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朝ドラ「虎に翼」のモデルである三渕嘉子さんから学んでいます

 7日付、しんぶん赤旗日刊紙の「潮流」は、三淵嘉子さんについて次のように述べました。
 「桜咲く新歓の季節。東京・駿河台にある明治大学の博物館では、法学部の女性新入生たちが先輩の足跡をたどる展示を熱心に見つめていました▼法学をめざす女性に、いち早く門戸を開いた明大。1929年に女子部を設け、そこで学んだ卒業生から初の女性弁護士が誕生しました。三淵嘉子、中田正子、久米愛さんの3人です。日本が戦争への道を突き進んでいた暗い時代でした▼その中の三淵嘉子さんが、今月から始まった朝ドラ『虎に翼』のモデルです。女性は結婚して家庭に入るのが当たり前だった時代。法律を勉強する女性は白い目で見られていました▼裁判官になりたかった三淵さんは、司法試験の会場に掲示されていた当時の文言が忘れられませんでした。『日本帝国男子に限る』。同じ試験に合格しながら、なぜ女性が除外されるのか。その時に猛然とこみ上げてきた悔しさが男女差別に対する怒りの開眼であったと述懐しています(追想のひと三淵嘉子)▼戦後は初の女性判事、初の女性裁判所長に。家庭裁判所の創設における男女平等に尽くしました。『世のため、人のため、自己の最善を尽くしたい』との初心を貫いて▼今回の朝ドラは、法の下の平等をうたった日本国憲法が公布された場面からスタートしました。しかし、いまだ女性法曹の割合は2割ほどにとどまっています。道なき道を切り開いてきた先駆者から学び、どう生かすか。学生ならずとも、今を生きる者としてとらえたい。」
 私は、久しぶりに、NHKの連続テレビ小説に嵌り、これまで全ての回の「虎に翼」を観ました。
 伊藤さんのコミカルな演技とシリアスな時代背景を掘り下げた場面に満足しながら観ています。
 朝ドラと一緒に、清水聡著「三淵嘉子と家庭裁判所」を読んでいます。
 この本に、三淵嘉子さんの生い立ちが詳しく書かれています。
 三淵さんという名前は、三淵乾太郎氏と再婚したことによります。
 三淵さんが、生まれた時の名前は、武藤嘉子です。
 5人兄弟で、嘉子さんは、第一子の長女。
 1941年に和田芳夫氏と結婚し、和田嘉子になります。
 嘉子さんは、弟の一郎さんと、最初にパートナーの芳夫さんを戦争に起因する理由で亡くします。
 芳夫さんは、戦地の中国で結核を発病させ、帰国できずに上海の病院に入院します。
 芳夫さんは、長崎の陸軍病院に入院しますが、病状が悪化し、嘉子さんに会えないまま、1946年5月(終戦の翌年)に亡くなりました。
 戦後、日本国憲法の公布を受け、1947年3月、嘉子さんは、一人で司法省に出向いて、「裁判官採用願」を提出しました。
 嘉子さんの直訴があったからこそ、戦後に、女性が裁判官になれるようになりました。
 冒頭の「潮流」にあるように、嘉子さんは、晩年は、家庭裁判所所長に就任します。
 家庭裁判所草創期をけん引した一人が嘉子さんでした。
 家庭裁判所の5性格も勉強になります。
 ①従来の地方裁判所から独立した裁判所となる「独立的性格」
 ②真に親しみのある国民の裁判所となる「民主的性格」
 ③家事審判、少年審判とも科学的処理を推進する「科学的性格」
 ④真摯な教育者としての自覚を持たなければならない「教育的性格」
 ⑤各種機関との密接な連携を保つ「社会的性格」

 朝ドラ「虎に翼」のモデルである三渕嘉子さんからしっかり学ぶ半年にしたいと思います。

 皆さん「虎に翼」の感想をお聞かせください。

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