朝日新聞は、選挙特集「混沌(カオス)の正体」を掲載しています。
第一回目(10月2日)は、哲学者の内田樹さんが「危機から目背け『身内ファースト』」とインタビューで答えています。
内田さんはこう指摘します。
「民進党の議員たちは『安保法制反対・改憲反対』を捨てて180度逆の立場に立たなければ公認されない『踏み絵』を踏まされようとしています。自民党以上に新自由主義的で排外主義的な新政党が『受け皿』として登場しようとしている。」
「世界中で、仲間うちの利益だけを優先する『身内ファースト』的な政治勢力が支持を得つつあります。」「これは、地殻変動的な変化が理解できないゆえの退行的な選択です。外界の出来事に目を閉じ耳を塞いで『変化なんか起きていない』と自分に言い聞かせている。」「安倍政権は森友・加計学園問題に象徴されるようなネポティズム(縁故主義)にすがりついている。イエスマンだけを登用し、限られた国民資源を仲間に優先的に分配している「身内ファースト」という世界的な退廃の日本版です。」
「小池新党も『身内ファースト』であることに変わりはありません。民進党との『合流』プロセスで明らかになったように、小池氏の軍門に下ったのは、政策の一貫性を振り捨てても議席確保を優先する人たちばかり。政策の一貫性や論理性よりも『明日の米びつ』を優先的に配慮する政治家たちが、文明史的な転換に対応できる能力がるとは私は考えません。」
私は東京都議選を振り返りたいと思います。
自民党支持が崩れるもとで、「非自民」の「受け皿」として「都民ファーストの会」がつくられました。
1993年の「自民か、非自民か」キャンペーン、2009年の「自民か、民主か」の「政策選択」キャンペーン。
そのたびに日本共産党は後退してきました。
しかし、東京都議選では、日本共産党は、17議席から19議席に議席を増やしました。
志位委員長は、勝因について「自民・公明対日本共産党」という対決軸を貫いた政治論戦が全体として正確だったことを挙げています。
今度の総選挙の対決軸は、「自公」対「希望」対「リベラル・共産」ではありません。
「自公とその補完勢力」対「市民と野党の共闘」です。
「自民党以上に新自由主義的で排外主義的な新政党が『受け皿』として登場しようとしている」との内田さんの指摘を私たちは深く受け止めたいと思います。
「身内ファースト」ではなく、平和と民主主義の発展に力を尽くす「市民と野党の共闘」の前進にこそ未来があります。
私は、日本共産党の比例中国ブロック候補として力を尽くす決意です。
「希望の党」を皆さんはどうお考えですか。
本日、日本共産党山口県委員会の佐藤文明県委員長と私が県庁で記者会見を行い、小選挙区山口3区からの立候補をとりやめ、比例候補として比例中国ブロックで初の2議席以上獲得をめざして奮闘する決意を述べました。
佐藤委員長の記者会見での発言の要旨は以下の通りです。
・坂本史子氏より、「立憲民主党からの立候補を決意したので支援をお願いしたい」という申し入れを受けて検討した。
・立憲民主党は、安保法制廃止、安倍政権の下での憲法改定に反対という根幹で私たちと一致し、市民連合とのあいだで合意した7項目の政策でも同じ立場に立っている。
・安倍暴走政治を終わらせてほしいと願い県民の願いにこたえて、我が党は山口3区に立候補を予定していた藤本一規氏の立候補をとりやめ、坂本史子氏を支援して当選のために全力をあげることとした。
・他の3つの選挙区では社民党のみなさんや市民グループのみなさんととも力をあわせ、我が党の候補者の勝利のために全力をつくす。比例代表の単独候補となる藤本一規氏を先頭に比例中国ブロックで初の2議席以上獲得めざし奮闘する決意である。
・・・
私は、昨年11月に記者会見を行い、1年弱、小選挙区候補として活動してきました。
これまで、選挙区候補としてお世話になった皆さんに心から感謝いたします。
小選挙区候補としての立候補を取り下げることは少し残念な気持ちもしますが、山口3区での市民と野党の共闘の勝利のため、立憲民主党の坂本史子さんの当選のために、日本共産党の先頭にたって力を尽くす決意です。
私は、比例単独候補として、比例中国ブロックでの日本共産党の2議席以上獲得をめざして奮闘する決意です。
比例代表は、日本共産党、選挙区は坂本史子さんへ皆さんのご支援をお願いいたします。
私も、坂本さんも国会に出ることが出来るよう私は、力を尽くす決意です。
山口3区で、日本共産党は立憲民主党から立候補する坂本史子さんを支援することにしました。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
中国ブロック比例候補になり、一昨日は、広島市。昨日は、岡山市瀬戸内市を回りました。
昨日は、「総選挙必勝・全国いっせい決起集会」での志位委員長の報告を岡山市で視聴しました。
昨日の岡山県では、4つの集いに参加し、街頭宣伝を3カ所で行いました。
岡山市内の集会で挨拶をする私
昨日の志位委員長の報告を受けて、私の決意を書きました。中国ブロックニュースに掲載される予定です。
・・・
歴史的総選挙に勝利を誓う「全国いっせい決起集会」の志位委員長報告を「晴れの国」岡山の皆さんと一緒に視聴しました。私は、「安倍台風や小池台風を吹き飛ばし、政治の晴れを岡山から作りましょう。中国ブロックから初の日本共産党の2議席を実現しましょう」と訴えました。
来月、私は、山口県PTA連合会常任理事を務めたことにより、日本PTA会長表彰を受ける予定です。戦後初めて自民党を含む複数の政党が、そろって9条改憲を総選挙の公約に挙げるという状況の中、憲法9条をめぐり、総選挙は、まさに日本の命運のかかった選挙となりました。「誰の子どもも殺させない」私はこの想いを力に、中国ブロック比例2議席実現に全力を尽くす決意です。
・・・
自民党、維新の会、希望の党が総選挙公約に「9条改憲」を書き込んでいます。
皆さんはこの状況をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
6月30日の本ブログで、7月1日付「本願寺新報」に掲載された中国新聞社論説主幹・佐田尾信作さんのコラムを取り上げました。
佐田尾さんは、コラムで元沖縄県知事・太田昌秀さんの「沖縄 鉄血勤皇隊」のことを取り上げていました。
中国比例候補として、昨日、日本共産党広島県委員会事務所を訪ねた際に、書籍コーナーにこの本がありました。
早速、帰りの電車の中で、読み始めました。
太田さんは、戦時中、沖縄師範学校男子部に入学します。
1945年2月8日、沖縄師範学校男子部の生徒は徴兵猶予措置が廃止され、75名の男子部全員が現地入隊します。
同年3月21日、沖縄守備軍司令部は、師範学校の校長に対し、全職員、生徒を鉄血勤皇隊として防衛召集する旨を命じました。
鉄血勤皇隊は県下12の男子中学校の13歳から19歳までの若人たちで結成されました。
太田さんは、この状況を次のように書いています。
「鉄血勤皇隊の学生たちは、何よりも適切な法的根拠もないまま、国の一方的な強制で否応なく戦場に駆り出されて犠牲になってしまったからである。それだけに痛恨の思いは消し難いのである。」「日本で『義勇兵役法』が制定されたのは、1945(昭和20)年6月22日のことである。その日は、牛島満沖縄守備軍司令官と長勇参謀長が自決して、沖縄戦の組織的抵抗が止んだ日である。この法によって、男性の場合は15歳から60才まで、女性の場合は、17歳から40歳までを戦闘要員として戦場に動員することが初めて可能になったのだ。」
沖縄県の生徒たちは、法的根拠なく、軍部の命令によって、強制的に、戦場に駆り立てられたのです。
鉄血勤皇隊の動員数と戦死者数が最後に書かれてあります。
鉄血勤皇師範隊(沖縄師範学校男子部)動員数生徒386人、戦死者数226人
鉄血勤皇一中隊(県立第一中学校)動員生徒数273人、戦死者数153人
鉄血勤皇二中隊(県立第二中学校)動員生徒数140人、戦死者数115人
鉄血勤皇三中隊(県立第三中学校)動員生徒数344人、戦死者数42人
鉄血勤皇農林隊(県立農林学校)動員生徒数130人、戦死者数23人
鉄血勤皇水産隊(県立水産学校)動員生徒数48人、戦死者数31人
鉄血勤皇工業隊(県立工業学校)動員生徒数97人、戦死者88人
その他、那覇市立商工学校、私立開南中学校、県立宮古中学校、県立八重山中学校、県立八重山農学校でも勤皇隊が結成されましたが、動員数、戦死者数は不明です。
この表で分かっているだけで、鉄血勤皇隊へ1418人が動員され、675人が戦死しています。
動員された生徒の内、約48%が戦死していることになります。
私は4人の子どもがおり、二人の男の子は、高校1年生と3年生、16歳と18歳です。
わが子の事を想うと胸は張り裂けそうな思いがします。
本ブログで、瀬戸内寂聴さんの法話を聴いた中学生の男の子が、「このままでいけば、憲法9条が改定されそうです。するとぼくは戦争に行かされる。それは嫌です。」「ぼくは死にたくありません」と話したという記事が赤旗に掲載されていることを書きました。
昨日、自民党は、総選挙公約を発表しましたが、安倍首相が提起した憲法9条の空文化を狙う「自衛隊の明記」重点項目の一つとして打ち出しました。
総選挙で自民党が大勝すると、先に書いた中学生の苦悩が実際の問題となります。
今度の総選挙の対決軸は、自公とその補完勢力VS]野党と市民の共闘です。
野党と市民の共闘の前進と日本共産党の躍進を実現し、安倍改憲のたくらみを必ずストップさせましょう。
自民党は総選挙公約で「9条改憲」を明記しました。皆さんはこの事をどうお考えですか。
10月6日発行の「週刊ポストはNPO「万年野党」が集計した「今年の通常国会で『議員立法発議回数』『質問回数』『質問主意書提出回数』のいずれもゼロだった議員83人」を公表しました。
その内、70名は自民党議員で、山口県内では、山口3区の河村建夫議員、山口1区の高村正彦議員が含まれています。
元経済官僚で万年野党理事の原英史氏は、この中でこう述べています。
「国会議員の最重要の任務は立法です。『議員立法』の実績は、まず評価されるべき。ただ大半の法律が、閣議決定された政府案という実態もあり、むしろその政府を監視する観点から、国会論戦の場で課題をただす『質問』も重要になる。質問機会が党内で回ってこないこともありますが、この場合には文書の『質問主意書』の形で提出して答弁を引き出すこともできる。逆にいえば、すべてがゼロの議員は、『会期中に何をやっていたのか』と問われて然るべき。」
この記事は「特権的な待遇を受けながら、これでは『タダ飯を食っている』との誹りは免れない。まず国会議員から『働き方改革』が必要だ。」と締めくくっています。
私は、地方議員24年。毎回の議会で質問を欠かさず行ってきました。
表に表れない仕事もあると思いますが、まずは、質問してこそ議員ではないでしょうか。
皆さん、今年、国会で質問も議員立法もしていない国会議員が83人いるということをどうお考えですか。
お教え下さい。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙は「重大事故を繰り返す米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイが普天間基地に配備されてから、1日で5年を迎えました。防衛省や各自治体の情報、住民の目撃などを総合すると、同機はこれまで沖縄を拠点として、少なくとも23都道県にフライしていることが分かりました。第二次安倍政権発足後の2013年以来、沖縄県内での無法な訓練拡大とともに、「沖縄の負担軽減」などを口実に、日本全土にオスプレイが飛来しています。主要な米軍基地・演習場を抱える東京都、神奈川、静岡、山梨、山口各県は重要な訓練拠点となっています。」と報じました。
本ブログでも繰り返し指摘しているように、米軍の「環境レビュー」は、岩国基地にオスプレイを「1個分遣隊(2~6機)を月2~3日、給油を目的として派遣」するとしています。
実際に、山口県岩国基地対策課によると、2012年10月1日に普天間基地にオスプレイが配備されて以降、度々、オスプレイが岩国基地に飛来しています。
2012年が、2回。2013年が、16回。2014年が、37回。2015年が、19回。2016年が、22回。2017年が、18回となっています。
米軍が「月に2~3日」と指摘をしている頻度で、岩国基地にオスプレイが飛来していることが分かります。
これも繰り返し指摘をしている通り、オスプレイは、先般、岩国基地で白煙を上げるトラブルを発生させています。
今度の総選挙を安倍首相は「危機突破解散」といいましたが、オスプレイの飛来によって、国民の平和に生きる権利が侵されようとしている「危機」を「突破」する選挙にしなければなりません。
オスプレイが、日本上空を我が物顔で飛来しています。このことを皆さんはどうお考えですか。