議員日誌

大連・瀋陽

 今日午後、東京に行きます。明日は、政府交渉。明後日は山形で会派の視察です。

 また、しばらくブログの更新が出来ません。国内ですので電話は大丈夫です。

 さて、そういう事情もあって、中国旅行の残りの報告を今日で仕上げます。

 報告していない残りの都市は、大連と瀋陽です。

 まず、大連は、二日目の午前中に見学しました。

 大連では、中山広場にある旧大和ホテルを見学しました。

 この周辺の建物は、日本統治時代とほとんど変わっていません。中国政府が丁寧に使い続けています。

 見学した旧大和ホテルは、今は、「大連賓館」という名称ですが、今もホテルとして活用されていました。

 私たちは、李香蘭もここでコーヒーを飲んだという喫茶室に入りました。吹き抜けの天井が印象的でした。

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   集合写真の後ろが、旧大連大和ホテルです

 大連で次に訪ねたのが、大連港です。引き揚げ船がここから舞鶴に向けて出港した場所です。

 この港は、ロシアが設計したものですが、日露戦争後は、日本が統治し、整備も行いました。

 見学したのは、旧港と呼ばれる場所で、4バースしかありませんが、東側に新港が整備中で完成すれば、合計で108バースの港になるそうです。

 説明してくれた港の職員によると新港の最大の水深はマイナス27メートルあるそうです。

 彼女は、「5年後には、大連港が取り扱い貨物量で世界一になると確信している」と話してくれました。

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  写真右の建物は、1924年に竣工したものです

 三日目の午後に、瀋陽を見学しました。

 瀋陽では、忘れてはならないのが、柳条湖に建てられた「9・18歴史博物館」です。

 ここから日中戦争が始まりました。中国人にとっては、抗日の原点と言える場所です。

 1931年9月18日、奉天に向かう満鉄の急行列車が通過する直前に爆弾が爆発しました。

 この爆弾は関東軍が仕掛けたものであることは、今日では明かな事実となっています。

 記念館の展示や車内での趙さんによる説明などで日中戦争に向かう歴史がよく理解できました。

 柳条湖事件の前には、張作霖爆殺事件も日本軍が行った事件であることが分かっています。

 また、柳条湖事件の後に起きた盧溝橋事件も同様の手法で日本軍が行った事件であることも分かっています。

 しかし、この場所をいかに中国人は、忘れられない場所にしているのかが現地に行ってよく分かりました。

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 柳条湖事件当日のカレンダーを模したモニュメント

 瀋陽では、世界遺産にもなっている故宮も訪ねました。

 故宮に到着したと同時に雨が降り始めましたが、概略を見学することが出来ました。

 この建物は、清の時代に、王宮として建てられたものです。北京故宮は9999もの部屋があるそうですが、ここは、333の部屋数です。

 しかし、当時の清の力と文化を十分に感じることが出来る建物でした。

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 雨の瀋陽故宮。雨と同時に夕方のようになりました

 大連・瀋陽と、満州統治統時代の中心都市を見学しましたが、十分にその歴史を満喫することが出来ました。

 同時に、今を生きる中国の都市として大きく発展している勢いを感じました。

 大連でも瀋陽でも街のあちらこちらで再開発が行われていました。そして、世界中の高級車を散見する旅でもありました。

 日本中国友好のためにとても有意義な旅となりましたし、今の中国を知る旅としても有意義でした。

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