議員日誌

「摂取不捨」と「因果応報」

 バングラデッシュの首都ダッカで、武装集団がレストランを襲い、中にいた外国時’が多数死傷されました。日本人7名の命も奪われました。

 この事件について、先日の朝日新聞で瀬戸内寂聴さんは、「何の宗教に属していようが、人を殺せと命じる宗教などあるはずがない。あるとすれば邪教である。」と述べておられました。

 私はある聴聞で、親鸞の浄土和讃82「十方微塵世界の念仏の衆生をみそなはし摂取してすてざればすてざれば阿弥陀となづけたてまつる」を学びました。

 現代語訳は「阿弥陀如来は、あらゆる世界でその名をよぶものを見出して、救い取って捨てることはないと誓われたので、『阿弥陀』という名を名のられているのです。」

 他の宗教を排除するのではなく、宗教間の対立がなくなることを願わずにはいられません。

 瀬戸内寂聴さんは、「因果応報という仏教の言葉は、いいことをすればいい結果が報われ、悪事を働けば、ひどい目に遭うというような単純なことではないらしい。何がいいことで、何が悪いことか、その基準さえ、時代と共に刻々変化している。たまたま、参議院選の投開票日が目前に迫っている。現在の日本の善い、悪いの定めを、改めて見直し、とくと、考えてみる必要があるのでは。」と朝日新聞のエッセーで書いています。

 よりよい世の中への「選択」が必要な時なのでしょう。

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