NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第一回を観ました。
名門ながら衰退しつつあると遠江の井伊家を、女性ながら継いでもり立てた城主の物語。
主人公を演じる柴咲コウさんは、しんぶん赤旗日刊紙1月1日号で「つねづね、ひとりの国民として矛盾や疑念を感じたりしています。その中で生きていくヒントが台本の中にも転がっていて。人は社会の一つの駒ではなく、ひとりひとりが貴重な存在なのだということを、きちんと描けたらいいですね」と語っています。柴咲さん演じる「おんな城主直虎」を今年一年応援していきたいと思います。
「おんな城主直虎」が始まる年末に、京都の井伊美術館で新資料が見つかりました。女性とされてきた井伊直虎が男性だったという報道です。この辺りについて今朝の読売新聞の「磯田道史の古今あちこち」に詳しく書いてありました。
磯田氏は、「新聞各紙は『大河の主人公に男説』といったタイトルを打ったが、正確には『大河の主人公直虎を名乗らなかった?』とすべきであった。大河ドラマの主人公になった井伊谷(浜松市北区)の女性領主『次郎法師』は確かに実在した。数々の子文書や一次資料をあわせてみれば歴史的に明らかで動かない。」と書いています。
磯田氏は、新しい資料について「1568年乳歴9月14日の時点では、次郎法師が井伊谷の支配者。今川家=氏真もその認識であった。(『瀬戸方久宛今川氏真判物』)。ところが、この時、氏真は滅亡寸前。東から武田信玄が侵攻。西からは徳川家康が遠江の豪族たちに廻覧状を回し、今川からの離反内通を公然と誘っていた(同年8月3日付家康書状)。そんななか、同年11月9日付関口越後守との連名書状に突如『次郎直虎』が登場する。井伊家当主『直虎』は約1ケ月だけ存在したかもしれない。滅亡寸前、追い込まれた氏真が、家康との戦闘準備のため、国境地帯の井伊谷に、少年の傀儡当主を立てようとした可能性がある。しかし翌12月に家康軍がい井伊谷に侵攻し兵併呑。13日には信玄の攻撃で駿府の氏真政権は崩壊。直虎少年はいたとしても井伊谷を追いだされたに違いない。それで直虎は幻の当主になっていたのではないか。」と書いています。
いずれにしても、井伊谷に女性領主がいたことは確かのようです。
1月7日の読売新聞には、「誾千代と宗茂」という特集記事が掲載されています。
「福岡市と福岡県新宮、久山町を画する立花山こそ、豊後(大分県)の戦国大名・大友氏の筑前支配の要で、天正3年(1575年)、わずか7歳の『おんな城主』が誕生した立花城の古跡がある。彼女の名前は誾千代。大友氏の重臣・戸次道雪の一人娘で同年、父から立花城督(責任者)を相続。6年後、後の初代柳川藩主・立花宗茂を婿に迎えるまでその任にあった。」
柴田錬三郎賞を受賞した中島京子さんの「かたづの!」は、江戸時代に実在した第21代八戸南部氏当主・祢々の物語です。
「おんな城主直虎」をきっかけに中島京子さんの「かたづの!」を再読しようと思います。
戦国から江戸の世に多くの女性領主が存在していたことが明らかになっています。
歴史は奥深いものです。今に生かすためのこの時代の女性領主について学ぶことは意義深いことだと思います。
「おんな城主直虎」について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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