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映画「オッペンハイマー」を観ました。

 先日、映画「オッペンハイマー」を観ました。
 4月14日号のしんぶん赤旗日曜版に山崎正勝東京工業大学名誉教授がこの映画について寄稿されていましたので引用します。
 「映画には現本があります。私の尊敬する歴史家のマーティン・シャーウィン(2021年没)とカイ・バードの共著『オッペンハイマー(05年刊)です。シャーウィンは、原爆開発の経過を描いた『破壊への道程』を出した後、25年かけて、この本を書きました。『当初4~5年で完成すると思ったが、彼の個人史は複雑で、当時の米国史と深く結びついているので時間がかかった』といいます。映画は1954年の原子力委員会の聴聞会から始まり、過去を回想する構成です。背景を知らないと、なかなかむつかしいでしょうね。オッペンハイマーは聴聞会で、機密情報を得られる『保安許可』を奪われ、公職追放されます。その理由として映画は、彼が水爆開発に反対したことと、ストローズ原子力委員会議長の個人的な恨みを描いています。ただ水爆開発に反対しても排除されなかった科学者は多数います。オッペンハイマーは『原爆のことを完全に理解しているのは自分だ』と思い、あくまでもインサイダー(内にいる者)として振る舞おうとしました。『原爆投下で破壊力を示した後に国連で国際管理し、核軍拡戦争に至らせず廃絶する』ことを構想しました。自分の名声を使えば実現できると信じていたのです。最初はトリニティ実験(史上初の核実験)直後のポツダム会談でトルーマン大統領がスターリンと会談した機会に、その構想を実現しようとしたが、できなかった。そこでは次の水爆開発の段階で実現しようとした。世界は米ソ冷戦、核軍拡競争の時代に急速に移行しました。しかし自信家のオッペンハイマーは学者の役割を超えて政治を動かそうとした。それで最後はアイゼンハワー大統領の決裁で排除されたのです。保安許可剥奪の理由にもされたアメリカ共産党員との交流は、オッペンハイマーがロスアラモス研究所長に任命されたときに分かっていたことです。そういう問題があっても原爆開発に不可欠だとして任命されたのです。映画は広島、長崎の惨状を描いていないと指摘されますが、原本自体それを論じたものではありません。彼は原爆投下の標的選定会議にも参加しました。原爆投下がどんな被害をもたらすかを巡る想像力が不足していたのでしょう。映画公開を機に、今も危機的な状況にある核兵器問題への関心を深めていただければと思います。」
 映画のパンフレットに、映画の日本語字幕監修を行った物理学者の橋本幸士さんは、こう語っています。
 「僕が今過ごしている、京都大学の素粒子論研究室は、湯川秀樹が拓いた研究室である。湯川秀樹は、原子核の内部で働く力『核力』の起源を解明した、素粒子論の父とも呼ばれている物理学者である。もちろん、日本で初めてノーベル賞を受賞した人物としても名高い。その核力のエネルギーを爆発的に開放するのが、原爆である。湯川秀樹は終始、反戦運動を続けていたこともよく知られている。学生時代の僕も、それをよく知っていた。研究室に通っていた湯川が使った碁盤などに触れ、宇宙の真理に到達するとはどういう感触なのかを夢想した、そして同時に、自身が開拓した物理学が、様々な形で世界で利用され、そして世界を変えたことを、湯川がどう感じたのか、想像しようとした。それから、25年ほどが経っている。ずっと、心の隅に、もしくは芯に、それはあった。僕が本作の字幕監修に関わることを決めたのは、そういった長年の自分の気持ちに対して、何かヒントが得られるかもしれない、そう思ったからだった。」
 映画のパンフレットに映画監督李相日さんは、こう語っています。
 「原爆投下後、オッペンハイマーがフィルム映像を見るシーン。そこで広島、長崎での実際の被害の様子が映し出されることはなく、映画はあくまで彼の苦悩にフォーカスしていく。オッペンハイマーは映像から目を背け、頑なに見ようとしない。見ようとしないオッペンハイマーの姿は、ある意味、見ようとしなかったアメリカの姿であり、『その後』を見ようとしない世界を暗示しているようでもあった。日本映画はこの作品にカウンターパンチを打ち、同じように理性をもって戦争を描く必要があるのではないだろうか。その試練がつきつけられたと言えるかもしれない。」
 原発問題住民運動全国連絡センターが発行する「原発住民運動情報」第420号は、この映画が、「1400億円を超える興行収入で世界的ヒットを記録。3月11日に開催の第96回アカデミー賞では最多の13部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞など計7部門で受賞した」と報じ、「広島や長崎の被爆者らは『核廃絶への追い風だ』『日本の若者も鑑賞を』と歓迎する。」と書きました。
 オッペンハイマーの戦後の苦悩として「核軍拡競争」を止めることにあったことは事実のようです。
 私は、この映画から、いかに世界が核軍拡競争から核廃絶に足を踏み出すことができるのか政治家の一人として考えさせられました。しかし、世界は、核兵器禁止条約を持つに至っています。この条約をさらに実効性のあるものにして、ノーモアナガサキ・ヒロシマの願いが実現できる日本と世界にしていくことが大切だと感じます。唯一の戦争被爆国の日本政府が、核兵器禁止条約を批准することが急務だと感じました。
 とにもかくにも、この映画は、「核兵器」とは何か、「核兵器」の恐ろしさを再認識する作品であることは確かです。一人でも多くの皆さんがこの映画を鑑賞していただくことを願っています。

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