3月24日付しんぶん赤旗日曜版に元伊藤忠商事会長で元中国大使の丹羽宇一郎さんのインタビューが掲載されていました。
丹羽さんの本は、「死ぬほど読書」「戦争の大問題」を読みました。
良識的な経済人の一人として尊敬していました。
しんぶん赤旗に登場され、更にファンになりました。
丹羽さんは、「若者が希望を持ちにくい時代に危機感を抱く」として、次のように述べています。
「子どもを産もうにも、今日より明日の生活が良くなる見通しがなければ、なかなか産めません。いまを生きるのに精いっぱいで、なかなか他の事を考えるゆとりがない。もっと生き方や哲学について関心をもち、明日の生活は今日よりよくなると思えるような、希望のもてる社会にしていかないと、若者の情熱を引き出す方向には進みません。」
この方向を改善する方策として丹羽さんはこう述べています。
「一番いいのは、富の分配を考え直すことです。税制には、富の再配分という役割があります。貧富の差が拡大するなか、いままでと同じような税制であってはならない。消費税が議論されていますが、いま見直すべきなのは所得税や金融資産への課税です。株や債券での稼ぎや高額所得者への課税をもう少し増やすべきではないか。木ね持ちに手厚くするのではなく、弱い者、貧しい者に手厚くする税制へと考えなおすべきです。」
丹羽さんは、平和憲法についてこう語っています。
「平和憲法のもと、日本は73年間、戦争しなかった。世界的にみてもまれなことです。この憲法は、日本国民の平和を願う気持ちを表しています。安倍総理は改憲が悲願らしいですが、それは国民のためなのか。おじいさん(岸信介元首相)の遺志を持ツゲ’したいだけじゃないか。戦争に近づこうとする安倍政権にたいし、国民はもっとものをいわなければ。」
税制の在り方についても、平和憲法の見方についても、私は、丹羽さんの考えに賛同できます。
今、丹羽さんの近著「仕事と心の流儀」を読んでいます。
一人の人間として、大先輩である丹羽さんの一言一言が心に深く伝わってきます。
引き続き、丹羽宇一郎さんからどう生きるべきかを学んでいきたいと思います。
丹羽宇一郎ファンの皆さん、皆さんの感想をお聞かせ下さい。
昨日、山口市内で第6回「上関原発を建てさせない山口県民集会」が行われ、約1600人が参加しました。
「上関原発絶対反対」のポスターを掲げる参加者
今朝のしんぶん赤旗日刊紙の記事を引用します。
「中国電力の上関原発建設計画(山口県上関町)を白紙撤回させ、東京電力福島第一原発事故を忘れず原発のない社会をめざそうと23日、第6回『上関原発を建てさせない山口県民大集会』(同県民連絡会主催)が山口市で開かれ、約1600人が参加しました。内山新吾共同代表(弁護士)は同計画のための海面埋め立て免許の延長を許可した県を批判し、『破たんした原発政策をおし進める政府や議会は選挙で変えるしかない』とあいさつ。原康司事務局長は『国や県は、国民はいずれあきらめると高をくくっているが、私たちは決してあきらめない』と訴え、大きな拍手が湧きました。福島県郡山市在住でフリージャーナリストの人見やよいさん、東電の記者会見を取材する芸人の、おしどりマコ・ケンさん、詩人のアーサー・ビナードさんがゲストトーク。人見さんは『何かあってからでは遅い。絶対に上関原発を建てさせてはいけない』と強調しました。山口県周南市の30代の女性は『この集会に来ると、原発はいらないと一人ひとりが声を上げ続ける大切さを感じる』と話しました。日本共産党の大平喜信前衆議院議員、木佐木大助、かわい喜代の両県議が紹介されました。」
私は、宇部・山陽小野田実行委員会の直行バスで集会に参加しました。
アーサー・ビナードさんとおしどりマコ・ケンさんの話に感動しました。
上関原発に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
腕の重い痛みが取れません。
新聞の書籍広告に「さかだちエクササイズ」とあり、購入し、この数日、実践しています。
この本のコンセプトがこう書かれてあります。
「なぜダルさや疲れを感じるのかといえば、私たちの体が日ごろから重力の影響を受けて、心や体が押しつぶされ気味だからです。姿勢が悪くなって、呼吸も苦しくなって、血液や水分も下にたまって、気分もどんよりと落ちてきて・・・。じゃあ、どうすればいいの?単純に、さかさになってみましょう。下がってきたものを元に戻すという発想の転換で、世界が変わります。」
「筋力低下による『姿勢の崩れ』、血液やリンパ液の流れを停滞させる『下がり不調』、自律神経の失調に関わる『心の過緊張』。この3つは、すべてつながっています。」「この連鎖を断ち切るためにはどうすればいいのか。注目したいのが、私たちの体に無意識のうちにストレスを与えている重力の存在です。」「不調のトラブルの根本にある重力に目を向け、アプローチすれば、これまで解決できなかった負のループからの出口が見つかります。そして、心身が楽になり、不調が軽くなり、気持ちまでもが上向きになります。」
エクササイズは、ヨガを基本に「さかだち」を取り入れたものです。
エクササイズをすると全身が軽くなります。
腕の痛みも少し和らいできました。
いよいよ選挙戦に突入します。
心身ともにベストな状態で臨みたいと思います。
皆さんの健康法をお教え下さい。
昨日、新婦人の会宇部支部第52回支部大会が開かれました。
私は、日本共産党を代表して以下の趣旨の挨拶をしました。
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新日本婦人の会宇部支部第52回支部大会にご参加の皆さん日本共産党の前県議・藤本かずのりです。あと1週間後に県議会議員選挙が始まります。県議会に戻って、宇部の女性の皆さんの声を県議会に届ける決意です。4名の市議の実現にもお力をお貸しください。
東日本大震災から8年が経ちました。昨日の読売新聞に、「4歳の時、東日本大震災の津波で両親と妹を失った昆愛海さんが(12)(岩手県宮古市)が19日、小学校の卒業式を迎えた。」という記事が出ていました。8年前の読売新聞は、4歳の愛海さんが覚えたばかりの平仮名で「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」。と手紙を書き寝入ってしまった写真が報じられ、私は、愛海さんの事を演説の中で何度も取り上げました。
中島岳志東京工業大学教授のエピソードを思い出します。中島さんは、友人を病気で亡くします。ある日、中島さんは、翌朝までにあげなければならない原稿がある事を深夜気づきます。今まで書いたことのあることを引っ張り出して原稿を完成させ、送信ボタンを押す手が止まりました。結局、原稿を一から書き直し、納得いく原稿を仕上げることが出来ました。中島さんは、こう書いています。「彼はいい加減な仕事をしようとしている私に『それでいいのか』というまなざしを投げかけてくる。そうして思い至ったのが『彼はいなくなったのではない。死者となって存在しているんだ。だったら死者となった彼と一緒に生きていけばいい』ということでした。彼のまなざしにささえられながら、より善く生きていくことを目指せばいいではないか、と思い直したのです。」
中島さんは、立憲主義が「死者」だと語ります。中島さんは、「立憲主義における憲法は、国民が権力を縛るためのルールです。では、そのときの『国民』とは誰なのか。立憲主義が前提としている国民は、生きている国民だけではない。その中に死者が含まれている。」「憲法を通じて、死者が私たちをガードし続けている、それが、立憲主義」と書いています。
新日本婦人の会設立に関わった方は、平塚らいてふさん、いわさきちひろさんなどがおられます。彼女らが求めた自由と権利を守る思いが詰まっている憲法を今、壊すわけにはいきません。安倍9条改憲No!全国市民アクションうべでは、6月9日の木村草太学習会を行います。
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女性の人権にかかわる問題など皆さんの意見をお聞かせ下さい。
本日、時田ようすけ市議の事務所開きが行われました。
会場一杯の参加者でした。
左が時田ようすけ市議、右が、私
私が行った挨拶の要旨は以下の通りです。
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時田ようすけ市議の事務所開きにお集まりの皆さん、県議候補の藤本です。今日は、3月21日、市議会議員選挙の投票日までちょうど1カ月。心ひとつに、県議復活、市議全員当選に力を尽くしてまいりましょう。
時田さんは、この4年間、市議会議員としてだけではなく、地区委員長として、県議選・市議選の選対本部長として力を尽くしてきました。私を県議に押し出していただき、私が、選対本部長を引き続いでまいります。県議選に勝利し、時田さんの勝利に繋げていきたいと思います。
東日本大震災から8年が経過しました。8年前の3月11日、私は、県議を3期勤めあげた2月県議会閉会日で、改選前の県議・執行部の茶話会が行われている時でした。加藤議員が「大きな地震があったようだ」と遅れて部屋に入ってこられた光景を忘れることができません。
私は、発災直後のニュースで忘れられない写真があります。岩手県宮古市に住む4歳の昆愛海(こんまなみ)ちゃんは、お父さんお母さんと妹を津波で亡くしました。覚えたての平仮名で「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」と手紙を書いて、寝入っている愛海しゃんの写真を忘れることができませんでした。そして、昨日の新聞に、愛海ちゃんが、小学校の卒業式で、祖母の幸子さんに卒業証書を渡す写真が掲載されました。
福島県では、今も原発事故により4万人を超える人が避難生活を送っています。安倍政権は、原発推進のために福島の事故も被害も「終わったもの」にしようとしていますが、絶対に許せません。しかし、「目玉」の原発輸出は破たんして、原発がビジネスとして成り立たないことが明瞭です。
今日の新聞に、中国電力が上関原発の予定地を造成するため、県から許可を受けている林地開発と保安林の伐採について、実施期間を10年間延長する変更手続きを進めているとの報道がありました。
中国電力は、今年7月に期限が切れる上関原発について6月をめどに県に延長申請をする考えを示しています。
明後日、上関原発を建てさせない県民大集会が行われます。私も時田さんと一緒に、宇部・山陽小野田市実行委員会のバスで参加する予定です。
私は、上関原発ノーの論戦を来る6月県議会で行う決意です。私を県議会に送って下さい。実行委員会共同代表の時田さんを議会に送って下さい。
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県議会・市議会での要望等お聞かせ下さい。
今朝の読売新聞は、「4歳の時、東日本大震災の津波で両親と妹を失った昆愛海さんが(12)(岩手県宮古市)が19日、小学校の卒業式を迎えた。」と報じました。
8年前の読売新聞は、4歳の愛海さんが覚えたばかりの平仮名で「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」。と手紙を書き寝入ってしまった写真が報じられ、私は、県議選4期目を目指す、選挙戦の中で、愛海さんの話題を演説の中で取り上げたことを思い出します。
震災直後の6月には、震災ボランティアで、岩手県宮古市を訪ねました。東日本大震災で最大級の高さの津波が襲来した田老地区にも行きました。
愛海さんの想いがこの8年間、私の心の片隅にいつもありました。
そして、今朝の記事です。
この記事を読みながら、「100分DE名著 オルテガ 大衆の反逆」のテキストで中島岳志さんが東日本大震災を通じて感じたことを書いたくだりを思い出しました。
中島さんは、震災後に、担当編集者であった親しい友人を病気で亡くします。
そんなある日、中島さんは、帰宅が遅くなりました。翌朝までにあげなければならない原稿があります。
中島さんは、今まで書いたことのあることを引っ張り出して原稿を完成させました。
その原稿を送る送信ボタンを押す手が止まりました。
結局、原稿を一から書き直し、納得いく原稿を仕上げることが出来たと中島さん。
中島さんは、以上の体験からこう感じたと書いています。
「彼はいい加減な仕事をしようとしている私に『それでいいのか』というまなざしを投げかけてくる。そうして思い至ったのが『彼はいなくなったのではない。死者となって存在しているんだ。だったら死者となった彼と一緒に生きていけばいい』ということでした。彼のまなざしにささえられながら、より善く生きていくことを目指せばいいではないか、と思い出したのです。」
「大切な人の死は大きな喪失で、心の中にぽっかりと空いた穴に戸惑うけれど、死者はいなくなったわけではない。あとから必ず『出会い直し』がやってくる。その『出会い直し』を契機として、死者とともに生きていくことが、大切なのではないか―。」
愛海さんもきっと、亡くなったお母さんお父さん、妹さんと一緒に生きているんだと思います。
私は、故郷で国の命令に反して住民の声を時の政府に陳情した集団の中に祖父の存在があったことを知りました。
祖父には、一度も会うことなく生まれた私ですが、祖父のまなざしにささえられながら、より善く生きようと感じることが出来ました。
もちろん、影響を受けた、今は亡き、祖母や父との「出会い直し」があることを実感しています。
そして、私には、大学時代の事故=犀川スキーバス転落事故で亡くなった、多くの学友が、私に「より善く生きろ」と、この30数年ずっと支えてくれていることを実感しています。
皆さんにとっての「出会い直し」の方は誰ですか。お教え下さい。