今朝の毎日新聞は、長生炭鉱の問題を一面トップ記事として次のように報じました。
「10月30日、山口県宇部市の海岸付近に約30人の報道関係者や市民らが集まり、海底炭鉱に続く横穴からダイバーが戻る瞬間を待った。第二次世界大戦中の1942年に起きた水没事故で朝鮮人と日本人の労働者計183人が亡くなった海底炭鉱『長生炭鉱』。事故から82年を経て、地元の市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』が29、30両日、残されたままの遺骨収集に向けた潜水調査を実施した。海岸付近には9月下旬の掘削作業の結果、地下約4㍍で見つかった坑口(坑道への出入り口)がある。調査2日目の30日、縦1・6㍍、横2・2㍍の坑口からダイバーの伊佐治佳孝さん(36)が、濁った水がたまった坑道へと初めて入った。約40分後、約180㍍先まで調査して坑口から出てきた伊佐治さんは坑内の様子を語った。『木片や金属片が落ちており、骨かどうかの判断がつかなかった。だが、継続して調査すれば遺骨の収容につながる』長生炭鉱の事故が起きたのは、太平洋戦争開戦から約2カ月後の42年2月3日。坑口から約1㌔沖合で落盤事故が発生して浸水し、朝鮮人136人、日本人47人の労働者計183人が亡くなった。遺体は収容されないまま、坑口は事故後に閉じられた。沖には『ピーヤ』と呼ばれる排気・排水用の円筒2本が海面から突き出した形で残る。『刻む会』は地元の市民らが91年に設立し、韓国からも遺族らを招いて犠牲者の追悼式を催してきた。2013年には追悼碑を建立。その後、日本政府に調査や遺骨収容を進めるよう働きかけてきたが、厚生労働省は『埋没位置や深度などが明らかでなく、現時点で調査は困難』とする立場を変えなかった。16年に成立した戦没者遺骨収集推進法は遺骨収集を『国の責務』とする。長生炭鉱では戦時下、石炭需要が高まる中で労働者たちが危険な環境で働された。だが、国は犠牲者について、『戦没者ではない』とする。事故から82年がたち、犠牲者の子ども世代も高齢となった。『待っている間に遺族がどんどん亡くなる』。刻む会の井上洋子共同代表は語る。会は今年、『自分たちで遺骨を一片でも見つけ、国を動かしたい』と、クラウドファンデングで資金を集め調査に乗り出した。調査開始を前にした10月26日、坑口前では追悼式が催され、日韓の犠牲者遺族約20人を含む約250人が集まった。亡くなった全聖道さんの息子、全錫虎さん(91)は韓国から参加した。全さん一家は、炭鉱の近くで暮らしていた。水没事故の日の朝、錫虎さんが国民学校に通うため家を出た時、聖道さんはすでに家におらず、言葉を交わすことはできなかった。事故後、坑口は塞がれた。幼いころは『毎日ここに来て泣いていました』。報道陣に『今日はここにいらして、お父さんのことを感じましたか?』と聞かれると、目を潤ませながら『はい』と答えた。刻む会では調査結果を踏まえ、25年1月に坑口からの潜水調査を数日間かけて改めて実施する計画だ。戦後80年が近づく中、いまだ戦争犠牲者の遺骨収容が終わっていない。国は戦争の犠牲や、その補償にどう向き合ってきたのだろうか。」
6日には、午後3時半から、衆議院第二議員会館地下1階第二会議室で、坑口開口と潜水調査実施報告と新政府への要望について井上洋子刻む会共同代表が記者会見を行います。
11月6日刻む会、東京記者会見に多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
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