議員日誌

民族の悲劇ー沖縄県民の抵抗

 瀬永亀次郎さんの「民族の悲劇-沖縄県民の抵抗」を読んでいます。

 大田知事(当時)が米軍用地強制収用のための「代理署名」を拒否し、村山首相(当時)が知事を相手取って「職務執行命令訴訟」に訴えました。

 この職務執行命令訴訟の第一回口頭弁論で、太田知事側が提出した第一準備書面のなかに、沖縄における米軍用地の由来を、次のように書いています。

 「沖縄における米軍用地は、沖縄戦に伴い米軍が住民の意思を無視して強制的に接収し、その後も銃剣とブルドーザーで強奪して形成されたものである。これについて日本政府は何ら抜本的な改善を行わないばかりか、むしろそれを追認したのである。その結果、戦後50年間も米軍基地として使用されているが、これは事実上、戦争による占領が現在もなお継続していることを物語るものである。」

 この本の解説で、新原昭治さんは、「沖縄で今日見られる軍事用地とは、まさにここにのべられているとおり『事実上、戦争による占領が現在もなお継続している』ことを示しています。この半世紀に及ぶ沖縄の米軍基地をめぐる歴史を少しでもふりかえるならば、この指摘が決して言い過ぎでないどころか、ことがらの真相そのものであることを確認することができます。」

 その上で、新原さんは「瀬永亀次郎氏による本書『民族の悲劇』は、その歴史の一端を、きわめてリアルな形で語ってくれる、数少ない文献の一つであり、この暴虐とたたかいぬいた沖縄県民の熱い思いの込もった、生々しい歴史の証言といえるでしょう」と書いています。

 沖縄の軍用地は「銃剣よブルドーザー」で強奪されたことは知識として知っていましたが、この土地に人々の暮らしをイメージするためには、この本を読まなければなりません。

 1951年4月、沖縄本島国頭村桃原部落に数台のトラックが土砂を田畑に投げおろし、ブルドーザーが整地していきます。

 その様子をみてあるおばあさんが卒倒します。そのおばあさんのことを瀬永さんは、こう書いています。「夫が台湾製糖社に務めていて、永いこと台湾で共稼ぎをしていたが、敗戦1年前、郷里の桃里部落に家族をひきつれて帰ってきた。台湾で蓄えてた金と夫の退職金で例の田を買い入れ、その田を老後を支えるためのいのちとして、大事にまもりつづけていたのである。そのうち米軍の上陸となった。この戦争のため真っ先に夫がたおされた。つぎつぎ子供たちも沖縄戦で殺されてしまった。のこされたのはこのおばあさんの心細い生命と三千坪の田んぼとなった。細りゆく生命と田んぼを大切に、おばあさんはまったく天涯孤独のくらしをいとなんでいたのである。自分の命と同じ田んぼ、しかももう十日もすれば、刈り取れる青田を、そのままもっていかれたのだから、卒倒したのも不思議ではなかろう。」

 9日の新聞あかはた日刊紙に映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の紹介記事がありました。

 是非、この映画を観たいと思いました。

 そして、11月に沖縄に行った際に、瀬永亀次郎記念館「不屈館」に足を運びたいと思いました。

 沖縄の今を知るために、瀬永亀次郎さんの本をこの夏しっかり読みたいと思います。

 基地のない沖縄・日本を取り戻すために、瀬永さんの本をしっかり学びたいと思います。

 瀬永亀次郎さんへの想いをお教え下さい。

 

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