議員日誌

「仏教と歴史に関する19の断想」読書ノート①

 弁護士の中島晃さんの著書「仏教と歴史に関する19の断想」を読んでいます。

 私は、浄土真宗本願寺のお寺の門徒総代長になって5年目。様々な市民運動に関わって30年になります。

 全国公害弁護団連絡会議代表などを務める中島さんと仏教、とりわけ法然の思想との関わりを知ることは、私にとってとても興味深いものでした。

 中島さんは、「大乗仏教は、一口でいうと、出家と在家とを問わず、誰もが仏になることができるというものである。もっとも、そうすると、どうすれば仏になることができるかという方法が問題となる。」と前置きをして、法然の思想について次のように書いています。

 「法然は『口称念仏』すなわち仏の名前(阿弥陀仏)を称えることでたりるとし、他の方法は不要であるという、非常にシンプルであり、またきわめて大胆な考え方を提唱するに至った。」

 その上で、中島さんは、法然の思想を次のように整理しています。

 「法然がこうした考え方に到達したのは、貧困や社会的格差の存在を直視したうえで、阿弥陀仏の『平等の慈悲』をすべての人々にゆきわらせるためには、『口称念仏』以外には方法はないという結論を下したということによるものと思われる。」

 「12世紀末の日本で、貧困や格差に苦しむ人々の存在に目を向けて、その救済のために宗教者として何をなしうるかを考え抜いた末にたどりついた、さきほど述べた法然の宗教思想は、あの時代にまことに革命的なものであったということができる。それは、それまでの仏教にあったさまざまな宗教的な虚飾をすべて取り除こうとするものであり、当時の多くの民衆に受け入れられ、急速に受け入れられ、急速に広まっていった。」

 更に、中島さんは、法然の思想とマルクスの思想を交錯させて次のように語っています。

 「貧困と格差に苦しむ人々の存在を直視し、そうした人々に救済の手を差しのべようと、『平等の慈悲』を説いた法然の思想は、やがてはるか後年、一九世紀になってカール・マルクスが著した『資本論』の中で、経済理論として結実したのではないだろうか。」

 そして、中島さんは、法然の思想の今日的意義を次のように書いています。

 「私たちが生きる現代社会もなお、貧困と格差が深刻な形で存在している。その一方で、こうした貧困と格差を『自己責任』の問題として片づけようという風潮が強まっている。貧困や格差に苦しんでいるのは、その人個人の責任であって、それを救済する必要などないという考え方である。こうした自己責任論が横行する中で、いまあらためて法然の説いた『平等の慈悲』-それは人類の悲願でもある-を現在によみがえらせることが求められているのではないだろうか。」

 私は、法然の教えを引き継いだ親鸞がひらいた真宗の門徒の一人です。

 法然の思想を知ることにとても興味があります。

 法然が解いた「平等の慈悲」が今日的に強く求められているという中島さんの主張に強く共感します。

 「観無量寿経」の中に「摂取不捨」という言葉があります。

 この言葉を大切にするのが、法然、そして親鸞の思想だと思います。

 この連休、中島晃さんの「仏教と歴史に関する19の断想」から少しづつ学んでいきたいと思います。

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