孫崎亨さんの「戦後史の正体」を読んでいます。
1945年9月2日、日本は、「米国のことにはなんでもしたがいます」という条件で降伏しました。その直後、米軍司令部が日本に「日本を米軍の軍事管理のもとにおき、公用語を英語にする」「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」「通貨を米軍の軍票とする」という布告を行うことを示してきました。
当時外務大臣だった重光葵は「ポツダム宣言は、あきらかに日本政府の存在を前提にしており、日本政府の代わりに米軍が軍政をしくようなことを想定していません。(略)もしポツダム宣言を誠実に実行しようとするなら、日本政府によって占領政策を行うことが賢明だと考えます。もしそうでなく、占領軍が軍政をしいて直接に行政を行おうとするなら、それはポツダム宣言に書かれてないことを行うことになり、混乱を引き起こす可能性があります」(重光葵著「昭和の動乱」)と米国を説得し、3布告を撤回させました。
重光の次に外務大臣のポストに吉田茂がつき対米追随路線は強まります。
この状況を重光葵は、次のように書いています。
「結局、日本民族は、自分の信念をもたず、強者に追随して自己保身をはかろうとする三等、四等民族に堕落してしまったのではないか」(『続 重光葵日記』)
「はたして日本民族は、自分の信念をもたず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身をはかろうとする性質をもち、自主独立の気概もなく、強い者にただ追随していくたけの浮草のような民族なのだろうか。いやそんなことは信じられない。いかに気もちが変化しても、先が見通せなくても、結局は日本民族三千年の歴史と伝統が物をいうはずだ。かならず日本人本来の自尊心が出てくると思う」(同前)
孫崎さんは、当時の重光の行動について次のように書いています。
「重光は、ここで、いつかかならず日本人本来の『自尊心』が出てくると思うと期待しています。では、日本はいま、そうした本来の自尊心をとりもどした時代に入ったのでしょうか。残念ながら、入っていません。逆に終戦直後には、まだ重光のような人物がわずかながら日本の社会に存在していました。今日、日本の政治家で重光のような矜持をもつ人はいるでしょうか。おそらくいないでしょう。事態は終戦直後よいも、はるかに悪くなっているのです。」
孫崎さんがこの本を出版したのが2012年。
その後、5年間の経過し、事態はさらに悪くなっているのではないでしょうか。
安倍首相のトランプファーストの外交方針が、国際的に日本の地位を下げているのではないでしょうか。
また、国民をも不幸にしているのではないでしょうか。
孫崎さんは、「『力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか』それが今後の日本人にとって、もっとも重要なテーマだという確信がある」とこの本の冒頭で書いています。
私は、孫崎さんの本を読んで戦後の日米関係と日本社会のあり方を根本的に問い直したいと思っています。
引き続き、孫崎亨さんの著作から学んでいきたいと思います。
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