久保つぎこ著「あの日のオルガン 疎開保育園物語」を読んでいます。
アジア・太平洋戦争の末期、東京大空襲の戦火を逃れ、埼玉県に「疎開保育園」を立ち上げ、運営した取り組みがありました。
この本は、当時の保育士の方々などの証言を丁寧に追ったドキュメンタリー小説です。
この本を原作に、平松恵美子監督で映画「あの日のオルガン」が完成し、来年から上映が始まります。
疎開保育園を開いたのは、埼玉県南埼玉郡平野村高虫という所です。普段使われていないお寺を保育園にしました。
小説の中には、駅から6キロを往復して荷物を運び込む保育士の姿が鮮明に描かれています。
荒れ寺は、竈もトイレも壊れており、保育士がご近所の協力を得て、竈とトイレを作ります。
その中で、53人の子どもたちの保育を行うのです。壮絶ですが、保育士の生き生きとした姿には、こちらが、清らかな気持ちになります。
冒頭、家族全員が亡くなり、天涯孤独になった4歳の藤ノ木健之君へ福知保育士が声をかけるシーンがあります。
「先生のおてつだいを
いつも
一生懸命になってしてくれる
小ちゃい けんちゃん
日本の国が戦争に勝つために
けんちゃんは
まだ四つにもならない時
家のみんなとお別れして
ここに来た。
妙楽寺の 疎開保育園に。
けれど、
家族のことばかり心配していた
あなたのお父さんは
お船といっしょに
暗い海の中に沈んでしまった。
輸送船が爆撃されて。
四日前に知らせがきて
三月十日
東京に空襲があったという。
その日
あなたのお母さんが
死んでしまった
あなたが可愛がっていた
妹のたかえちゃんが
焼け死んだ
あなたが生まれた時
兵隊が生まれたと
あんなにも喜んだおじいちゃんが
焼けむされて死んだ。
あなたのお家だった
同潤会アパートに
アメリカの飛行機が爆弾を落として
みんな
死んでしまったのだ 一度に。
大勢の人が死んで
たくさんの場所が焼けた
あなたが
職場へ急ぐお母さんと手をつなぎ
いっしょに歌いながら通った
私たちのなつかしい保育園も
みんな焼けてしまって
今は
ない
小さい藤ノ木健之よ
あなただけが
ひとり 残ったのだ・・・」
疎開保育園を開設した母体の一つの保育園には東京帝大セツルメントが関わっていました。
私は、大学時代、セツルメント活動を行っていました。大先輩の頑張りに感銘を受けました。
戦争の最中、幼い子ども達の命を少しでも救おうと奮闘した、私の祖母世代の皆さんの努力から学びたいと思います。
子どもは平和の中で生きる権利があるという、子どもの権利条約の精神が日本で世界で発揮されることを願ってやみません。
映画「あの日のオルガン」。今から楽しみです。
久保つぎこさんの「あの日のオルガン」をお読みになった皆さん感想をお聞かせ下さい。
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