昨日、是枝裕和監督の映画「三度目の殺人」を読みました。
映画はは役所広司さんが演じる三隅が殺人を犯すシーンで始まります。
次に映画は、福山雅治さん演じる弁護士の重森らが、三隅に接見するシーンです。
三隅は重森弁護士に殺人した事実を認めます。
しかし映画の後半、三隅は、「自分は殺していない」と裁判で証言を覆します。
三隅が、証言を覆すに足る証拠の片鱗が、映像で映し出されます。
ミステリーは、誰が誰を殺したか「真実」が明らかになる過程を描いたものが多いのですが、この映画は、「真実」が分からなくなってくる作品です。ここがこの映画の醍醐味だと思います。
是枝監督は、映画のパンフレットで「普通は真実に辿りついて映画は終わります。でも映画では、登場人物が真実をつかめないまま、裁きのシステムだけ維持されていくんです。真実が何かわからないなかで、人が人を裁いていかなければ維持できないというシステムを、私たちの社会は内包しているということですよね。おそらく主人公は、そのことに気づいたとき、ある恐ろしさを感じるのではないでしょうか」と語っています。
「真実が何かわからないなかで、人が人を裁いていかなければ維持できないというシステムを、私たちの社会は内包している」との指摘は、重要だと思います。
映画評論家の森直人さんは「『本当のことをめぐって、最大のキーパーソンとなっているのは被害者の娘・咲江(広瀬すず)だ。彼女は三隅を慕っていた。一方、法定で被害者のことを『大切なお父さん』と表現された時、瞬間的に『違う』という顔をする。実は、この映画の中で最も邪悪なオーラを放っているのは、不在の被害者だ。彼の正確な人となりはわからない。だが、周囲の人的環境はすべて汚染されている。それを無視して、法廷では『大切なお父さん』というレッテルがほとんど無意識に貼られる。考えてみれば、不可解だ。なぜ我々の住む社会では、『被害者=善』という根拠のない図式が前提的に刷り込まれている。」と述べています。
映画の核心的な部分なので、これ以上詳しく書けませんが、「映画の中で最も邪悪なオーラを放っているのは、不在の被害者だ。」。この辺りは、是枝監督が一番描きたかった部分だったと森さんの解説を読んで感じました。
弁護士の岩月泰頼さんは、「ほとんどの映画やドラマでは、『真実』が設定されている中でストーリーが進みますが、実際の掲示裁判では、このような『神の視点』は存在しません。証拠により事実は認定されますが、神の視点となる根拠はなく、真実は揺蕩っています。」「真実がわかると思っていること自体、傲慢だと思います。ただ、真実に辿り着けないかもしれないが、それでも足掻かなければいけないのがこの仕事の面白いところであり、やり甲斐であると最近は考えています。」と述べています。
判決が真実に近づいたものであることを願います。
冤罪がなくなることを願います。
是枝監督は、2015年9月6日「早稲田から止める!戦争法案 安保法案に反対する早稲田大学全学集会」で「政権に対峙し、新しい社会をつくるのに寄与したい」と語っています。
映画「三度目の殺人」に是枝監督の深い社会を観る視点を感じました。
是枝監督の作品にこれからも注目していきたいと思いました。
是枝監督、すばらしい映画をありがとうございました。
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