昨日行われた吉部ふれあいセンターでの「春を呼ぶくすのきの集い」終了後、仁比参院議員と私と有志の方々で、船木鉄道の旧大棚トンネルを見学に行きました。
船木鉄道線路跡地ツアー左から藤本、仁比、岡本
岡本正和さんに案内していただきました。
戦時中の1943年の暮れに、国から船木鉄道に対して、吉部万倉間のレールを撤去して供出する命令が下されました。
吉部村民はその事を知り「船木鉄道存置擁護期成同盟会」を結成しました。
村民は、一戸当たり3円の運動資金を確保し、上京し国会議員に陳情しました。
岡本さんが準備された資料に「船鉄五十年史」があります。
陳情団は、2度上京していることが分かりました。第二陣についてこう書かれていました。
「第二陣には由利庸夫の外に藤本一人、重枝弥三郎、田中康人、隣村の雄弁家藤村勝一が特別参加した一行五名に、会社から国吉省三取締役が同行した。」
この文にある藤本一人は私の祖父です。当時、吉部村役場に勤めていました。
最後は、助役をやっていましたが、当時の役職は分かりません。
祖父が死んで生まれた私は、祖父を知りません。しかし、私の「一規」の「一」は祖父の名前から取ったと父から聞いていました。
命令を拒否することは国賊と呼ばれた戦時中に、国の命令に対し、村民の声を政府に届けた村民の中に祖父の姿があったのです。
二度の陳情の結果についてこう書かれたあります。
「その結果、二か月の撤去延長、代行機関として山陽電気軌道の厚狭、船木間のバスを吉部まで延長し、これに対し自動車5台の割当て確約を得た。」
祖父が村役場で東京で、住民の皆さんと泣き笑いした姿が目に浮かびます。
益々、私の祖先と私の故郷に誇りを感じるツアーとなりました。
岡本正和さんに感謝いたします。
ツアー希望者は、私にご連絡下さい。
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