議員日誌

「この国の不寛容の果てに」読書ノート①

 雨宮処凛編著「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」を読んでいます。

 今日は、雨宮処凛さんが書いた序章「私自身の『内なる植松』との対話」について書きたいと思います。

 孫引きで恐縮ですが、この本の序章で雨宮さんは、「BuzzFeed Japan」に掲載された立命館大学の立岩真也教授の言葉を引用しています。

 「立岩教授は、相模原事件などについて、少子高齢化が叫ばれる時代、『命を選別しなければ国民の生活が立ちいかなくなるとする不安』が背景にあると指摘している。そうして相模原事件について、以下のように述べるのだ。『犯人の言っていることは突拍子もないと思われているかと言えば、今はおかしいと思われていないところがこの事件を忘れてはいけない理由です」「この男は社会や国家の未来を心配し、こういう形で障害者を活かすことを続ければ社会がもっと大変なことになる、だから社会を危機から救うのだというある種の正義感にかられてやったと言っています」「誰もそんなことはしないけれど、手前のところで(植松被告と同様のことを)思っている。植松被告はこれを真に受けて人を殺しましたが、素っ頓狂な信仰に過ぎないと言えない状況になっていることが、問題なのだと思います」「少子高齢化という言葉を小学生でも知っている今、より生産に励み、生産しないものは産まれてないようにしておかないと、この世の中はやっていけないらしいいというある種の常識が根っこにあって起きた事件だと思います」立岩氏は、こんな『常識』がLGBTには『生産性がない』と書いた杉田水脈議員や、『自業自得の人工透析患者を殺せ』と主張した長谷川豊氏など、政治を志す者にも共有されていることを指摘する。「彼女らは物心ついた時には既に少子高齢化という言葉が世の中にあり、バブル崩壊後に社会の中で失業者がたくさんいるという中で育った。世の中は放っておいたらもっと大変になるという空気の中に生き、それを前提にして政治家になろうとした人たちです』」

 雨宮さんは、立岩教授の言葉を引用した後で、このように書いています。

 「そんなふうに見ていくと、植松被告の奇妙な『普通さ』が浮かび上がる。あれほど異常な事件を起こしたというのに、どこかものすごく『普通』で『真面目』なのだ。」

 雨宮さんの「私自身の『内なる植松』との対話」という視点は、目から鱗が落ちる思いでした。

 この本の表題の「この国の不寛容の果てに」を乗り越えるにはどうしたらいいのか。

 雨宮さんは、6人の方々と対話をしています。

 対話の中身を読み進めていきたいと思います。

 もう20年位前だと思います。雨宮処凛さんを宇部市にお呼びして講演会を開いたことがあります。

 その時、私は、県議になりたてだった頃でした。雨宮さんも作家活動を始められたばかりの頃だったと思います。

 雨宮さんは、この20年間、社会の不条理に目を向け続け、発信してこられました。

 雨宮さんの論戦の到達を見るにつけ、これからも雨宮さんの文章からしっかり学んでいこうと改めて思いました。

 大学で、障害者福祉を学んだ私は、「やまゆり園事件」は衝撃でした。

 事件以降、「相模原事件」を考える本は、どうしても手に取ってしまいます。

 藤井克徳編著「わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想」は、私に最も影響を与えた本の数冊に入りました。

 「この国の不寛容の果てに」も大いに学ぶべき中身の詰まった本です。

 これからも「相模原事件」と私たちの時代をしっかり考え、この時代を乗り越えるためにはどうしたらいいのか、しっかり考えていきたいと思います。

 「相模原事件」を考えるため、皆さんのお勧めの本がありましたらお教え下さい。

 

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