昨日、NHKラジオ「すっぴん」高橋源一郎さんの「ゲンちゃんの現代国語」のコーナーで星野道夫さんの本が取り上げられていました。
妻は、星野道夫さんのファンなので、妻の本棚から、「長い旅の途中」という本を借り読んでいます。
息子さんが生まれた頃の話しが出てきます。
息子さんはやっと歩きはじめ、転んだりぶつかったりの毎日です。
「ベットから転げ落ち、大きなたんこぶをつくって泣き叫ぶ子どもを前にして、ふと考えたことがある。かわいそうだと思い、できたら自分がかわってあげたいと思いながら、どうやってもこの子の痛みを自分は感じることができないのだ。ぶつかったのは自分ではないのだから、あたりまえのことでもある。しかし、親は我が子の痛みを自分の痛みとして感じるという話しがあるではないか。いや身体の痛みと心の痛みは違うということなのか。」
「それなのに、ぼくは泣き叫ぶ息子をみつめながら、『この子は一人で生きてゆくんだな』とぼんやり考えている。たとえ親であっても、子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。ただひとつできることは、いつまでも見守ってあげるということだけだ。その限界を知ったとき、なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。」
私には4人の子どもがいます。
この文章を読んで、自分は、こどもの痛みを解っている気になっていたんだと気づかされました。
「子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできない」
「ただひとつできることは、いつまでも見守ってあげること」
「その限界を知ったとき、なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。」
子どもの痛みを分かち合うことはできないが、解ろうとして、見守っていく覚悟こそ愛情なのだと教えられました。
「子ども」を「他人」に置き換えてもいいと思いました。
他人の痛みを分かち合うことは出来ないけれど、解ろうとして、見守っていく覚悟を持つことの大切さを感じました。
明日は、西宇部校区人権教育推進大会です。
西宇部校区人権教育推進委員協議会会長として主催者挨拶を最初に行います。
星野道夫さんの話しをしたいと思っています。
星野道夫ファンの皆さん、皆さんの心に響いた星野道夫さんの言葉をお教え下さい。
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