映画「レ・ミゼラブル」と言えば、2012年に公開されたミュージカル映画を想起します。
私は、2012年公開のミュージカル映画「レ・ミゼラブル」に心躍らされた一人です。
私は、昨日、山口市のワイカムシネマで2019に製作された映画「レ・ミゼラブル」を観て度肝を抜かれました。
ワイカムシネマのチラシから作品紹介を引用します。
「舞台は、ヴィクトル・ユーゴの傑作『レ・ミゼラブル』で知られているフランスのモンフェルメイユ。ある少年の引き起こした些細な事件をきっかけに、取り返しのつかない事態へと陥っていく様をリアルに描く。」
清藤秀人さんはこのような感想を寄せています。
「フランスで社会問題になっている都市近郊のスラム化が、ヨーロッパ全土に、ひいては全世界に広がっていく。発展から取り残された低所得者用住宅、通称バンリューには、アフリカ移民の2世、3世はもちろん、麻薬ディーラー、イスラム教徒、ロマのサーカス団たちが、一触即発の状態でひしめき合っている。街をパトロールする警官たちはすでに正義のなんたるかを忘れ去り、差別や恐怖を通り越した荒廃が彼らの心を蝕んでいる。ある日。そこで発生した警官による無防備な移民少年への発砲事件が、遂に、積もり積もったフラストレーションに火を付ける時、そこにあるカオスは今の世界共通の問題であることに気づかされる。皮肉にも、文豪ヴィクトル・ユーゴによる代表作の舞台になった同じ街で展開する物語は、実際にそこに住む監督、ラジ・リの実体験に基づいているとか。『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』と言うタイトルが、これほどまでにリアルに響くとは驚きだが、監督の目には彼らの個々人でももちろんなく、人々をそうしてしまった犯人、つまり、政府と社会に向けられている。」
「フランスで社会問題になっている都市近郊のスラム化が、ヨーロッパ全土に、ひいては全世界に広がっていく。」
この言葉から想起したのが、ブレイディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」です。
イギリスの郊外の街の集合団地が舞台で、様々な民族の人々が暮らしている様子がリアルに表現された名著です。
映画「レ・ミゼラブル」は、フレデリィさんの本の内容を超えるリアルで深刻なフランスの様子が描かれていました。
映画の最後に、題材となったヴィクトル・ユーゴの小説「レ・ミゼラブル」より「世界の名には悪い草も悪い人間もいない。ただ育てるものが悪いだけなんだ」の一節が引用されています。
日本共産党の志位委員長は、党創立記念講演で、「格差拡大は、パンデミックのもとで急速に加速しています。富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなっています。」「パンデミックは、資本主義というシステムをこのまま続けていいのかという重大な問いを、人類に突き付けているのです。」と語りました。
映画の後半は、少年たちの反乱です。少年たちは、警察官たちにも自治組織の大人たちにも、麻薬ディーラーの大人たちにも、平等に、暴力の牙を向けています。
少年らの起こした手段は間違っていることは大前提とした上で、少年たちから伝わってきたメッセージは「大人たちは僕たちを理解していない。良くしようとしていない。」でした。
少年たちは悪い草ではない。育てる私たちの側が悪いのだ。
私は、子を持つ親の一人として、一人の大人として、一人の政治家として、この映画を観てそのことを実感しました。
この映画が描く、子どもたちを取り巻く状況の深刻さは、資本主義が抱えた問題の深刻さに通じると感じました。
「富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなっている」社会を変える連帯こそが解決のカギだと痛感しました。
映画「レ・ミゼラブル」一人でも多くの方に観ていただきたい作品です。
皆さんが最近観られた映画の感想をお聞かせ下さい。
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