議員日誌

福島県飯館村酪農家の長谷川健一さんの講演を聴きました。

 自然エネルギー推進ネット・光主催の原発学習会が本日、光市で行われました。

 演題は、「今、飯館村で起きていること~現地酪農家が訴える原発被害~」でした。

 福島県飯館村の酪農家である長谷川健一さんが村の現状を報告しました。

 飯館村は、平成の合併に組せず、「までい」の村を目指してきた村です。

 「までい」とは、手間暇惜しまず、丁寧に、心をこめて、つつましくという意味の方言です。

 長谷川さんが区長を務める前田地区は、荒れた牧場を蕨狩りの施設にしたり、休耕田にひまわりを植えたりした結果、日本一美しい村づくりに認定されるまでになりました。

 福島原発事故後、村の状況は一変します。

 長谷川さん長男も酪農家となり、牛舎も広げ、これからという時でした。

 放射線量の多い飯館村は牛乳を出荷することが出来ません。6月まで、毎日、長谷川さんは、牛乳を捨て続けました。

 牛の処理に苦労します。殺すことは出来ないと訴えつづけ、放射能の被害の少ない地域に牛を移動させることが出来ました。

 今では、飯館村の全ての酪農家が休止に追い込まれています。

 「原発さえなければ」と壁に書き残し自ら命を絶った酪農家は、長谷川さんの知人でした。

 「相談に乗ってやれなかったことが悔やまれる」と長谷川さんは語ります。

 村の人々も集団避難や自主避難で散り散りです。長谷川さんも地区の仲間と一緒に仮設住宅で暮らしています。

 長谷川さんは、「自分は、村に帰りたいが、子どもや孫は村に帰らせたくない。」と語ります。

 山を含めた除染をしなければ村に住むことは出来ないと長谷川さん。長谷川さんは、村を別の場所に移すことも考えなければならないと力説しました。

 知人から聴いた村の女子高生の言葉が忘れられないと長谷川さん。

 「私たちは結婚できない。たとえ出来たとしても子どもは産めない」と女子高生が真顔で話していたと言います。

 長谷川さんは、「福島が差別されることがないようにしてほしい。また、この現実を風化させないでほしい。」と話を締めくくりました。

 参加者から「原子力政策を今後どうしていくべきと思うか」と聞かれ、長谷川さんは、話を聴いた皆さんが判断すべきことと前置きした上で「人間は、ウランを安易に扱っていた。そして、収拾がつけられなくなったことは事実だ。」と語りました。

 私は、講演会会場で、飯館村の行政を紹介した「までいの力」という本を買って帰りました。

 この本は、原発事故直前に出版予定でしたが、急遽中止されましたが、事故後に出版されました。

 この本を開くとこう書いてあります。「ここには2011年3月11日午後2時45分以前の美しい飯舘村の姿があります。」と書かれてありました。

 村から美しさを奪い、酪農家から牛を奪った原発事故に怒りが込み上げてくる長谷川さんの話でした。

 この現実を風化させてはなりません。未来が展望できる社会を村の子どもたちに一日も早く届けていくことが私たち大人一人一人の責任であることを痛感しました。

 長谷川さん、今日はいいお話をありがとうございました。私は、山口県政に携わっている者の一人として、今日の話を生かしていきたいと思いました。

11.10.29 007.JPG

 福島県飯舘村の現状を語る長谷川健一さん

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。