天童荒太さんの「家族狩り」を読んでいます。
現在、完結編の第五部「まだ遠い光」です。
刑事の馬見原にある女性が語るセリフに考えさせられました。
「事件そのものをなくす気はどうなのよ。経済が背景にあるならさ、格差を減らすこと考えずに、事件のあとばかり走り回って、意味あんの。生きてゆく環境、どんだけ悪くしても、取り締まりを強めりゃ、少年犯罪は減ると本気で思ってんの。」「原因になる問題もあわせて考えなくてさ、屏を高くしただけ防げんの?」
「あんた主権在民って言葉、知ってんの。民主主義の国の人間なんだろう。市民の一人一人に主権があるってことはさ、市民より上に偉い奴がいないって主義だよ。」「お偉いさんに任す、リーダーに導いてもらうなんて言っている時点で、もう民主主義を放棄してんだから」
「いろんな人のどうにもならない悩みを背負ってみなよ。この国の隅っこにいる、弱い人たちの苦しみを、自分のことみたいに担ってゆきなよ。それでも自分には、これしかできないって・・・恐る恐る足を踏み出す人が、あたしは好きなんだよ。」
私は、この下りを読んで、大学時代に学んだ田中昌人先生の「発達保障論」を思いだしました。
人間の発達は、「個人」と「集団」と「社会」の三つの系が相互連関している。
だから、一人ひとりの発達を保障するためには、個人だけではなく集団や社会にも働きかけていくことが必要だ。
私の理解ではこのような理論だったと思います。
私は、大学で社会福祉を学び、何らかの福祉労働に携わることを想像しながら、その対象が子どもであっても誰であっても、その対象を取り巻く集団や社会を変えていく活動をも行っていこうとこの理論を学びながらあれこれ考えた当時のことを思い出しました。
そして、天童さんの文書を読んで、「この国の隅っこにいる、弱い人たちの苦しみを、自分のことみたいに担ってゆく」生き方を今後も続けていきたいと決意を新たにしました。
この夏は、天童荒太さんの世界に浸りたいと思っています。
「家族狩り」の次は「悼む人」を読もうと思っています。
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