議員日誌

愛海さん小学校卒業

 今朝の読売新聞は、「4歳の時、東日本大震災の津波で両親と妹を失った昆愛海さんが(12)(岩手県宮古市)が19日、小学校の卒業式を迎えた。」と報じました。

 8年前の読売新聞は、4歳の愛海さんが覚えたばかりの平仮名で「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」。と手紙を書き寝入ってしまった写真が報じられ、私は、県議選4期目を目指す、選挙戦の中で、愛海さんの話題を演説の中で取り上げたことを思い出します。

 震災直後の6月には、震災ボランティアで、岩手県宮古市を訪ねました。東日本大震災で最大級の高さの津波が襲来した田老地区にも行きました。

 愛海さんの想いがこの8年間、私の心の片隅にいつもありました。

 そして、今朝の記事です。

 この記事を読みながら、「100分DE名著 オルテガ 大衆の反逆」のテキストで中島岳志さんが東日本大震災を通じて感じたことを書いたくだりを思い出しました。

 中島さんは、震災後に、担当編集者であった親しい友人を病気で亡くします。

 そんなある日、中島さんは、帰宅が遅くなりました。翌朝までにあげなければならない原稿があります。

 中島さんは、今まで書いたことのあることを引っ張り出して原稿を完成させました。

 その原稿を送る送信ボタンを押す手が止まりました。

 結局、原稿を一から書き直し、納得いく原稿を仕上げることが出来たと中島さん。

 中島さんは、以上の体験からこう感じたと書いています。

 「彼はいい加減な仕事をしようとしている私に『それでいいのか』というまなざしを投げかけてくる。そうして思い至ったのが『彼はいなくなったのではない。死者となって存在しているんだ。だったら死者となった彼と一緒に生きていけばいい』ということでした。彼のまなざしにささえられながら、より善く生きていくことを目指せばいいではないか、と思い出したのです。」

 「大切な人の死は大きな喪失で、心の中にぽっかりと空いた穴に戸惑うけれど、死者はいなくなったわけではない。あとから必ず『出会い直し』がやってくる。その『出会い直し』を契機として、死者とともに生きていくことが、大切なのではないか―。」

 愛海さんもきっと、亡くなったお母さんお父さん、妹さんと一緒に生きているんだと思います。

 私は、故郷で国の命令に反して住民の声を時の政府に陳情した集団の中に祖父の存在があったことを知りました。

 祖父には、一度も会うことなく生まれた私ですが、祖父のまなざしにささえられながら、より善く生きようと感じることが出来ました。

 もちろん、影響を受けた、今は亡き、祖母や父との「出会い直し」があることを実感しています。

 そして、私には、大学時代の事故=犀川スキーバス転落事故で亡くなった、多くの学友が、私に「より善く生きろ」と、この30数年ずっと支えてくれていることを実感しています。

 皆さんにとっての「出会い直し」の方は誰ですか。お教え下さい。

 

 

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