議員日誌

長生炭鉱水没事故に関する調査報告書

 韓国政府国務総理所属「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」が2007年8月に「日本の長生炭鉱水没事故に関する真相調査」の日本語版がこのほど発刊されました。

 この程、「長生炭鉱の『水非常』を記録する会」の運営委員になり、昨日の運営委員会で、「日本の長生炭鉱水没事故に関する真相調査」日本語版を手にしました。

 昨日からこの本に目を通していますが、1942年2月3日に発生した長生炭鉱水没事故の全容を知る最良の書であることを痛感しています。

 本書を拠りどころとして長生炭鉱水没事故の概要と、朝鮮人強制連行の実態について紹介していきたいと思います。

 前述したように、長生炭鉱での水没事故は、1942年2月3日午前10時頃発生しました。この事故で、坑内は浸水し、炭坑夫183名が亡くなりました。この内、135名または136名が朝鮮人でした。

 当時の宇部炭田は、9割が海底炭坑でした。沖の山鉱業所と東見初炭坑が宇部炭坑で掘られた炭の5割以上を占めています。

 長生炭鉱は、中小炭坑でしたが、宇部炭田の中では、1941年、沖の山、東見初炭坑に次ぐ出炭量をほこりました。

 長生炭鉱での朝鮮人労務者は総計で、1258人でした。殆どが、慶尚南道・慶尚北道出身者でした。

 宇部炭田に連行された朝鮮人労務者の数では、長生炭鉱が一番でした。

 朝鮮人労務者は、高さ11尺の垣根で囲まれた宿所に監禁されていました。

 当時の鉱山保安法においても、崩壊が世さくされ採炭が禁じられている地域でも操業が強行されていました。

 海底の坑道内で「海を横切る蒸気船の『トントントン』というエンジン音が聞こえた」との生存者の証言が残されています。

 毎年、長生炭坑水没事故の犠牲者を追悼する式典が、事故が発生した現地で行われています。

 今年は、1月30日に、74周年の追悼集会が11時から、長生炭鉱犠牲者追悼ひろばで行われます。

 今年は、遺族会の方々だけでなく、韓国仏教界から50名の僧侶などの方々も参加される予定です。

 午後1時半からは、ヒストリア宇部で、強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会の共同代表で、浄土真宗本願寺派一乗寺住職の殿平喜彦さんを招いての学習会が行われます。

 今年から私は、運営委員の一人として当日の準備にあたります。

 この行事への問い合せや先ほど紹介した「日本の長生炭鉱水没事故に関する真相調査」日本語版に関心にある方は、本ブログのトップページからお問い合せ下さい。

 宇部市民の一人として、74年前の悲劇を決して忘れてはならないと思います。

 また、被害者への補償や遺骨収集など、遺された遺族や生存者の方々にとって未解決の課題が山積しています。

 これらの問題が一日も早く解決されるように、刻む会の一員として微力を尽くしていきたいと思います。

 長生炭鉱水没事故から74年が経過しようとしています。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

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