議員日誌

カズオ・イシグロ

 この間、カズオ・イシグロの映画化作品を二つ観ました。

 一つは、2010年公開「わたしを離さないで」。

 二つは、1993年公開「日の名残り」。

 二つの映像化された作品を観て、今、原作を読み進めながら、カズオ・イシグロの世界を少しづつ理解しつつあります。

 2017年10月、カズオ・イシグロへノーベル文学賞が授与されました。

 受賞理由は「偉大な感情の力をもつ小説で、わらわれの世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」とあります。

 「カズオ・イシグロ読本」の中で、日本文学研究者の助川幸逸郎さんは、「私たちの生が抱える原理的な不自由。そのことを、『運命の囚われ人』になった存在をえがくことでイシグロはしめす。」

 私は、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」と「日の名残り」しか、しかも部分的にか知らない者でしかありませんが、助川さんの解説に納得しました。

 「わたしを離さないで」でイシグロ氏は、「提供者」としての将来しか展望できない人々の短い青春を描いています。

 「日の名残り」でイシグロ氏は、執事として「屋敷」に一生使える人々の喜怒哀楽を描いています。

 「提供者」も「執事」も「運命の囚われ人」として理不尽な生をイシグロ氏は描いています。

 大野和基さんの「知の最先端」の中で、イシグロ氏は、「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか」だと述べています。

 徹底して「運命の囚われ人」を描写する中で、私たちは、自分を主人公に投影し、「自分」の在り方を深く考えるのでしょう。

 イシグロ氏の作品は、声高に「こうあるべき」と方向性を示すのではなく、徹底して不自由を描くことで、読者に「どう生きるべきか」考えさせるものなのかも知れないと思いました。

 「日の名残り」にこのような文章が出てきます。「昨日までその執事に賛辞を贈ってきた召使たちがどうするかといえば、今日はもう誰か別の人物を誉めたたえるのに忙しくて、自分の判断力を疑ってみる暇さえありません。」「目標を定めると、そのヒーローの執事論を鵜呑みにし、それを無批判に繰り返すのです。」

 先日紹介した「赤狩り」の帯に「『自分の筋は飽くまで貫き通す』『保身のためなら魂を投げ売る』あなたはどちらの生き方はどっち?」とあったのを紹介しました。

 二者択一できないのが人生でしょうが、不自由な人生ですが、今の自分をみつめ直し、「こう生きたい」とイシグロ氏の文章は考えさせてくれます。

 この冬は、イシグロ作品にじっくり浸りたいと思っています。

 カズオ・イシグロ作品に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 

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