今日は、再び、笠原十九司著「憲法9条と幣原喜重郎 日本国憲法の原点の解明」を紹介したいと思います。
今日、紹介するのは、幣原が1949年に衆議院議長に就任したとき、衆議院議員として幣原衆議院議長の秘書役を務めた平野三郎が、1951年2月下旬に幣原邸を訪れた際の内容をまとめた「平野文書」についてです。
先日、紹介した伊藤真著「やっぱり9条が戦争を止めていた」で、伊藤さんは、国連憲章にもない9条2項が、「9条の最大の特徴」と指摘しています。
1945年6月に国連憲章が制定されました。その1年5カ月後の1946年11月に日本国憲法が制定されました。
昨年の第66回日本母親大会IN沖縄での記念講演で仲山忠克弁護士は、「国連憲章制定から日本国憲法制定まで1年5カ月間あるのですが、その間に人類は史上初の原爆被害を体験することになりました。このヒロシマ、ナガサキの原爆被害こそが、日本国憲法を戦争消滅化へ昇華せしめた根本的な原因であります。原爆を経験しない国連憲章と決定的違いがここにあるのです。」と指摘し、幣原喜重郎の「平野文書」から次の言葉を引用しています。
「たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出てきた以上、世界の事情は根本的に変わってしまったと僕は思う」「世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」「非武装宣言ということは、従来の理念からすればまったく狂気の沙汰である」「要するに世界は一人の狂人を必要としている。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍備競争の蟻地獄から抜け出すことは出来ない。これはすばらしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」
笠原さんは、幣原の言葉を綴った「平野文書」を引用した上で、幣原が9条を草案した想いを「世界核戦争を防止し、人類を滅亡から救うための唯一の道が、核兵器の全面禁止であり、その先駆となるのが、憲法9条による日本の軍備全廃であるというメッセージである。」と書いています。
笠原さんは、ケン・ジョセフ・ジュニア、荒井潤著「KENが『日本は特別な国』っていうんだけど・・・ 憲法シミュレーションノベル」(トランスワールドジャパン 2017年)から次の部分を紹介しています。
「幣原が憲法9条に託した平和思想は、(中略)『平野文書をユネスコ世界記憶遺産』に登録して『シデハラさんを世界に知らせよう』という運動に継承されている。
更に、笠原さんは、「核兵器禁止条約」の制定は「憲法9条にこめられた核兵器廃絶の平和思想」が「現実味を帯びてきていることを証明している」と書いています。
私は、笠原さんの本で引用された「平野文書」を読み、「平野文書をユネスコ世界記憶遺産」に登録をという意見に賛同します。
「平野文書」の中での幣原の言葉に、私は、赤ペンでびっしり線を引いていました。
首相まで務めた保守政治家の幣原喜重郎ですが、「平野文書」にある日本が非武装宣言を行い世界の軍拡競争の蟻地獄から抜け出す歴史的使命を果たそうという幣原の平和思想には大いに共感し、大いに勇気をもらいました。
笠原十九司著「憲法9条と幣原喜十郎 日本国憲法の原点の解明」は、私の座右の書の一つとなりました。
この本を「敵基地攻撃能力」をこの国に位置付けようとする岸田首相に読んでいただきたいと思いました。
9条2項は、核兵器廃絶の願いの結晶だということが分かりました。
引き続き、憲法9条をしっかり学んでいきたいと思います。
皆さんの9条に対する想いをお教え下さい。
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