議員日誌

米原ろしゅうさんの喜寿の祝い

 今日、夕方、米原ろしゅうさんの喜寿の祝いが行われます。

 米原さんに出会ったのは、私が大学を卒業して宇部協立病院に就職した直後です。

 もう25年のお付き合いとなります。

 私は、大学で障がい者福祉のゼミに入っていましたので、就職した直後、米原さんが会長を務める「障がい者の福祉をすすめる会」に入会しました。

 福祉をすすめる会が主催する「点検活動」や「日帰り旅行」での米原さんの思い出は数多くあります。

 また、入会した当時から、障がい者の交通権を保障する活動である「ひまわり号」のボランティアに参加していました。

 ひまわり号では、列車やバスを貸し切って、様々な所に行きました。一番の思い出は、秋吉の鍾乳洞に車いすの方が入られた時です。

 宇部市でひまわり号の実行委員会を作り、会長が米原さん、事務局長が私というコンビで10年程度取り組みました。

 私が、市会議員になり、米原さんと一緒に取り組んだのは、身体障がい者の自立支援付き住宅です。

 地域で自立したい身体障がい者の方が入居できるケア付き住宅を設置しようと、繰り返し宇部市などと交渉を行いました。

 私も議会でこの問題を取り上げ、鵜の島市営住宅の新築に合わせ8戸の「重度身体障がい者の自立支援付き住宅」が設置されました。

 セルプ南風が運営する「障がい者生活支援センター」がケア付き住宅に隣接して設置され、今でも在宅の身体障がい者の方々の拠点となっています。

 先日、宇部市と同様の施設が県内にあるのか県住宅課に問い合わせたところ、宇部市のこのケースのみということでした。

  米原さんは12才で終戦を迎えますが、まさに箱の中で宇部空襲を経験されました。

 数年前の学習会で米原さんから直接、お話をお聞きしましたが、この体験談は、今後とも多くの市民に伝えていってほしいと思います。

 米原さんは、出会った25年前と全く変わっておられないので、77歳とは信じられませんが、昭和8年生まれですので、やはり喜寿です。

 私に福祉とは何かを教えてくれた宇部市での恩師です。どこか父のようにも感じる方です。私の人生にとって師匠と慕う方の一人であることに間違いありません。

 これからも元気で、宇部市の障がい者福祉の充実のために力を尽くしていただきたいと思います。

 米原さん喜寿おめでとうございます。今日は、いまからゆっくりお話いたしましょう。

 それでは米原さんの喜寿を祝う会に行ってまいります。

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  1. こんにちは。誕生日会には、多くの方に出席していただき楽しいパーティーとなりました。
     思い返せば、私が初めて自力で町に出て早30数年になります。あの当時を振りかえれば、町も歩きやすくなりました。それもみんなが、私の運動を支援してくれたお陰です。
     障害者運動は、1人だけでは成果は出ません。これもみんなの理解と動きがなければ成果はあがりません。
     これからも障害者運動は、命あるかぎり続けますのでどうかお力をおかしください。
     藤本君、頑張れ!

    by 米原ろしゅう — 2010年9月3日 15:20 PM

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