部市から直行バスのスタッフとして集会に参加します。
一人でも多くの皆さんのご参加をお願いいたします。
上関原発に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
尊敬する映画好きの先輩から「大いなる陰謀」のDVDをお借りし先日視聴しました。
「大いなる陰謀」ロバート・レッドフォード監督のアメリカ映画で、日本では2008年に公開されたました。
9.11同時多発テロ後のアメリカの中東への侵略戦争が泥沼化する中で新たにアフガニスタンへの侵攻を企てるアメリカ。
その裏側を描いたのが「大いなる陰謀」です。
映画の舞台は3つあります。
一つ目は、トムクルーズ演じる未来の大統領候補の呼び声高いアーヴィング上院議員にメリル・ストリープ演じるベテランジャーナリストのジャニーンが一大スクープを語る議員執務室。
二つ目は、ロバート・レッドフォード演じるマレー教授の控室。授業を休みがちな生徒とマレー教授が激論を戦わせます。
三つ目は、アフガニスタン侵攻の戦場。二人の青年は、マレー教授の教え子。一人は、アフリカ系。一人は、メキシコ系。「国を変えるために戦場へ行く」とアメリカを旅立った青年二人は、ヘリコプターからアフガニスタンの山中に転落します。
この映画は、「戦争」がどのように作られるかを描いた作品だと思います。
一つは、政府の意思が意図的にマスコミに流されるという事実です。
「アフガニスタン侵攻」を対テロ戦争と言い、アメリカを救う戦いという政府。政府の意思を無批判に報道するマスコミ。
二つ目は国民の無関心が戦争を引き起こすという事実です。中東では戦争が起こっているのに、アメリカ国内では、その事に無関心な国民が多数います。
学生がアイドルの報道を観るシーンが出てきますが、この場面は映画「華氏456」にも同じようなシーンがありました。
国民が無関心な中、戦争は起こることが分かりました。これも、政府による国民操作だと描かれています。
三つ目は、貧困問題が戦争を引き起こすという事実です。戦場に向かった二人の青年の背景には貧困があります。アリン・ネルソンさんが海兵隊に入った経過と似ている状況が今日も続いていることをこの映画は語っています。
政府が事実を隠して「正義」を掲げて戦争を起こす。その「正義」を無批判に報道するマスコミ。
国民の多くは、政治に無関心。一方で、極貧の青年が戦場に追いやられる現実をこの映画は見事に描き切っています。
日本を戦前にさせないためにも、この映画を多くの皆さんに観ていただきたいと思います。
安保法制=戦争法を具体化させて、アメリカの侵略戦争に自衛隊を派兵させようとする政府。
共謀罪を導入して、戦前の治安維持法下の状況を作ろうとする政府。
社会保障施策を後退させ、格差と貧困を拡大させる政府。
総じて「戦争する国」づくりを進めようとする政府の意図を見抜く国民的連帯を更に作ることの必要性をこの映画で感じました。
戦争を続けるアメリカの今を知ることは、日本の未来を創る上でとても大切な事だと感じました。
「大いなる陰謀」を観られた方は感想をお聞かせ下さい。
19日付しんぶん赤旗は、「米国防省運用試験・評価局が1月に米議会に提出した最新の年次報告書で、米軍と自衛隊が次期主力戦闘機として配備を進めているF35ステルス戦闘機の最新段階(ブロック3F)の試験機に関して、「重大な276項目の欠陥を特定した」と明記していることが分かりました。」と報じました。
しんぶん赤旗は、「実戦配備された前段階の機種についても、『欠陥が次の段階に引き継がれた』『非現実的な開発日程に合わせるため、(前段階からの)問題を残したまま配備された』としており、3月までに航空自衛隊に納入された4機(F35A)や、岩国基地(山口県)に配備された海兵隊10機(F35B)にも重大な欠陥が含まれている可能性があります。」「報告書は『F35の全面的な戦闘能力を伴う初期運用試験・評価は早くても2018年後半から19年前半になる。実際は20年以降になるだろう』と指摘しており、現状では『戦闘機』として訳に立たないことを指摘。その背景として、F35の開発部門に、8月までに実戦配備に向けた段階の一つである『初期運用試験・評価』を行うよう『圧力』がかかり、必要な日程の短縮が迫られた結果、276の欠陥が残ったとしています。」と報じています。
しんぶん赤旗の解説で竹下岳記者は「米国防相のF35開発部門に何らかの『圧力』がかかり、欠陥を放置したまま開発・配備が進められています。そこには、巨大軍需企業を中心とした軍産複合体の影が見え隠れします。オバマ前政権に任命された国防総省の担当官は退任直前の今年1月、米議会に提出報告書で開発計画の延長を提言しました。」「安倍晋三首相は米国製兵器の購入で『米国の経済や雇用にも貢献する』(2月15日、参院本会議)と答弁しましたが、垂直離着陸オスプレイを含め、『欠陥商品』の大量購入はやめるべきです。」と報じています。
県民の反対の声を無視して、米海兵隊岩国基地に駐留米軍基地では初めてF35B10機が配備されました。
実戦配備された前段階の機種についても「結果’が次の段階に引き継がれた」「非現実的な開発日程に合わせるために、(前段階からの)問題を残したまま配備された」F35が、岩国基地のF35Bが含まれるのならば、山口県民の命に係わる大問題です。
私は、これまでもF35の欠陥を指摘し、岩国基地配備撤回を求めてきましたが、この報告書を受けて、改めて、配備されたF35Bの米国への帰還と、新たなF35Bの配備撤回を訴えたいと思います。
F35に重大な276項目の欠陥があることが明らかになりました。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、石川慶監督の映画「愚行録」を北九州市の映画館で観ました。
映画のパンフレットの中で、松原耕二さんが、「未解決の一家惨殺事件を記者が追う。そうした設定だと事前に聞いていた私は、記者の果敢な取材が真理を明らかにする、といった類いの映画なのだろうと勝手に想像していた。つまり悪の側にいる犯人を、善の側にいる記者=主人公が暴いていのだと。」「そしてふと気づく。この物語は私たちが生きている世界そのものではないだろうか。他人を分類分けし、傷つけ、殺し合う。ふつうの人々が悪意すらなく愚行を犯す。もしろん私も、そしてあなたもそのひとりなのだ。」と述べていますが、2時間、スクリーンに映し出されたのは、現代社会の現実そのものだったのでしょう。
田向浩樹を演じた小出恵介さんは「非常に人間的な映画だと思います。人間の愚かさや暗部を照れずに表現して、普通は、『愚かだけど愛おしい』みないな人間賛歌になりがちなところを、ちゃんと愚かなまま突き抜けていく。中途半端なすくいのない作品も個人的にあ好きなので、それが伝わるといいなと思います。」と述べていますが、人間の本質をえぐり出した作品と言えます。
貫井徳郎さんの原作「愚行録」を昨日までに読み終えて映画を観ようと思っていたのですが、後半部分を残したまま観ました。
だから、後半部分の展開と結末は、全く予想が出来ないものでした。
帰りの電車の中で、小説は全部読みました。
全部読んだ上でも、妻夫木聡さん演じる田中武志は、小説の中には実体が登場しません。
田中武志が登場する中で、この小説の全体像を理解することが出来ました。
映画と小説を両方観て読んで「愚行録」の世界観を深く理解することができました。
貫井徳郎さんは、映画のパンフレットで、「僕は人を見下したり見下されることが嫌いなんです。嫌いなものをどうして書くのかというと、それがどんなに嫌なことか気づいてもらいたいからです。この作品は読んで本気で怒ってしまい人が結構いたんですよ。作者としては成功なんですけど、何が自分のカンに触ったということを考えておらえたらなと思うんです。」と書いています。
「愚行録」を通して、作家の貫井徳郎さんと石川慶監督の熱情を感じることができました。
とにもかくにも「愚行録」を観て読んで、一緒に語り合いましょう。
「愚行録」を観た読んだみなさん。感想をお聞かせ下さい。