NHKラジオ第二の「古典講読」の「聞き逃し」サービスを移動中の車の中で聴いています。
4月から「王朝日記の世界」と題し、日記文学の最高傑作と言われる菅原孝標女作の「更級日記」の朗読と現代語訳と解説が行われています。
朗読は、元NHKアナウンサー加賀美幸子さん、現代語訳と解説は、電気通信大学名誉教授の島内景二さんです。
島内景二さんは、今年3月、花鳥社から「新約 更級日記」を上梓されました。
この本は、「原文」「現代語訳」「解説」が章ごとに行われています。島内先生の解説と加賀美さんの朗読に加え、解説をされている島内先生自らの「新約 更級日記」を読めば、千年前の日本の風景が目の前に蘇ってきます。
古典全般に親しんでこなかった私ですが、日本を代表する王朝日記文学研究の第一人者の島内先生の講義を直接聞くことができることに幸せを感じています。
これまでに島内先生が講義された部分は、「東海道紀行」です。
孝標の女(以下、作者)が上総の介として赴任した父親とともに、上総の国で暮らし、父親の任期が終わり、都に向かって出発する頃から物語が始まります。
更級日記を作者が書いたのは、52歳の時ですが、物語がスタートするのは、作者が13歳の時です。
13歳の作者が、都に向け下総を出発したのが、寛仁四年(1020年)の秋です。ちょうど千年前です。
まず、驚いたのは、作者ら高貴な女性たちは、車で移動したということです。島内先生は、車を引いたのは、牛馬ではなく、人間だったと解説しています。
当然、舗装もされていない悪路を、人力で三カ月かけて都まで車で移動することを想像しただけで、車を引いた従者たちの苦労はいかばかりだったかと感じます。
幾本もの川を渡ります。大きな川は、車を船で渡したとあります。どれほどの労力をかけて移動したのだろうかと想像できるのも、「更級日記」を読んでみてリアルに分かることです。
作者は、沿道で出会いと別れを経験します。
別れは、作者が生まれた時にお乳を飲ませてくれた乳母との別れです。乳母は、作者らとともに、上総の国に付いてきて作者の世話をしてくれました。都に帰る途中で出産して、上総の国と武蔵の国との国堺で、一行とは別れ一人あばら屋に臥しています。乳母と作者との対面と別れのシーンは、千年の時を超えて私の心にも響くものです。
出会いは、足柄山の遊女とのものです。作者は、彼女らの歌声をこう評しています。
「その歌声は、秋の夜空に吸い込まれるように、澄み昇ってゆく。」(現代語訳)
彼女らとの別れをこう書いています。
「彼女らが遠ざかってゆくのを、皆は、まだまだもっとここにいてほしかったと名残惜しくて、泣くのである。まだ子どもである私も、幼な心に、彼女たちが立ち去ってゆくのに加えて、自分たちが明日の朝、ここを旅だってゆくことまでも、名残惜しく思われるのだった。」
人を想う気持ちは、千年の時を超えても同じなのだと感じました。
いや、千年前の人々の感情の方が、より素直だということが分かりました。
十三歳の作者ら一行は、上総、下総、武蔵、相模、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、近江、山城と3カ月かけて京に到着しました。
武蔵は、現在の東京都周辺ですが、背丈以上の草に覆われていました。
箱根ではなく足柄山を越えていました。
相模、駿河の海岸は、延々と砂浜が続いていました。
浜名湖は、今より、海と湖が離れていました。
などなど、千年前の東海道の様子が、作者の目を通じて生き生きと描き出されているのも、更級日記の魅力の一つでしょう。
島内先生は「『更級日記』という作品が持っている可能性は、中世文化の開幕を告げた藤原定家の予感を大きく超えて、二十一世紀の現代にこそ発芽し、開花・結実できると信じている。」と「新訳 更級日記」の「はじめに」で書いておられます。
まずは、千年前の作者の言葉に共感できた自分に驚いています。
私は、島内先生という最良のガイドを得て、ようやく「更級日記」の入り口に立つことができました。
今年前半は、島内先生のラジオでの解説と本から「更級日記」の世界をじっくり学んでいきたいと思います。その先のいつか「源氏物語」にも挑戦してみたいと思えるようになりました。
「更級日記」に対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。
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