月別アーカイブ:2025年9月

長生炭鉱犠牲者の遺骨と思われる人骨のDNA鑑定を行うのは、政府の最低限の責務です。

 21日、東京新聞は、長生炭鉱犠牲者のDNA鑑定について次のように報じました。
 「戦時下の水没事故で朝鮮半島出身者を含む183人が亡くなった長生炭鉱で、収容した遺骨のDNA鑑定に韓国政府が協力する意向を示していることが分かった。収容を進める市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』が18日、記者会見し、韓国政府と面会した内容として、明らかにした。8月下旬に遺骨が発見されて1ヶ月近いが日本政府は鑑定を行うかどうかすら明言していない。刻む会は韓国との共同鑑定を日本政府に働きかける方針だ。面会は15日、韓国国内で行われた。刻む会の井上洋子共同代表や上田慶司事務局長らが韓国行政安全省の高官や韓国の遺族らと会った。韓国政府は遺骨と照合するため、同国内の犠牲者遺族の検体の採取を進め、76人分を集めた。刻む会が日本の一部遺族から採取したものと合わせ、検体の総数は83人分にのぼる。刻む会は当初、韓国政府などから検体の提供を受け、日本政府が遺骨の鑑定や照合を行うことを想定していた。だが、日本政府は9日の刻む会との交渉で鑑定手法について韓国政府側に事前に問い合わせる必要があるとして『DNA鑑定の可否は検討中』と述べるにとどまった。刻む会が面談で韓国政府側に尋ねると、面談の時点でも、日本政府からの問い合わせは来ていなかった。韓国政府側は日本側のこうした状況も踏まえ『遺骨の鑑定に参加したいという意向ははっきり示した』という。刻む会の上田氏は『日本にやる気がないのならこっちでやるということだろう』と代弁。来年2月には、収容作業の中心を担う水中探検家の伊佐治佳孝さんに加え、タイやフィンランドのダイバー有志ら計7人で遺骨の集中捜索を始める。上田氏は『これから大量の遺骨が見つかる。それまでに鑑定の道筋を付けるのが最重要課題だ』と強調した。一方、日本政府は、鑑定に加え、こうした収容作業への協力についても『安全性が確認できない』として事実上、拒んでいる。捜索の際は、海中の坑道への出入り口として沖合の海面に突き出た排気口(ピーヤ)を利用しているが、資金不足でピーヤ内の鉄骨などの残骸の清掃も十分できないままだ。崩れれば進入ルートがふさがれ、ダイバーの命に係わる可能性がある。刻む会はこの日の会見で、骨を発見した8月の調査の直前にも、一部の鉄骨が崩落しているのが見つかったと明らかにした。当日は韓国人ダイバー2人が潜ったが、一時、調査の見合わせも検討したという。伊佐治さんは『崩落場所があと30センチずれていたら、ルートがふさがれていた。坑道を捜索中に起きれば外に出られなくなっただろう』と説明した。長生炭鉱の調査に限っては遺書を用意して臨んでいることも明らかにした。ただピーヤ内の危険は、お金をかけて内部の鉄骨などを撤去すれば解決できる。伊佐治さんらは、この会見の前に厚生労働省の担当者と面会し、資金援助などをあらためて要請した。伊佐治さんは『ふわっと何となく危険を考えているような印象を持った。どこが危険でどこがそうでないのか切り分けて考えてもらえれば』と話した。」
 昨日の中国新聞は、朱喜哲さんの「論考2025」が掲載され、テーマは、「遺骨と死者を直視する」で、長生炭鉱の問題が取り上げられました。
 朱さんは、この小論を次のように締めくくりました。
 「長生炭鉱では、ずっと国から無視されてきた遺骨の存在が確認された。そこにはまだ膨大な遺骨があるはずだ。今私たちは、死者から、そして歴史から問われている。それは私たちの国でかつてうねりを見せた軍国主義という巨大な力の中で、非業の死を遂げた死者たちなのだ。」
 昨日、山口朝日放送は、報道特別番組を放映しました。テーマは「遺骨はある 海底炭鉱で待つ183人」。長生炭鉱犠牲者の遺骨収集までの取り組みが詳細に放映されました。
 日本は、個人の尊厳を大切にする国かどうかが今、問われていると思います。
 政府は、遺骨収集・返還に責任を発揮することは当然だと思います。
 26日の一般質問でも長生炭鉱の問題を取り上げます。山口県の責任の発揮を求めたいと思います。

 遺骨と思われる人骨のDNA鑑定を政府が行うことは、最低限に取り組むべき当然の課題だと思います。
 長生炭鉱に関する皆さんのご意見をお聞かせください。

周防大島町議会と柳井市議会がFCLPを二度としないよう国に求める意見書案を可決させました

 米軍岩国基地でのFCLP訓練について、22日付、しんぶん赤旗日刊紙は、次のように報じました。
 「米軍岩国基地で、滑走路を空母の甲板に見立てて離発着を繰り返す陸上着艦訓練(FCLP)が25年ぶりに行われています。昼夜、激しい爆音が続くため、地元などが強く中止を求めるなか、国は容認し、強行されました。17日の訓練初日から3日間、基地周辺を取材し、市民の声を聞きました。17日午後1時半すぎ、空母艦載機の最新鋭のステルス戦闘機F35Cの3機が滑走路に車輪を一瞬付けるか、その直前に急上昇するFCLPを始めました。3機は上空を旋回しながら、ほぼ1分間隔で各9回、離着陸を繰り返した。滑走路のそばの堤防から見ていると、耳をつんざく爆音で、その音圧に内蔵を揺さぶられました。米軍の通告では訓練は午後1時半から4時半と午後6時45分から9時45分の1日2回。26日まで(土日祝日除く)行われます。初日から通告時間を超えて午後4時50分すぎまで続けられ、訓練中の3時間超、爆音はほぼ絶えませんでした。初日の夜、地元の『住民投票を力にする会』の呼びかけに応えた市民7人が堤防に集まり、監視しました。代表で日本共産党の松田一志市議は『こんな訓練を容認するわけにはいかない。市民とその思いを共有し、大いに声を広げていきたい』と訴えました。今回、米軍はFCLPを行ってきた硫黄島(東京)の火山活動を理由に、予備施設の一つである岩国基地を指定。岩国基地で実施されるのは2000年9月以来です。このときの爆音の懸念もあり、06年3月に行われた空母艦載機の受け入れの是非を問う岩国市民の住民投票では有効投票の9割が移駐に反対しました。18日午後、滑走路の北端から約2・8キロのJR岩国駅の近くに住む藤本博司さん(83)を訪ねました。岩国爆音第2次訴訟の原告団副団長の藤本さんは自宅の窓越しに響く爆音を数えながら、『日頃はああいう濃密な飛び方はしない』と指摘しました。『FCLPをしないという条件で岩国が艦載機部隊移駐を受け入れさせられたのに』と語り、国が米側に中止を求めないことに怒りました。夕方、同駅前で帰宅途中の高校生(17)は『基地があるところは他の国から攻撃されやすくなるし、(訓練で)事故が起きないか不安です』と話しました。18日の訓練も通告時間は無視され、日中で1時間近くも延長されました。夜、訓練を視察した福田良彦市長は記者団に『大きな騒音だと思う。激しい騒音をもたらすFCLPは実施しないことを改めて国に強く求めたい』と述べ、通告時間超えも批判しました。岩国市の集計によると、19日までの3日間のFCLPで計704回の飛行を確認。基地南側(尾津町)の騒音計測地点では、人がうるさいと感じる70デシベル以上の騒音を851回記録し、最高値は98・7デシベル(19日午後9時7分)でした。19日は午後9時50分までに行われました。市に寄せられる苦情は日を追って増え、計496件にのぼっています。19日夜、岩国平和委員会の監視行動に同行しました。爆音が響く尾津町の団地の高台から基地全体を見渡し、事務局長の吉岡光則さん(79)が話しました。『岩国基地が硫黄島の予備施設に指定されている限り、噴火や天候不良を理由にいつ岩国で実施されてもおかしくない。引き続き監視し、市民とともに抗議の声を上げていきたい』」
 昨日の中国新聞デジタルは「17~19日の過去3日間と同様、4日目のこの日も日中の訓練が予定の終了時間を超過した。」と報じました。昨日まで、日中の訓練の予定を全てオーバーしていることは重大です。
 また、19日の中国新聞デジタルは、「山口県周防大島町議会は19日、米軍岩国基地での空母艦載機によるFCLP実施を受け、FCLPなど激しい騒音被害をもたらす訓練を二度と実施しないよう米側に求めることを国に要請する意見書案を全会一致で可決した」と報じました。
 更に、昨日の中国新聞デジタルは、「山口県柳井市議会は22日、空母艦載機によるFCLPのような激しい騒音被害をもたらす訓練を米軍岩国基地で二度と実施しないよう米側に求めることを国に要請する意見書案を全会一致で可決した」と報じました。
 山口県議会でも、FCLPを二度としないよう米側に求めることを国に要請する意見書案が可決できるよう、所管の総務企画委員の一人として委員会に提案したいと思っています。皆さんの後押しをお願いいたします。
 FCLPがルールを破りながら、爆音を昼夜轟かせています。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

美祢市美東町真長田の農業利水施設の改修工事が、2027年からスタートする見通し示される

 美祢市美東町の農業水利施設の改修工事が、何年たっても国と県の予算がつかないとの要望を三好睦子美祢市議を通じて、受けました。
 要望があったのは、美祢市真長田地域の掛堰と梶明堰です。予算名は、農業水路等長寿命化防災減災事業です。
 県農村整備課に調査を依頼し、先週、回答が返ってきました。
 回答は、「梶明堰を掛堰に統合する計画だ。掛堰の改修について、2027年度から計画を立て、測量設計などを行い、2029年度、30年度で工事を行っていきたい。」というものでした。

  美祢市美東町真長田の掛堰

 掛堰近くのポンプ場

 梶明堰

 梶明堰近くのポンプ場

 回答を三好市議に伝えたところ「地元関係者は、事業開始の見通しに喜ぶことだろう」と述べました。
 引き続き、県政全般に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

藤本かずのり県議会報告(かえる通信)2025年10月1日 No.126

9月18日に、私は、米軍岩国基地での陸上空母離着陸訓練(FCLP)を視察しました。

 19日、中国新聞デジタルは、米軍岩国基地での陸上空母離着陸訓練(FCLP)を村岡知事が視察したと次のように報じました。
 「在日米海軍は19日、空母艦載機による陸上空母離着陸訓練(FCLP)を米軍岩国基地で続けた。訓練は3日目。17、18日に続き、日中の訓練が予定の終了時間を超過した。市が受けた騒音による苦情は3日間で300件を超えた。この日も日中と夜間の訓練があり、戦闘機が『タッチ・アンド・ゴー』と呼ばれる離着陸を繰り返した。市によると、日中訓練は予定を25分オーバーして午後4時55分に終わった。日中の訓練中、人がうるさいと感じる70デシベル以上の騒音を基地北側(川口町)で203回、南側(尾津町)で188回計測した。19日夕までに市へ寄せられた騒音苦情は353件に上った。『夜勤なのに眠れない』『テレビの音が聞こえない』などの内容が含まれる。山口県の村岡嗣政知事はこの日、訓練の様子を岩国市の福田良彦市長と共に基地近くから視察した。村岡知事は『中止要請にもかかわらず実施されたことは大変遺憾。引き続き中止を求めるとともに、二度と実施されないよう強く求めたい』と強調。岩国での訓練が常態化することは『あってはならない』とした。」
 私は、18日、一般質問の通告を提出した後に、岩国市に向かい、14時半頃から約1時間、18時半頃から約1時間、米軍岩国基地の陸上空母着艦訓練(FCLP)を視察しました。

 岩国市の上空を飛行する空母艦載機

 「タッチ・アンド・ゴー」のタッチした瞬間を撮影しました。轟音が響きます。

 私は、25年前の同訓練は、県議1期目の時に視察しました。
 今津川護岸に到着した時に、訓練機が飛び立つ所で、「ゴー」という爆音がお腹に突き刺さるようでした。
 基地内にある甲板に見立てた枠に着陸する時、また、離陸する時、いわゆる「タッチ・アンド・ゴー」の時に、二度、「ゴー」という爆音がお腹に突き刺さりました。
 これを繰り返すのですから、爆音の連続です。
 6時半過ぎから夜の訓練が始まりました。福田市長が視察されている姿も見ることができました。
 夜は、戦闘機の姿は、ほとんど見えませんが、日中と同じように、タッチ・アンド・ゴーが繰り替えされます。
 静かな夜に、騒音が轟きます。17日の訓練を視察した方は、「今日は、雲が厚くかかっている。音が空に抜けないので、騒音が大きく感じる」と言われました。
 25年前と違うのは、民間空港が併設していることです。タッチ・アンド・ゴーの隙間を縫うように民間機が数回飛び立っていきました。事故が起きないか心配でした。
 空母艦載機が岩国基地に移駐した際に、オール山口が求めたのが、「岩国でFCLPはやらない」ということでした。
 9月19日は、安保法制が強行されて10年の時でした。25年前と違うのは、安保法制があり、安保三文書があることだとも感じます。
 日米一体で、戦争国家づくりが進む中で、米軍岩国基地でのFCLP強行です。
 日米両政府が地元の意向を無視する政治が、沖縄だけでなく、山口でも行われています。
 問答無用での戦争国家づくりを進めるやり方は許せません。
 9月県議会の論戦が、明日から始まりますが、「岩国でのFCLPは許さない」はオール山口の願いです。
 しっかり、私も、総務企画委員会を中心に論戦に参加したと思います。
 岩国基地でのFCLP強行に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

民主青年新聞9月22日付に、私が書いた「長生炭鉱水没事故とは」が掲載されました。

 民主青年新聞 9月22日(月) 3194号に、私が書いた「長生炭鉱水没事故とは――犠牲者の尊厳の回復を」が掲載されました。

 読んでみたいという方は、私に連絡ください。ブログのトップページの「問い合わせ」のバナーから私にメールを送ることができます。

 掲載された私の文書は以下の通りです。

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長生炭鉱水没事故とは――犠牲者の尊厳の回復を

 長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会運営委員・日本共産党山口県議会議員 藤本一規

 はじめに

 8月23日、韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領が来日し、石破茂首相と日韓首脳会談を行いました。共同プレスリリースに「石破総理は、1998年の『21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同声明』を含む歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる旨述べた」とあります。
 翌日、李大統領は、日韓議員連盟と会談しました。日本共産党の志位和夫議長は、「戦後80年にあたって、日韓両国の友好関係をさらに発展させていくためには、1990年代の三つの重要文書ーー村山談話(95年)、河野談話(93年)、および日韓パートナーシップ宣言(98年)の核心的内容を引き継ぐことが大切だと考えます。日韓両国間の二つの懸念(旧日本軍『慰安婦』・元徴用工問題)については、被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切であり、そのために日本政府は誠意ある対応を行うことが重要」と述べました。
 村山談話は、「植民地支配と侵略によって、(中略)多大の損害と苦痛を与えました」としました。河野談話は、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」としました。日韓パートナーシップ宣言は、「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ。これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを」としました。
 石破首相が、「これらの文書の立場を全体として引き継いでいる」と述べたことは重要です。志位議長が指摘する「被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切」とする被害者に、長生炭鉱水没事故犠牲者が含まれます。
 石破首相は、3つの重要文書に沿って、犠牲者の名誉と尊厳の回復のために責任を果たす時です。

 長生炭鉱水没事故とは

 1941年12月8日、日本軍が真珠湾を空爆し、アジア太平洋戦争が始まりました。その2カ月後の1942年2月3日、山口県宇部市の海底炭鉱・長生炭鉱で水没事故が発生し、183人が亡くなりました。136名が朝鮮人で、47人が日本人でした。
 「宇部市史」に「長生炭鉱への朝鮮人強制連行と水没事故」という章があります。「宇部市史」は、長生炭鉱で働いていた朝鮮人は強制連行だったと規定しています。「宇部市史」は、「長生炭鉱の『集団渡航鮮人有付記録』には昭和十五年四月から十二月までの間に朝鮮からの六回にわたる集団移入させられた四五一人の名前と鉱夫番号が記され」と書いています。鮮人とは朝鮮人の蔑称です。有付とは仕事に就かせるという炭鉱用語です。戦時中、在日朝鮮人を管理するために内務省と警察を中心に結成した組織である「中央協和会」の資料に、長生炭鉱には合計1258人の朝鮮人が強制連行されたとあります。
 「宇部市史」は、「長生炭鉱は、特に坑道が低く、危険な海底炭鉱として知られ、日本人鉱夫から恐れられたため朝鮮人鉱夫が投入されることになった模様であり、その当時『朝鮮炭鉱』と蔑称された」と書いています。西日本の炭鉱を管理した福岡鉱山監督局は、拂堀(坑内の炭柱の払い過ぎ)を禁止していました。長生炭鉱は、坑内の支柱を過度に除去していました。福岡鉱山監督局は、「海底下の第四紀層五㍍以上十㍍未満のときは第三紀層の厚さ四十㍍未満」は採掘してはならないと規定していました。長生炭鉱は、第四紀層の厚さは7メートル、第三紀層の厚さは30メートルでした。長生炭鉱は、福岡鉱山監督局の二つの規定に違反した上で操業を行っていたのです。経営者だった頼尊淵之助は、戦後「大きな水没事故を起こし、大きな犠牲者を出したのは、私が法律違反をして採掘したためであり、山口地方裁判所に記録が残っている。私が悪いのであります」と語っています。(保安基準規制強化に反対する会合での発言)。アジア太平洋戦争勃発の時期であり、長生炭鉱では、鉱夫の命よりも、戦争遂行・石炭増産を優先させ、水没事故が起きたのです。

 長生炭鉱水没事故関係者の証言

 長生炭鉱で働いた労働者の証言が残されています。その一人が、18歳で日本に強制連行された金景鳳(キム・ギョンボン)さんです。金さんは、こう証言しています「一九四一年、私が十八歳の時に日本の巡査が突然、家(慶尚北道)にやってきて連行されました。オモニ(母)は、巡査の足を引っ張り、ダメだ、ダメだって泣いて引き留めたのですが、巡査は、私を引っ張って連れ出しました」「苦しい炭鉱の生活を抜け出すため三人で逃げました。しかし、長生海岸の砂浜で道に迷っているところを捕まりました。二人は三十歳以上だったためか、殴られて殺されました。十八歳だった私は木の棒でしこたま殴られましたが、命は助かりました。しかし、今もその時の傷跡が頭の部分にあります」。長生炭鉱では、水没事故の犠牲者だけではなく、逃亡した鉱夫が殺される事件があったのです。また、朝鮮人の強制連行があったことが分かる証言です。
 次は、長生炭鉱水没事故で亡くなった金元達(キム・ウォンダル)さんの最期の手紙です。金さんが事故に遭う前に、母に送った手紙です。事故が起こって、二か月後に手紙が朝鮮に住む母の元に届きました。
 「お母さん、私は今、日本の山口県という所で炭鉱の仕事をしています。海の下に坑道が通っていて、海の上を通る漁船のトントンという音も聞こえてくるほどのとても危険な場所です。でもどんな手段を使ってでも、必ず脱出するつもりです。心配しないでください。脱出するにもとても難しいです。垣根は3メートル程の厚い松の板で囲ってあり、その外側をぎっしりと鉄条網が張り巡らされています。その囲いの中にある宿舎は、まるで捕虜収容所のようなとところです。警備も厳しく、一切の自由もなく、外出もできない拘束の中で生活しています。出入り口の門には、武装した警備員たちが厳めしく見張っています。体の具合が悪いからと言って、その日の仕事を拒否でもすると、動物以下の扱いを受け、暴力を振るわれ、食事もろくに貰えず、空腹で過ごす日々も多くあります。(中略)必ず脱出して、必ずお母さんの所に帰ってきます」
 この手紙は、長生炭鉱で、朝鮮人の強制労働があった実態を告発するものです。

 植民地支配犠牲者に謝罪と補償を

 日本が韓国の独立を奪い、日本の植民地支配下においたのは、115年前の1910年に調印された「韓国併合条約」によってです。「韓国併合条約」は、韓国皇帝が韓国の統治権を日本に譲り与えるといい、日本の天皇はこれを承諾し引き受けるという形をとっています。「韓国併合条約」にもとづく朝鮮植民地支配の不当性が明らかになったのは、「カイロ宣言」によってです。カイロ宣言は、日本が、朝鮮の人民を「奴隷状態」置いていることを明らかにしました。日本が朝鮮を植民地支配し、朝鮮人を奴隷状態に置く中で、長生炭鉱の水没事故犠牲者の問題が発生したのです。日本は、「カイロ宣言」の全面的な条項の履行を明記した「ポツダム宣言」を受諾し、「奴隷状態」に置いた朝鮮人を解放しました。石破首相は、ポツダム宣言に立ち返り、「奴隷状態」により生じた諸問題を解決すべきです。
 2001年、「植民地支配と奴隷制度は過去にさかのぼって非難されなければならない」とする「ダーバン宣言」が、採択されました。
 2021年、ドイツ政府は、旧植民地のナミビアでの大虐殺を認め謝罪し、補償金の提供を発表しました。近年、過去の植民地支配や奴隷制度を謝罪し、補償に踏み出す動きが広がっています。石破首相は、「ダーバン宣言」に基づき、植民地支配で奴隷状態に置いた朝鮮人への謝罪と補償に足を踏み出す時です。

 長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の活動

 水没事故の50年後の1991年に、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会が結成されました。水非常とは、水没事故を表す炭鉱用語です。刻む会は①ピーヤ(排気・排水筒・写真1)の保存②犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の建立③証言・資料の収集に取り組んできました。1992年に韓国遺族会が結成され、翌年から遺族を招聘して毎年現地で追悼集会を開催してきました。2013年には、追悼碑が建設されました。追悼碑には、全ての犠牲者の名前と「日本人犠牲者」「強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者」の文字が刻まれています。(写真2)
 追悼碑を披露した直後、刻む会に、遺族から「刻む会は、これで運動をやめようとしていないか、自分たちは遺骨を故郷に持って帰るまで闘う」という言葉が寄せられました。その翌年から、刻む会の活動方針に「遺骨収拾・返還」が加わりました。

 遺骨らしき人骨が発見 政府の責任は重大 

 2024年9月、82年間埋められていた長生炭鉱の坑口を開けることができました。翌月から、世界的な水中探検家の伊佐治佳孝さんを中心に日韓のダイバーよる潜水調査が、行われてきました。8月25日から行われた6回目の潜水調査で人骨と思われる骨が収拾されました。山口県警の調査で、骨は人骨で、大腿骨と上腕骨と橈骨と頭蓋骨(写真3)であることが分かりました。
 2004年12月に行われた小泉純一郎首相と廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領による日韓首脳会談で、 廬大統領が元徴用工の遺骨問題の解決を提起し、小泉首相が「何が出来るのか検討する」と答えました。政府は、長生炭鉱の遺骨について位置や深度が不明のため発掘は困難だとしてきました。遺骨と思われる人骨が発見された今、政府の言い分は通用しません。
9月4日に行われた超党派の国会議員との交渉の中で、水中探検家・伊佐治さんと日韓両国のダイバーを交えた検討会の開催について、厚労省は、「実施する」と答えました。政府は、長生炭鉱の遺骨収拾と返還に責任を果たす時です。

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 感想があればお教えください。