昨日、厚南中学校の新体育館竣工記念式典並びに開校70周年記念講演会が行われました。
私は、開校70周年記念事業実行委員会会長として式典の冒頭に挨拶を行いました。
私の挨拶の要旨は以下の通りです。
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公務ご多用の中、本式典にご臨席いただきました久保田后子宇部市長さまを始め、多くのご来賓や関係者の方々を迎えて本式典が挙行できますことに対し、開校70周年記念事業実行委員会を代表して心から感謝いたします。
また、立派な体育館を完成させていただいた、宇部工業様を始め、関係企業の皆さま方に感謝申し上げます。
さて、厚南中学校は、1947年5月1日に開校しました。
厚南郷土史研究会が発行された「厚南の年表」から開校当時を振り返ってきたいと思います。
厚南中学校が開校する2年前の1945年には「空襲と台風で不通となっていた宇部東西線が開通した」とあります。
厚南中学校が開校する1年前の1946年には「長伸炭鉱が塩屋台へ開坑した」とあります。
厚南中学校が開校した1947年の年表には「西宇部の宇部競馬場が落成した」とあります。
厚南中学校が開校した翌年の1948年の年表には「西ケ丘団地造成工事が始まり里の尾の墓地が移設された。」とあります。
宇部線が開通し西ケ丘団地の造成が始まったのが70年前であり、今はなくなった炭鉱や競馬場が栄えていたのが70年前でした。
厚南中学校校歌の三番に「父母(ちちはは)の伝統ついで 知恵みがき 徳をやしない ぼだいじの岩のようにも このからだきたえるところ」とあります。
70周年を迎えて今、私たちは、厚南中学校の70年のバトンをつないでいただいた「父母の伝統」に感謝したいと思います。
そして、在校生の皆さん方が「知恵みがき 徳をやしない」開校80年に向けてのバトンを未来に引き継いでいただきたいと思います。
今日、校舎の耐震化が完了し、新体育館も完成し、充実した教育条件の中で子どもたちが学べることを保護者の一人として関係各位の皆さま方に感謝を申し上げたいと思います。
式典に参列していただいた来賓の皆さま方に、在校生に対し、今後とも変わらず、慈しみの気持ちを持って接していただくことを切にお願いいたしまして、開校70周年事業実行委員会を代表しての挨拶といたします。
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記念講演会は、バルセロナパラリンピックの車イステニス日本代表の岩﨑満男さんを講師に行われました。
講演する岩﨑満男さん、後ろがテニス用の車イス
岩﨑さんは講演の中で、パラリンピックの父であるルート・ヴィヒ グッドマン博士の「失われたものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ」という言葉を紹介しました。
とても素晴らしい言葉だと思います。
日本のパラリンピックの父は、中村裕医師です。
中村裕さんの物語がこの夏、NHKのドラマとして放映されることが紹介されました。
ドラマが今から楽しみです。
岩﨑さんは、最後に、「障害とは個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているものなので、社会的障壁を取り除くのは、社会の責務」だと話しました。
私は、大学で社会福祉学部で学び、ゼミは、障害者福祉でした。
政治に携わるようになってからも、ライフワークとして障害者問題に関心を持ち、議会での発言を続けてきました。
美祢や長門地域への特別支援学校の設置についても度々議会で質問してきました。
障害者の皆さんを取り巻く社会的障壁が取り除かれるように、これからも活動を続けていきたいと心を新たにしました。
日本のパラリンピックの父である中村裕医師について知っていきたいと思いました。
岩﨑満男先生、すばらしい講演をありがとうございました。
子どもたちもしっかり聞いていました。
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