今年は明治元年(1868年)から150年に当たります。
安倍首相は官邸主導で「明治150年」関連施策を推進しています。
14日毎日新聞「記者の目」での東京学芸部栗原記者の「『明治150年』を考える」は読みごたえがある記事でした。
栗原記者は頭で、「他の時代と同じく、明治には国民にとっていいこともあったし、良くないこともあった。しかも、後者はいまだに当事者たちを苦しめている。その反省と問題解決を後回しにしたまま、「150年」を祝うことに、私は反対する。」と明確に指摘しています。
問題解決を後回しにした例として栗原記者は、沖縄戦の被害者を挙げて次のように書いています。
「補償されない人たちが2012年、国に賠償を求めて那覇地裁に提訴した。しかし、16年に敗訴。福岡高裁那覇支部の控訴審でも昨年敗訴した。高い壁になったのが『国家無答責の法理』だ。国や公共団体の賠償責任を定めた法律(国家賠償法。47年施行)がなかったことから、国が戦争行為による被害の損害賠償責任を負わない、とする論理だ。明治憲法の論理が21世紀になってなお、何も罪もない戦争被害者を苦しめていることを、国のリーダーたちはどれほど知っているのか。」
安倍首相は1月22日の施政方針演説で山川健次郎の例を挙げました。戊辰戦争で会津反の白虎隊士として政府軍と戦った山川がその後、東京帝国大の総長になります。安倍首相は「明治市エフは、国の未来のため、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と述べました。
栗原記者は、このエピソードの暗部を次のように指摘します。
「安倍首相が紹介した元白虎隊士・山川のエピソードだけ聞くと、明治政府の柔軟かつ寛容な姿勢のみが前面に出てくる。しかしそこでは触れられなかったが、敗戦後の会津藩士とその家族約1万7000人余は、青森県下北半島に移転させられた。23万石、実情は40万石と言われた石高は3万石にまで削られた。事実上の流刑で寛容とは言い難い。これも明治の一面であり、忘れていい歴史ではない。」
11日のしんぶん赤旗日刊紙の主張で「明治150年」が取り上げられています。これを引用します。
安倍首相は、施政方針演説で「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼びべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となりました。」と力説しました。
日本歴史学協会は、今年の「建国記念の日」に関し次のような声明を出しました。
「薩摩・長州出身者に代表される『維新』の当事者たちを実際以上に高く評価して『明治の精神』なるものを標榜し、日本の近代を特定の立場から一方的に明るい歴史として考えていこうとする政府の方針には強い違和感がある」
しんぶん赤旗「主張」は次のように書いています。
「『明治150年」の前半が侵略戦争と植民地支配という負の歴史をもっていたことはまぎれもない事実です。そうした歴史に目をふさぎ、戦前と戦後の違いを無視して『明治精神』『日本の強み』を一面的に強調するのは、時代錯誤の歴史観というほかありません。」
明治150年の暗部の歴史も振り返り、未来の糧にしなければなりません。
明治150年を振り返るなら、平和と民主主義を創造していくことこそが教訓とすべきことではないでしょう。
「明治150年」。皆さんはどうお考えですか。
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