議員日誌

映画「永い言い訳」

 西川美和監督の映画「永い言い訳」を観ました。

 この映画は、監督である西川美和さん自らが書いた同名の小説が原作です。

 小説は、第28回山本周五郎賞候補、第153回直木賞候補、2016年本屋大賞4位を獲得しました。

 映画も大ヒットした作品です。

 主役の本木雅弘さんを始め、それぞれの役者さんの演技が自然で、際立っています。

 特に、大宮灯役の白鳥玉季さんの演技は、秀逸でした。

 白鳥さんは、この映画を契機に、日本を代表する子役の一人として、今や彼女を観ない日はないという状況です。

 原作である小説の文庫本の裏表紙からストーリーを引用します。

 「人気作家の津村啓こと衣笠幸夫は、妻が旅先で不慮の事故に会い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。悲劇の主人公を装うことしかできない幸夫は、妻の親友の夫・陽一に、子どもたちの世話を申し出た。妻を亡くした男と、母を亡くした子どもたち。その不思議な出会いから、『新しい家族』の物語が動きはじめる。」

 映画の前半、妻が旅先で不慮の事故に会うシーン。

 彼女らを乗せたバスは、極寒の川に転落しました。

 20歳の時、「犀川スキーバス転落事故」に遭遇した私は、この設定に釘付けになりました。

 文庫本の解説の柴田元幸さんは、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の書き出し「幸せな家族はどれも同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」を引用して、この作品を次のように評しています。

 「『不幸』というのは、『幸福』という『正しさ』からの逸脱、『正しさ』の劣化を示唆する。あるべき正常な事態は幸福であって、不幸は解決・除去すべき異常な事態だという前提があるように感じられる。西川美和はそのような前提に立たない。彼女はただ、こういう家族がいます、こういう家族がいます、と、不幸とも幸福ともレッテルを貼らずに一つひとつの家族の刻々変わる姿を提示する。自分を正しさの側に置いて、したり顔で正しくない者を裁くのではない。だから厳しくても、独善はない。悪意なしの厳しさが、感傷抜きの優しさと交叉する地点において西川作品は作られる。」

 「悪意なしの厳しさ」「感傷抜きの優しさ」が、役者一人一人の演技となり、私たちに感動を届けてくれているのでしょう。

 柴田さんは、「永い言い訳」について次のように解説しています。

 「人は他人を、そして誰よりも自分自身を納得させようとして、自分について言い訳を並べつづける。それが『長い』ではなく『永い』のは、その営みが永久に終わらないことを暗示している。それでいいのだ、より誠実な言い訳を目指しつづけるなら、と作品は言ってくれていると-あくまでも僕の個人的な印象ですが-思う。」

 私自身、大学で、スキーバス事故に遭遇するとは、思いもしませんでした。

 新型コロナウイルスの影響で、高校1年生の長女は学校に行けず自宅に居ます。

 このような4月下旬を、去年の今頃は想像すらできませんでした。わが家族も刻々と変わっています。

 日々変化する営みが続くことそのものが人生なのでしょう。

 その中で「より誠実な言い訳を目指しつづける」ことが人生なのだと西川さんの映画を観て気づかされました。

 西川監督、素晴らしい映画をありがとうございました。今、同名の小説を読み始めています。

 西川美和さんには、これからも映画・小説などで私たちを楽しませていただきたいと思います。

 西川美和ファンの皆さん、お勧めの小説や映画をお教え下さい。

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