議員日誌

日本人として

 昨日、第63回日本PTA全国研究大会札幌大会の記念講演で、脚本家の倉本聰さんのお話をお聞きしました。

 会場で倉本さんの最新著を購入して宇部に着くまでの飛行機の中で「富良野風話 日本人として」を読了しました。

 この本は、「財界」という雑誌の倉本さんのこらむをまとめたものです。

 ちょうど、2011年3月11日以降の4月19日号から、2015年2月24日号までがまとめられています。

 2011年11月1日号のコラムで倉本さんは、こう語ります。

 「そもそもこのコラムを書き始めた時、富良野風話と銘打つ以上、もう少しやわらかく心安らかになる、そういう連載にするつもりだった。ところが3・11の事件以来、思い切り頭がそっちに向いてしまい、社会や政治やマスコミへの不満ばかり駄々っ子のように書き続けている。」

 2012年7月17日号のコラムで倉本さんは、こう語ります。

 「原発がなかったら社会は崩壊する。偉いサンたちの言うこの暴論は、こうした需要の無制限な増加を全て放置し、無視した上での上での一方的な放言に思える。現代社会での需要仕分け。政治まで今このことにこそ本気で真面目に取り組んで欲しい。」

 2014年9月9日号のコラムで倉本さんは、こう語ります。

 「人に殴られたら殴り返したいのが悲しいながら人の性である。身内がやられたら仇を討つのが悲しいながら人の性である。人一倍その気質の強い日本人が69年間戦争にまきこまれなかったというこの奇蹟は、憲法第9条という自律の掟が自らの短慮を抑えてきたからである。」

 原発再稼働や戦争に向かう日本に対して、倉本さんの直言は、私の心に響きます。

 私の本棚には、1987年に発刊された倉本さんの「ニングル」があります。

 この本を昨夜から読み始めています。

 倉本さんが、富良野に住み始め、富良野塾を創られた当時のことが生々しく書かれています。

 倉本さんの文明や資本主義社会への警鐘の筆は、30年前から冴えわたっていることが分かります。

 倉本聰さんの「ニングル」の感想は後日に譲ります。

 倉本さんは、私の父世代の方です。

 鬼籍に入った父とは話が出来ません。

 倉本さんのお話を直接お聞きし、倉本さんを父のように慕いたいと思うようになりました。

 倉本さんの著作や作品をもっと学びたいと「日本人として」を読んで深く思う今日この頃です。

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