「落伍 昭和の名人極めつき」第4巻は、「立川談志」壱でした。
マガジンに寄席文字書家の橘左近さんが立川談志をこう書いています。
「独特の理論と型破りな芸風で、昭和の後半から平成の時代を疾風迅雷のごとく駆け抜けたのが立川談志」
実は、これまでじっくり立川談志の落語を聞くことはありませんでした。
ここに収められているのは、「道灌」と「桑名船」
「道灌」では、談志のマクラの凄まじさに感服しました。
「インド」の歴史などの博学ぶりにも感服しました。
「桑名船」では、談志の演じる講釈の場面に驚嘆しました。
談志特有の「あく」は、実力に裏付けられたものだったことに感じ入りました。
放送作家の和田尚久さんは、談志の時代の落語界の様子をこう書いています。
「当時の落語は、明らかに衰微していたということである。真打はもちろん、二ツ目までもが大ホールで独演会を開き、寄席にも観客が集まる現在と違い、当時の落語界では、定員300人の国立演芸場で月例独演会を開く談志が、いちばん客を呼ぶ落語家であった。それにしても、当日の夕方に演芸場に行けば、気軽に入場できた。志ん朝や小さんは独演会をめったに開かず、寄席は開いていた。1980年代のことだ。」
談志は、「伝統」と「現代」を繋げようと力を尽くしてきました。このことは、「道灌」のマクラで言葉を解説しながら話を進める姿勢にも官官ることができます。
しかし、談志とその時代の落語家の努力があったから、現在の落語の復興があったのだと思います。
落語の浮き沈みはこれまでも何度もあったのかも知れませんが、1980年代から落語を復興させた、談志は、落語の中興の祖と言えると思います。
談志は、多くの落語論を書いた人でもあります。談志の文章と何よりも落語で、談志の奥深い世界をこれから少しづつ知っていきたいと思いました。
移動中の車の中で、今は、立川談志を聴く、今日この頃です。
立川談志ファンの皆さん、皆さんのお勧めの一席、一冊をお教え下さい。
2月26日、宇部市環境審議会(関根雅彦会長)は、久保田后子宇部市長に対して「『西沖の山発電所(仮称)新設計画 環境影響評価準備書』に関する意見について」答申しました。
宇部市環境審答申は、「本事業は、本市西沖の山地区に、総出力120万kW(60万kW✖2基)の石炭火力発電所を新設するものである。他の発電方式と比べて、地球温暖化をはじめとする環境への影響が大きいといわれている石炭火力発電所を設置することから、施設の稼働に伴い、二酸化炭素、大気汚染物質の排水による大気環境、水環境及び動植物への影響が懸念される。石炭火力発電所を巡っては、地球温暖化対策に逆行するとして、国内外はもとより本審議会や準備書に対する意見書等においても厳しい意見が相次いでいるが、事業者からは依然として納得のいく説明がなされていない。温室効果ガスを大量に排出する石炭火力発電所の新設について住民の理解を得るためには多くの課題がある。事業者にあっては、2016年にパリ協定が発効し、わが国でも2050年までに温室効果ガスを80パーセント削減する目標を掲げていることについて真剣に向き合うべきであり、それでも本事業において石炭を燃料として選択するのであれば、環境保全に係る諸課題に対して、その解決に向けた具体的な取組を明らかにするとともに、石炭のばいじんによる甚大な公害問題を宇部方式により克服し、国連環境計画からグローバル500賞を受賞した歴史を持つ宇部市に石炭火力発電所を建設する理由について真摯に説明する必要がある。」と前文で述べる厳しい内容となっています。
宇部市のホームページの中に、宇部市環境審答申の最後に触れられている、宇部市が「石炭のばいじんによる甚大な公害問題を宇部方式で克服した」歴史が「宇部方式の歩み」として次のように書かれてあります。
「1949年(昭和24年)に市議会で反ばいじんの動議が提案されると満場一致で可決され、市議会内に『宇部市降ばい対策委員会』が設置されました。『宇部市降ばい対策委員会』はさっそく、汚染の実態調査を開始しました。依頼を受けた野瀬善勝山口県立医科大序助教授は、各工場で消費する石炭の品質、数量、ボイラーの種類、集じん装置の有無などの発生源の実態調査とともに、市内10箇所の降下ばいじん量の測定を開始しました。これと同時に大気汚染と市民の健康への統計的な疫病調査も行われ、国内でも初めての組織的、系統的な大気汚染調査の始まりとなりました。その後、毎月の降下ばいじん量の調査結果や疫学的な調査データが地方紙に発表され、1951年(昭和26年)には降下ばいじん量がひと月1平方メートルあたり55.86トンを記録し、世界一灰のふる街と報じられるなど情報の公開とともに、ばいじん対策への市民意識が高まりました。また、成分調査結果からばいじんは、炭素分の少ない完全燃焼産物であり、その対策はそれまで国内で主流であった燃料方法の改善よりも、集じん装置の整備が必要なことが判明しました。そこで、『宇部市降ばい対策委員会』はこれらの科学的調査データを基に、1、対象工場では集じん装置の設置、2、街路の防じん用散水車の購入、3、防じんのために、道路に植樹する等市内の緑化を推進するなど、大作が市議会で決議されました。」
1951年「世界一灰のふる街」と報じられた宇部市が、「産・官・学・民」の橋梁による「宇部方式」でばいじん汚染の克服に取り組んできたのです。
その結果、1997年に宇部市は、UNEP(国連環境計画)から「環境保全に貢献のあった世界各国の21の団体の一つに選ばれ、グローバル500賞を受賞したのです。
宇部市が、「環境先進都市 うべ」として今後とも発展していくために、石炭火力発電所の建設を行うべきはありません。
山口宇部パワーは、石炭火力発電所の宇部市内への建設を断念すべきだと思います。
日本共産党宇部市議団と私は、山口宇部パワーの「環境影響評価準備書」に対して、村岡知事と宇部市長が「是認できない」旨の意見を表明することを求めました。
宇部市環境審議会の答申が出ました。宇部市に建設されようとしている石炭火力発電所について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
アニメやドラマにもなった雲田はるこさんのコミック「昭和元禄 落語心中」を読んでいます。
戦中・戦後を落語にかけた八雲と助六の姿が活写されているコミックです。
二巻「八雲と助六編」の中に、戦争中の落語界の様子が次のように書かれています。
「落語どころではない、という空気も満ちつつ、昭和16年には、不道徳・不謹慎であるとして落語界が自粛する形で、明鳥など花柳物と宮戸川など艶笑物、全53種の名作古典が禁演落語として葬られます。」
実際に、当時、「はなし塚」という石碑も作られたようです。
「表現の自由」は我々の不断の努力で守っていかなければならないことを、この出来事から感じます。
今日のしんぶん赤旗は菅官房長官が26日の記者会見で東京新聞・望月衣塑子記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と言い放ったことへの批判が広がっていると報じていました。
その理由は、27日の未明にはSNSのツイッターで使用頻度を示す「トレンドの1位と3位に「菅官房長官」「東京新聞の質問」がランクインしていることです。
菅氏は27日の会見で、前日の発言の意図を聞かれたなかで、記者会見は「(記者の質問での)意見とか要請に応える場ではない」、「政府の見解を申し上げ国民に理解して頂く場」と繰り返し、記者が政府の見解と異なる意見を述べたり、要請することを拒否しました。
武蔵野美術大学の志田陽子教授は、「民主主義には議会制民主主義という『フォーマルなルール』と、これを社会的土壌として支える『インフォーマルなルート』があります。後者は市民の表現活動による世論形成や、報道による情報共有、その前提としての取材により成り立ちます。これがないと、議会制民主主義は形骸化し、議決を正当化するための手続きにしかならなくなってしまいます。新聞記者の質問は、まさにここで市民に貢献することになるので、記者が『知る権利を持っている国民を代表している』という言い方をすることは正当です。この場面では憲法21条の『表現の自由』は最大限に尊重されなければなりません。記者がある事実に対する不正確さが含まれつつも、それを認識したいというのが本来の質問で、正しくはこうだと説明する責任が政府にあります。政府が『事実誤認』として、自らが認定する『事実』と違う質問をふふさいでしまうことは、表現の自由をふさいでしまうことになります。また望月記者のように質問の前提として、『こういう見方や疑念を持っている国民も少なくない』として質問するのは当たり前です。ここに意見が含まれていたとしても、記者会見は意見を言う場ではないとか、要請を受ける側ではないと拒否するのは、菅氏は『国民の知る権利』に答える立場であることを理解していないと言わざるを得ません。」とコメントしています。
「表現の自由」が最大限に尊重される社会を作っていきましょう。
歴史の逆行は許されません。
望月記者には、宇部講演会でお話しました。望月記者を応援したいと思います。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙の「シリーズ 安倍政治とたたかう」に青山学院大学の申教授が登場していました。
昨年12月、政府の来年度予算案に抗議して「防衛費の膨大な増加に抗議し、教育と社会保障への優先的な公費支出を求める声明」が研究者ら234人の賛同を得て発表されました。申教授は、この声明を発案した一人です。
申教授は「無年金や低年金、生活保護基準以下で暮らしている人が大勢おり貧困と格差が広がっている。安倍政権はこれを放置し、来年度も防衛費を史上最高に突出させています。何が米国製兵器の『爆買い』だと声明で呼びかけました。
インターネットで「声明」を検索してみました。
声明は以下の5点を指摘しています。
1.安倍政権は一般予算で史上最高規模の防衛予算を支出しているだけでなく、補填として補正予算も使い、しかも後年度予算(ローン)で米国から巨額の兵器を購入しており、これは日本国憲法の財政民主主義に反する。
2.米国の対日貿易赤字削減をも目的とした米国からの兵器「爆買い」で、国際的にも最悪の状態にある我が国の財政赤字はさらにひっ迫している。
3.他方で、生活保護費や年金の相次ぐ切り下げなど、福祉予算の大幅削減により、国民生活は圧迫され貧困が広がっている。
4.また、学生が多額の借金を負う奨学金問題や大学交付金削減に象徴されるように、我が国の教育予算は先進国の中でも最も貧弱なままである。
5.このように福祉を切り捨て教育予算を削減する一方で、巨額の予算を兵器購入に充てる政策は、憲法の社会権規定に反するだけでなく、国際人権社会権規約にも反する。
申教授は、国際人権規約の「社会権規約」を研究してきた人です。
申教授は、こう述べます。
「社会権規約は『社会保障についてのすべての者の権利』や『自己及びその家族のための十分な食料、衣類及び住居を内容とする十分な生活水準についての権利』を認めています。国はこの権利実現のために利用可能な資源を最大限に用いて措置をする義務を負います。権利の実現を後退させることは義務に逆行し、規約の趣旨に反することになるからです。安倍政権は、昨年10月、また生活保護費を引き下げました。これに先立つ5月、国連事件理事会の特別報告者4人が、引き下げは国際法上の義務に『違反する』と声明し日本政府に送付しました。ところが加藤勝信厚労相(当時)は『一方的な情報に基づく』と退け、国連人権高等弁務官事務所に抗議するという国際社会に恥ずべき対応をとっています。」
私は、大学で社会福祉を学び、病院勤務を経て議員となりました。
安倍政権のもとで、「権利の実現が後退させられている」ことを実感します。
その一方で、萩市に配備されようとしている「イージス・アショア」など、「後年度予算(ローン)で米国から巨額の兵器を購入する安倍政権の姿勢は、まさに憲法と国際人権法に違反する行為だと私も思います。
私は、この声明を支持し、日本の違法な状況が一日も早く是正されることを望みます。
そのためにも、私は、統一選挙の候補者として全力を尽くす決意です。
まんが「ブッダ」に学ぶ「穏やかな働き方」を読みました。
手塚治虫さんのまんが「ブッダ」は以前読んだことがありますが、この本を読んで深く理解することが出来ました。
私がこのガイド本で一番印象に残ったのは、「自分の行動や考えを疑う」です。
この本にはこう書かれています。
「ブッダの弟子になることを決めたダイバダッタ。これからブッダのそばで寝起きをともにしようとはりきる彼に対し、ブッダはそんなことをせず、今まで通り働くよう伝えます。そして、このように話したのです。『いつもつぎのことを考えなさい いま自分は何をしているのか 自分のしていることは自分にとって大事なことなのか 人にとって大事なことなのか そして大勢の人にとって大事なことなのか!』
ガイド本には「新しいことやまわりのことばかりに気をとられないこと。毎日の仕事、毎日の自分を常に見つめ直し、改善しつつけましょう。」とまとめられています。
漫画の原文はこうです。
「いま 自分は 何をしているのか 自分のしていることは自分にとって大事なことなのか 人にとって大事なことなの そして大勢の人にとって大事なことなのか!国じゅうの人にとって大事なことなのか 世界の人にとって大事なことなのか この自然にとってあらゆる生き物にとって大事なことなのかよく考えなさい そして もしそうでないと思ったらやめるがよい なぜならこの世のものはみんなひとつにつながっているからだよ」
私は、「国じゅうの人にとって大事なことなのか 世界の人にとって大事なことなのか この自然にとってあらゆる生き物にとって大事なことなのかよく考えなさい」という点が心に響きました。
24日投開票された名護市辺野古新基地建設の埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票は圧倒的多数が「反対」の意思を表明しました。
玉城デニー知事は、投票結果を速やかに日米両首脳に通知すると表明しました。
私は、辺野古新基地建設の埋め立ては「国じゅうの人にとって、世界の人にとって、この自然にとってあらゆる生き物にとって大事ではないのでやめるべきだ」と県民投票の結果を受けて改めて思います。
手塚治虫さんが生きておられたら、辺野古新基地建設ノーのメッセージを出しておられたと思います。
日米両政府は、住民投票の結果を重く受け止め、埋め立てを中止すべきです。
まんが「ブッダ」のこの言葉を価値判断を今後の活動に生かしたいと思います。
まんが「ブッダ」や手塚治虫さんへのお勧め作品をお教え下さい。
昨日行われた吉部ふれあいセンターでの「春を呼ぶくすのきの集い」終了後、仁比参院議員と私と有志の方々で、船木鉄道の旧大棚トンネルを見学に行きました。
船木鉄道線路跡地ツアー左から藤本、仁比、岡本
岡本正和さんに案内していただきました。
戦時中の1943年の暮れに、国から船木鉄道に対して、吉部万倉間のレールを撤去して供出する命令が下されました。
吉部村民はその事を知り「船木鉄道存置擁護期成同盟会」を結成しました。
村民は、一戸当たり3円の運動資金を確保し、上京し国会議員に陳情しました。
岡本さんが準備された資料に「船鉄五十年史」があります。
陳情団は、2度上京していることが分かりました。第二陣についてこう書かれていました。
「第二陣には由利庸夫の外に藤本一人、重枝弥三郎、田中康人、隣村の雄弁家藤村勝一が特別参加した一行五名に、会社から国吉省三取締役が同行した。」
この文にある藤本一人は私の祖父です。当時、吉部村役場に勤めていました。
最後は、助役をやっていましたが、当時の役職は分かりません。
祖父が死んで生まれた私は、祖父を知りません。しかし、私の「一規」の「一」は祖父の名前から取ったと父から聞いていました。
命令を拒否することは国賊と呼ばれた戦時中に、国の命令に対し、村民の声を政府に届けた村民の中に祖父の姿があったのです。
二度の陳情の結果についてこう書かれたあります。
「その結果、二か月の撤去延長、代行機関として山陽電気軌道の厚狭、船木間のバスを吉部まで延長し、これに対し自動車5台の割当て確約を得た。」
祖父が村役場で東京で、住民の皆さんと泣き笑いした姿が目に浮かびます。
益々、私の祖先と私の故郷に誇りを感じるツアーとなりました。
岡本正和さんに感謝いたします。
ツアー希望者は、私にご連絡下さい。