25日、毎日新聞は、旧長生炭鉱での遺骨収集の状況について、次のように報じました。
「戦時中の1942年、大規模な水没事故で朝鮮半島出身の労働者計183人が亡くなった山口県宇部市の海底炭鉱『長生炭鉱』で、地元の市民団体が29日から、残されたままの遺骨の収容に向けた潜水調査を始める。9月下旬に陸上部を掘削して坑道への出入り口(坑口)を発見しており、調査では坑口などからダイバーが入って坑内の状況を確認する。事故から82年。市民団体は『遺骨を一片でも見つけたい』とする。長生炭鉱は宇部市の床波海岸にあり、32年ごろから民間企業が本格操業を始めた。太平洋戦争開戦から約2ヶ月後の42年2月3日、坑口から約1キロ沖合で落盤による水没事故が発生し、労働者計183人が亡くなった。当時、多くの朝鮮人労働者が働いており、うち136人は朝鮮人だった。犠牲者の遺体は収容されないまま坑口は閉じられた。企業は別の坑口を開けて操業を続けたが、終戦後ほどなくして閉山。沖には『ピーヤ』と呼ばれる排気・排水用の円筒が2本、今も海から突き出している。調査を実施するのは地元の市民らでつくる『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』。91年に結成し、韓国から毎年、遺族らを招いて追悼式を開いてきた。2013年には追悼碑を建立し、その後は遺骨の収集も目標に掲げる。戦時中に民間企業に徴用されて日本で亡くなった朝鮮人の遺骨を巡っては、04年の日韓首脳会談で廬武鉉大統領(当時)が調査や返還を日本側に要請した。長生炭鉱についても、刻む会や朝鮮人犠牲者の遺族らが調査を求めてきたが、厚生労働省は『埋没位置や深度などが明らかでないため現時点では調査は困難だ』とする。事故から82年がたって遺族が高齢化していることなどを踏まえ、会では民間の手で調査することを決め、7月からクラウドファンデングを開始。集めた資金を使って、9月24日から証言などを基に坑口があったと推定される場所を掘ったところ、地下約4メートルに坑口(縦1・6㍍、横2・2㍍)があった。付近から大量のコンクリート片や石炭を運びだすためのトロッコの線路とみられるてっぺんなども見詰まった。29日はピーヤから、30日は坑口からダイバーが入って坑道内の状況を確認する。これまでピーヤ内の調査は実施したことがあるが、坑口からは初めて。会の井上洋子共同代表は『やっとここまでやってきた。遺骨を見つけて遺族にお返ししたい』と意気込む。16年に成立した戦没者遺骨収集推進法は、遺骨収集を『国の責務』と定めるが、厚労省は長生炭鉱の犠牲者は『戦没者』ではないとする。一方、井上さんは『戦略物資である石炭増産のために犠牲となった人たちであり、(戦没者)といえる。市民の調査で遺骨の存在が明らかになれば、国が責任を持って動いてほしい』と語る。長生炭鉱に詳しい九州共立大の大和裕美子教授(比較社会文化)は調査の意義について、『朝鮮人労働者の遺族は国や行政による遺骨収集を望んでいるが、まずは市民団体が潜水調査を実施することで、遺族の心の痛みも和らぐことになるだろう』と話している。」
26日には、韓国のご遺族を招いて「坑口あけたぞ!82年の闇に光を入れる集会」が坑口ひろばで行われました。
韓国遺族による追悼の儀が行われました。
記事にあるように、今日午後3時より岸に近いピーヤで潜水調査が、明日午前6時半より坑口から潜水調査が行われる予定です。
私も刻む会の運営委員の一人として潜水調査のスタッフとして参加する予定です。
長生炭鉱の遺骨収集に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
No comments yet.
コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。
メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。